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古き良き時代の町並み 小江戸川越 七福神めぐりH240121





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 川越駅〜寿老人 天然寺〜大黒天 名刹 喜多院

 前日の初雪に続く氷雨の中を歩いたが、3社共催だが西武が主体のコースマップには道路名、交差点名、有名な建物などの目安となるものが全く無く、粗すぎて、ただでさえ住宅街を右に左に曲がっていくため苦労した。

 川越駅東口を出て、最初の交差点で右折案内に従い、続いて左折して妙善寺(毘沙門天)へ着く。県道39号(川越坂戸毛呂山線)を渡り直進、住宅街を右に左に曲がり、川越胃腸病院前を北上して第二番天然寺(寿老人)に至る。

 天然寺門前で右折、国道16号バイパスへ出て直ぐ左折、住宅街を右に左に曲がり、川越福音自由教会前を歩いて仙波三丁目交差点に着く。ここから喜多院までは、片道1車線だが、歩道がついた初めてのまともな道で、直進する。石州浜田(島根県浜田市)藩士の菩提寺で、移封ごとに移築した光西寺、江戸時代以前は喜多院より勢力をもっていた中院と経て、仙波東照宮に入り、随身門、石鳥居と過ぎ、拝殿の急坂前で右折して隣接する喜多院へ向かう。

 仙波東照宮から隣接する第三番喜多院(大黒天)に入る。喜多院は平安時代の天長7年(830)に淳和天皇の勅により慈覚大師が創建された勅願寺で、天海僧正(慈眼大師)が住職になってから徳川家康、家光等の手厚い庇護を受けた。天海僧正の木像が安置された慈眼堂、その裏の歴代住職墓所、慈恵堂(本堂)、鐘楼門、山門、番所や多宝塔と見物後、参道から出る。

 恵比寿天 成田山川越別院〜川越城本丸御殿〜蔵造りの町並み

 第四番成田山川越別院(ゑびす天)は、ベリー来航の年に、廃寺を成田山新勝寺の別院として再興した。さすがに川越の観光名所である喜多院界隈は道案内が充実しているが、やはり右往左往しながら川越市立診療所前を進み、裸木のイチョウ並みの参道を歩いて三芳野神社に着く。平安時代の初期に成立したと伝えられ、川越城内の天神曲輪に建てられている。左脇を歩き、川越城本丸御殿、川越市立美術館、川越市立博物館と進み左折、川越城中ノ門堀跡を経て川越市役所前を西進する。

 札の辻交差点で左折、様々な土産物店が並ぶ小江戸川越の名所蔵造りの町並みへ入り、南下して時の鐘入口交差点で左折、鐘つき通りへ進む。時の鐘は、川越城主酒井忠勝により建設されたと伝えられる。蔵造りの町並みを南下、第八十五国立銀行(現 埼玉りそな銀行川越支店)を過ぎ、仲町交差点で左折して大正夢浪漫通りに進み南下、道案内標識に従い右折して突き当りの蓮馨寺に着く。第五番蓮馨寺(福禄寿神)は天文18年(1549)、当時の川越城主大導寺政繁が開山し、塗り替えられたおびんずる様がある。蔵造りの町並みを北上し札の辻交差点で左折、高澤通り(県道39号(川越坂戸毛呂山線))へ出る。

 菓子屋横丁〜弁財天 妙昌寺〜本川越駅

 高澤通り(県道39号(川越坂戸毛呂山線))を左折し、菓子屋横丁へ入る。菓子屋横丁は、江戸時代の末期から明治時代の初めごろに、菓子を製造したのが始まりといわれる。新河岸川に架かる高沢橋手前で左折、赤穂浪士矢頭右衛門七妹の墓がある第三番見立寺(布袋尊)に至る。

 新河岸川を下り、最初の橋で左折、いつものように住宅街を右往左往して第七番妙昌寺(弁財天)に着き、本堂左の坂を下ると弁財天を祀る末社がある。妙昌寺から出て住宅街を東進、突き当りのルネサンスシティ川越前を右折して南下、連雀町交差点手前で右折して県道229号(本川越停車場線)に進み、西武本川越ペペを過ぎて西武本川越駅のゴールに至る。







 
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