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港の見える丘公園(香りの庭) 沈床花壇
約100品種の香りのバラや香りの植物を集めたガーデン。ローズアーチでは、バラのフレグランスシャワーが降り注ぎ、香りに包まれます。
沈床花壇とは、西洋花壇の形式で地面を掘り下げている。 |
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港の見える丘公園(香りの庭) 沈床花壇
普段は何もない芝生広場であり、特に噴水は見事な変貌である。 |
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港の見える丘公園(香りの庭) 沈床花壇 |
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港の見える丘公園(香りの庭) 沈床花壇 |
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港の見える丘公園(香りの庭) 沈床花壇
香りの庭のデザイン
この沈床花壇は、低く下がった地形で大きく育ったカイヅカイブキに囲まれており、香りが溜まりやすい環境になっています。この環境を活かして、平成27年度の改修工事では、「香り」をテーマとした庭がつくられました。 噴水を中心に4つに分かれた花壇には、それぞれに異なるバラの香りのテーマ(「ダマスク」「フルーツ」「ティー」「ミルラ」)を決めて、テーマに合わせた香りのバラを集めています.
4つの花壇には、バラのアーチを設けて、バラの香りが降り注ぐ中を散策できる回廊となっています。
外周部には、香水の原料となるバラ(カザンラク、ローズ ドゥ メ)が植えられています。
また、バラ以外にも「サクラ‘スルガダイニオイ’」等100種類以上の香りある植物が植えられています。
季節によって変わる植物の香りをぜひ体験してみて下さい。
庭の概要
面積 約2,500u バラ品種 約100種類
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港の見える丘公園(香りの庭) 沈床花壇
案内の上部は何度も写真を撮ったが反射光が写ってしまい、解読不可能だった。 |
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港の見える丘公園(ハンギングバスケットの丘) 展望台広場
100基以上の迫力あるハンギングバスケットが並ぶ風景と、横浜港を一望できる風景が織りなす、潮風感じる丘の上のガーデンです。ハンギングバスケットコンテストの作品も展示されます。 |
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港の見える丘公園(ハンギングバスケットの丘) 展望台広場 |
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港の見える丘公園(ハンギングバスケットの丘) 展望台広場 |
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港の見える丘公園(ハンギングバスケットの丘) 展望台広場 |
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港の見える丘公園 展望台から見えるベイブリッジ |
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港の見える丘公園 展望台から見える大桟橋
大桟橋には大型クルーズ船が停泊している。 |
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港の見える丘公園(ハンギングバスケットの丘) 展望台広場 |
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港の見える丘公園(ハンギングバスケットの丘) 展望台広場 |
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港の見える丘公園 展望台広場 熱中症計は危険
現在時刻は12:20で、温度33.3℃、湿度は33%、熱中症計は危険である。
前回は外国人墓地入口角の突き当りの小公園で、時刻は12:00で、温度30.2℃、湿度は45%、熱中症計は危険だった。わずか20分で温度は3℃上がり、湿度は12%下がった。
水分補給は必須で、前回熱中症計をチェックした時に買ったスポーツインエ料もあっという間に半分を切った。 |
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港の見える丘公園 フランス山地区 展望台からの入口 |
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港の見える丘公園 フランス山地区 林間広場 愛の母子像
昭和52年9月27日、横浜市緑区荏田町(現青葉区荏田北)に米軍機が墜落し、市民3人(母と幼い子二人)が亡くなりました。
生前に海が見たいと願っていたことから、この公園に愛の母子像の寄付を受け設置したものです。 |
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港の見える丘公園 フランス山地区 全国都市緑化よこはまフェア みなとガーデン2017 案内 |
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港の見える丘公園 フランス山地区 旧フランス領事官邸遺構 風車
