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川越七福神 第三番 喜多院(大黒天) 慈眼堂 川越七福神 第三番 喜多院(大黒天) 慈眼堂 
川越七福神 第三番 喜多院(大黒天) 慈眼堂 川越七福神 第三番 喜多院(大黒天) 慈眼堂 

 天海僧正は寛永二十年(一六四三)十月二日寛永寺において入寂し、慈眼大師の謐号をおくられた。そして三年後の正保二年(一六四五)には徳川家光の命によって御影堂が建てられ、厨子に入った天海僧正の木像が安置されたのが、この慈眼堂である。一名開山堂ともよび、桁行三間(五・四五m)、梁間三間で、背面一間通庇付の単層宝形造、本瓦葺となっている。宝形造は、四方の隅棟が一ヵ所に集まっている屋根のことで、隅棟の会するところに露盤があり、その上に宝珠が飾られている。
川越七福神 第三番 喜多院(大黒天) 慈眼堂 川越七福神 第三番 喜多院(大黒天) 慈眼堂 
川越七福神 第三番 喜多院(大黒天) 慈眼堂裏の歴代住職墓所 川越七福神 第三番 喜多院(大黒天) 慈眼堂裏の歴代住職墓所 

説明板はほとんど読めないが、喜多院歴代住職の墓所である。
川越七福神 第三番 喜多院(大黒天) 慈眼堂裏の歴代住職墓所 川越七福神 第三番 喜多院(大黒天) 慈眼堂裏の歴代住職墓所 

中央に「南光坊 慈眼大師」の碑がある。南光坊慈眼大師とは、天海大僧正のことである。
川越七福神 第三番 喜多院(大黒天) 慈眼堂からの境内風景 川越七福神 第三番 喜多院(大黒天) 慈眼堂からの境内風景 
川越七福神 第三番 喜多院(大黒天) 慈恵堂(本堂) 川越七福神 第三番 喜多院(大黒天) 慈恵堂(本堂) 

比叡山延暦寺第18代座主の慈恵大師良源をまつる大師堂として親しまれ、潮音殿とも呼びます。
川越七福神 第三番 喜多院(大黒天) 境内風景 川越七福神 第三番 喜多院(大黒天) 境内風景 
川越七福神 第三番 喜多院(大黒天) 鐘楼門 川越七福神 第三番 喜多院(大黒天) 鐘楼門 

2階建ての階上に梵鐘を吊るし、前面には竜、背面には鷹の彫刻があります。
川越七福神 第三番 喜多院(大黒天) 山門 番所 川越七福神 第三番 喜多院(大黒天) 山門 番所 
川越七福神 第三番 喜多院(大黒天) 山門 番所 川越七福神 第三番 喜多院(大黒天) 山門 番所 

 山門は四脚門、切妻造で本瓦葺もとは後奈良天皇の「星野山」の勅額が掲げられていた。冠木の上の斗供に表には竜と虎、裏には唐獅子の彫ものがあるほか装飾らしい装飾もないが、全体の手法が手堅い重厚さをもっている。棟札も残っており、天海僧正が寛永九年(一六三二)に建立したもので同十五年の大火を免れた喜多院では最古の建造物である。
 山門の右側に接続して建っているのが番所で間口十尺(三・○三m)、奥行二間半(四・五五m)、起屋根、瓦葺の小建築で徳川中期以降の手法によるもので、県内に残るただ一棟の遺構である。
川越七福神 第三番 喜多院(大黒天) 境内風景 川越七福神 第三番 喜多院(大黒天) 境内風景 
川越七福神 第三番 喜多院(大黒天) 多宝塔 川越七福神 第三番 喜多院(大黒天) 多宝塔 

