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谷戸橋のモニュメントで右折、元町通り(元町商店街)へ |
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元町通り(元町商店街) ラビモトマチ |
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元町通り(元町商店街) 元町プラザで左折 |
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元町通り(元町商店街) 創業 明治21年 ウチキパン
大桟橋通りの大さん橋入口交差点にある近代のパン発祥の地碑にも書かれていた老舗パン屋で、観光客で賑わっている。少々高いが美味しいパンである。 |
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元町通り(元町商店街) 創業 明治21年 ウチキパン |
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左折し、外国人墓地沿いに急坂を上る |
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外国人墓地沿いに急坂を上る |
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外国人墓地沿いに急坂を上る |
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外国人墓地沿いに急坂を上る
いつもはアメリカ山公園から坂を下ってきたが、上るのは初めてである。今までの経験から急坂とは思っていたが、これほどきつい坂とは思わなかった。急坂ではあるが、距離が短いのが救いである。 |
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急坂を上り切った所がアメリカ山公園入口
左折するとアメリカ山公園で、右折すると外国人墓地である。 |
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アメリカ山公園 正門 |
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アメリカ山公園
正門からは見えないが、アメリカ山公園の奥にみなとみらい線の元町・中華街駅に出るエスカレーター、エレベータータがある。 |
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アメリカ山公園
1887(慶応3)年7月25日、現在の山手本通りからワシン坂通りにかけての200区画の競売がおこなわれ、山手地区は外国人居留地として開放されました。 アメリカ山公園が位置する山手97番地は、以前から、アメリカ公使館の用地として予定されていました。ところが、当時のアメリカ公使ヴァルケンバーグ(R.B.Valkenberg)はこの場所に住むことなく、山手27番地(現在の横浜山手女子中学校・高等学校校地)に自邸を構えたため、公使が住まなくなった山手97番地には、アメリカ公使館の書記官を務めていたポートマン(A.L.C.Portman)が住むようになりました。 1876(明治9)年からは、山手82番地の横浜一般病院(現在の財団法人ブラフ・ホスピタル)で活躍したイギリス人医師ウィーラー(E.Wheeler)が住んでいましたが、1923(大正12)年9月1日の関東大震災でウィーラーは命を落とし、震災後の1925(大正14)年には永代借地権が売却され、以降は民有地になりました。 終戦後、山手97番地はアメリカ軍によって接収され、敷地内には米軍住宅が建設されましたが、1971(昭和46)年に返還を受けて国有地となり、2004(平成16)年に横浜市が国から用地を取得(一部借受)し、このたびアメリカ山公園として整備されることになりました。 |
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アメリカ山公園正門から外国人墓地に沿って緩やかな坂を進む |
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アメリカ山公園正門から外国人墓地に沿って緩やかな坂を進む |
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外国人墓地沿いの緩やかな坂を進む 横浜気象台 |
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外国人墓地沿いの緩やかな坂を進む 横浜気象台 |
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外国人墓地入口角の突き当りで左折
右角が外国人墓地入口で、右折すると山手本通りで元町公園やイタリア山庭園に向かう。 |
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外国人墓地入口角の突き当りの小公園 会場案内図
突き当りで左折すると全国都市緑化よこはまフェア みなとガーデン2017会場の港の見える丘公園に向かう。 |
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外国人墓地入口角の突き当りの小公園 |
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外国人墓地入口角の突き当りの小公園 熱中症計は危険
現在時刻は12:00で、温度30.2℃、湿度は45%、熱中症計は危険である。
4日前のみなとみらい界隈を歩いた時よりは蒸すとは思ったが、30℃を越しているとは思わなかった。自宅から持参のお茶は飲み終わり、途中で買ったスポーツ飲料をなくなりかけていたので小公園先の自動販売機で3本目を買うことにした。4日前では1本半だったので見かけは雲が多かったがかなり暑かったのだろう。 |