1896(明治29)年にフランス領事館とその官邸が建設された時、このフランス山には井戸水を汲み揚げるための風車が設置されました。風車が設置されたのは、レンガ造り井戸の遺構が残されている場所です。 残念ながら、フランス領事公邸で使用されていた風車の形は、写真などの資料が残されていないため判りません。しかし、同時代に使われていた「フェリス女学院の赤い風車」や「ヴィラ・サクソニアの風車」の写真から、多翼型の風車であったろうと思われます。なおフランス山の風車は、フランスに残されている資料から、1909(明治42)年頃までは存在していたようです。 今回、フランス山の公園整備に際し、かつてのフランス山をしのぶモニュメントとして、多翼型の風車を設置しました。風車の色は、フランス国旗の色にちなんでトリコロール(青・白・赤)に塗り分けられています。また、風車が回ると水を汲み揚げるようになっています。 今回の公園整備に伴う工事の際に、風車のレンガ造り基礎が井戸の北側斜面に2基、南側にやや小さめの基礎が2基の合計4基です。北側の基礎は、斜面の基礎に支障をきたすため、掘り上げて新たに設置した風車を中心に、元の位置に合わせて展示しました。また南側の1基はそのままで、もう1基は園路の下に現状保存しています。 |
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港の見える丘公園 フランス山地区 旧フランス領事官邸遺構 風車 |
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港の見える丘公園 フランス山地区 旧フランス領事官邸遺構
1862年9月(文久2年8月)に起きた生麦事件など、攘夷派による外国人殺傷事件が相次いだため、フランスは、横浜居留地に住む自国民の保護と居留地の防衛を目的に、イギリスとともに軍隊の駐屯を決定しました。 1863年6月下旬(文久3年5月)フランス海兵隊が横浜に到着し、山手居留地185番に駐屯を開始、7月、8月頃、駐屯軍兵舎が186番に3棟建設されました。1875(明治8)年3月に撤退するまでの約12年間、部隊の交替をくり返しながら駐屯を続けました。これがフランス山と呼ばれるようになった由来です。 撤退により兵舎が不要となったので、海兵隊当局はフランス山の永代借地権をフランス駐日外交代表部に譲渡しました。横浜駐在のフランス領事はここに領事館を建設する提案をしましたか、なかなか実現しないでいたところ、1885(明治18)年になってフランス人居留民の有志らが領事館建設の嘆願書を提出しました。このことがきっかけとなって計画が具体化し、1894(明治27)年にフランス人建築家サルダの設計で、領事館と領事官邸の新築工事が始まりました。1896(明治29)年3月、山手185番(フランス山下方)に領事館、12月に山手186番(フランス山上方)に領事官邸が完成します。領事官邸には、風車の付いた井戸が掘られました。 1923(大正12)年、関東大震災により、領事館・領事官邸ともに倒壊します、震災後、領事館は仮設の建物を使用していましたが、官邸は、1930(昭和5)年、スイス人建築家ヒンデルの設計で山手186番に再建されました。その官邸も、戦後まもない1947(昭和22)年には火災で焼失してしまいます。現存している遺構は、その際に焼け残った1階部分です。 |
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港の見える丘公園 フランス山地区 庭園広場
旧フランス領事官邸遺構の先には庭園広場があり、その先には急な階段があってバルタール・パビリオン(広場)に向かう。 |
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港の見える丘公園 フランス山地区 庭園広場からバルタール・パビリオン(広場)へ
雨天時には足元注意の掲示があるほど急な階段である。
時折階段を上ってくる人がいるが、高齢者は言うまでもなく、若い女性でも息を切らして休憩しながら上ってくる。当方は下りるのでさしてきつくはなく、問題なく歩いていける。 |
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港の見える丘公園 フランス山地区 庭園広場からバルタール・パビリオン(広場)へ |
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港の見える丘公園 フランス山地区 バルタール・パビリオン(広場)
沿革 パリの中央市場は、12世紀以来パリ中心部のレ・ア−ル(LES HALLES)地区に存在していました。19世紀後半ナポレオン三世時代にオスマン市長が建築家バルタールに設計を依頼し新たな姿にしたものがこの建造物です。 全体は、12棟で構成され1854年〜1858年に6棟が建てられ1860年〜1866年に3棟、1886年に1棟そして最後の2棟は1935年に完成しました。 市場は、主要部分を占める地上階と倉庫である地下階部分とから成っていました。地上階の鉄骨上屋は、パリ郊外に復元されており、当公園に設置されたこの構造体は地下階部分のものとして、上部構造を支え、柱、アーチ・梁等すべて鋳鉄製で構成されている珍しいものです。 建設時期は、エッフェル塔より前であり、初期の鉄骨様式を知るうえで貴重なものであります。 |
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港の見える丘公園 フランス山地区 バルタール広場 |
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港の見える丘公園 フランス山地区 バルタール広場 |
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元町通りを西進 山手迎賓館(元町)
フランス山を出てすぐの交差点を渡る。左折すると谷戸坂で、上ると港の見える丘公園前交差点に出る。 |
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元町通りを西進 |
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みなとみらい線 元町・中華街駅
駅名表示板の上に下記内容の案内板が掲示されている。
港の見える丘公園/山手西洋館へは
この奥よりエレベーター・エスカレーターをご利用ください。
この内容を見てピンとくる人は少ないだろう。改札口の左手奥にエレベーターなどがあり、それを使うとアメリカ山公園に簡単、かつ楽に行くことが出来る。アメリカ山公園からは港の見える丘公園に簡単に行くことは今回のコースで明白である。 |