 「星野山御建立記」によると、寛永一五年九月に着手して翌十六年(一六三九)に完成、番匠は平之内大隅守、大工棟梁は喜兵衛長左衛門だったことがわかる。この多宝塔はもと白山神社と日枝神社の間にあった。明治四十五年道路新設のため移築(慈恵堂脇)されたが、昭和四十七年より復元のため解体が行われて昭和五十年現在地に完成した。
多宝塔は本瓦葺の三間多宝塔で下層は方形、上層は円形でその上に宝形造の屋根を置き、屋根の上に相輪をのせている。下層は廻縁を回らし、軒組物は出組を用いて四方に屋根を葺き、その上に漆喰塗の亀腹がある。この亀腹によって上層と下層の外観か無理なく結合されている。円形の上層に宝形造の屋根をのせているのて組物は四手先を用いた複雑な架構となっいるが、これも美事に調和している。相輪は塔の頂上の飾りで九輪の上には四葉、六葉、八葉、火焔付宝珠がのっている。この多宝塔は慶長年間の木割本「匠明」の著者が建てた貴重なる遺構で名塔に属している。
川越七福神 第三番 喜多院(大黒天) 多宝塔 川越七福神 第三番 喜多院(大黒天) 多宝塔 
川越七福神 第三番 喜多院(大黒天) 喜多院案内図 川越七福神 第三番 喜多院(大黒天) 喜多院案内図 
川越七福神 第三番 喜多院(大黒天) 喜多院案内図 川越七福神 第三番 喜多院(大黒天) 喜多院案内図 
川越七福神 第三番 喜多院(大黒天) 喜多院案内図 川越七福神 第三番 喜多院(大黒天) 喜多院案内図 

 伝説によるとその昔仙波辺の漫々たる海水を仙芳仙人の法力によりとり除き尊像を安置したというが、平安時代、天長七年(八三〇)淳和天皇の勅により慈覚大師が創建された勅願寺で本尊阿弥陀如来を祀り無量寿寺と名づけた。その後鎌倉時代、元久二年(一二〇五)兵火で炎上の後、永仁四年(一二六九)伏見天皇が尊海僧正に再興せしめられたとき、慈恵大師(厄除元三大師)を勧請して官田を寄せられ関東天台の中心となった。正安三年(一三〇一)後伏見天皇は星野山(現在の山号)の勅額を下した。更に室町時代、天文六年(一五三七)北條氏綱、上杉朝定の兵火で炎上した 江戸時代、慶長四年(一五九九)天海僧正(慈眼大師)が第二十七世の法統をつくが、同十六年(一六一一)十一月徳川家康公が川越を訪れたとき寺領四万八千坪及び五百石を下し、酒井備後守忠利に工事を命じ、仏蔵院北院を喜多院と改め、四代家綱のとき東照宮に二百石を下すなど大いに寺勢をふるった。寛永十五年(一六三八)一月の川越大火で現存の山門を除き堂宇はすべて焼失した。 そこで三代将軍家光公は堀田加賀守正盛に命じてすぐに復興にかかり、江戸城紅葉山(皇居)の別殿を移築して客殿、書院等に当てた。家光誕生の間、春日局(家光公の乳母)の間があるのはそのためである。その他慈恵堂(本堂)、多宝塔、慈眼堂、鐘楼門、東照宮、日枝神礼などの建物を数年の間に再建し、それらか今日文化財として大切に保存されているのである。(以下略)
川越七福神 第三番 喜多院(大黒天) 川越七福神 第三番 喜多院(大黒天) 

小江戸川越七福神
喜多院(天台宗)

第三番 大黒天
 大黒天は古代インドの神様て、密教では大自在天の化身、生産の神様です。くろ(黒)くなってまめ(魔滅)に働いて大黒天を拝むと、財宝糧食の大福利益が得られます。

秋の七草  萩
 しら露もこぼさぬ萩のうねり哉
                芭蕉

 萩の名は古い株から芽を出す生え芽(ぎ)から出たといわれ、山萩の別名です。山野に多く、七〜九月に紅紫色の蝶形花を開きます。

花言葉ー想い
川越七福神 第三番 喜多院(大黒天) 参道 川越七福神 第三番 喜多院(大黒天) 参道 
川越七福神 第三番 喜多院(大黒天) 境内風景 川越七福神 第三番 喜多院(大黒天) 境内風景 




 
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