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北千住駅〜旧千住宿(本町〜千住仲町)

【関連サイト】   日比谷線H1912
日比谷線H1912(旧日光街道 千住宿)
   

歴史点描 旧街道散策(日光街道 散策)

東武伊勢崎線H2303(墨堤通り〜旧日光街道〜北千住駅)


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東京メトロ 日比谷線 始発 北千住駅 東京メトロ 日比谷線 始発 北千住駅 

日比谷線は北千住駅を始発とし、上野、秋葉原、日比谷、六本木を経て中目黒駅を終点とする。
駅数 21、営業距離 20.3km

【撮影記録】
平成24年 7月 9日 晴れ
10:00〜12:15 12,000歩(概算 8.4km 地図上 7.7km)
日比谷線 北千住〜秋葉原
営業距離 6.8km 駅数 7

体調不良やら悪天候やらで2週間ぶりに歩いたが、梅雨とは思えない天気でいささか歩き始めではバテ気味だった。
4年半ぶりに歩くとアチコチ変わっているし、昨年の大震災の復興がまだ終わっていなかったりと定点観測の効果が出ている。
北千住駅コンコースを西進 つくばエクスプレス 北千住駅コンコースを西進 つくばエクスプレス 

1年4ヶ月前の平成23年3月に東武伊勢崎線の沿線散策で北千住駅を訪れた。(因みに東日本大震災の前日であった。)その時には東武線改札口には「東京スカイツリーライン」の表示はなく、反対側は「東口」だったが、「電大口」となっていた。
今年(平成24年)4月に東口一帯に東京電機大学が東京千住キャンパスを開設、本部がある。その通称を採って「「電大口」としている。

東京電機大学と言えば、内神田の大学で「電機大」というのが普通であり、「電大」には違和感がある。
北千住駅コンコースを西進 JR常磐線 北千住駅コンコースを西進 JR常磐線 
北千住駅 西口 北千住駅 西口 

日光街道最初の宿場町でもあった北千住は、JR常磐線、東京メトロ(旧営団)日比谷線、千代田線、東武伊勢崎線、つくばエクスプレスのターミナル駅でもある。
北千住駅 西口広場 北千住駅 西口広場 
北千住駅西口交差点から見た駅ビル 北千住駅西口交差点から見た駅ビル 
北千住駅西口交差点 熱中症計は注意 北千住駅西口交差点 熱中症計は注意 

現在時刻は10:05で、熱中症計は、温度(28.1℃)と湿度(36%)である。
北千住駅 西口商店街 最初の交差点で右折、宿場町通りへ 北千住駅 西口商店街 最初の交差点で右折、宿場町通りへ 

宿場町通りに入り、角のビル(ECC英会話の表示がある)で左折すると本陣跡の案内板がある。

宿場町通りを北上すると、千住宿の高札場跡や、伝馬屋敷の横山家などの遺構が残る。
北千住駅 宿場町通り 旧日光街道 千住宿 本陣跡 北千住駅 宿場町通り 旧日光街道 千住宿 本陣跡 

 この案内板がある小道は千住二丁目と千住三丁目の境界をなす通りで北千住駅前通りが全通する昭和初期迄はかなり重要な通りでした。

●千住本陣跡(緑の部分)
 この案内板の北側一帯が本陣(大名等専用の宿屋)で千住宿ではここ一ヶ所だけでした。敷地は三百六十一坪、建坪百二十坪であったと記録されています。
●明治天皇行在所跡(青の付近)
 明治九年の明治天皇の東北御巡行の砌。この地に泊られ皇后陛下御一行と送別の宴を当時千住最大の旅篭であった中田屋の別館で催されました。そのためそこを行在所(天皇陛下が一時的に滞在する所)といいました。
●千住見番跡(赤の付近) 
 江戸時代から千住宿には遊女(食売女)を置いていい旅篭が五十軒ほどありました。明治にこれが禁止されると千住芸妓組合が成立し、その事務所(見番)がこの地に置かれました。花街が千住柳町に移転させられた大正八年以降も昭和十八年迄営業していたといいます。そのためこの通りを「見番横丁」といっていたそうです。
●丁目境の筋違(赤線枠の部分) 
 各丁目毎にその境界は街道に対して出入をつけてぃたのですが一〜ニ丁目、三〜四丁目の境界が拡幅等でわからなくなってしまったのに対し、ここは旧街道に対してニ丁目側と三丁目側の正面が違うのがはっきり見られます。
北千住駅 西口商店街 最初の交差点で左折、本町商店街へ 北千住駅 西口商店街 最初の交差点で左折、本町商店街へ 
旧日光街道 千住宿(本町商店街)を南下 旧日光街道 千住宿(本町商店街)を南下 
旧日光街道 千住宿(本町商店街)を南下 旧日光街道 千住宿(本町商店街)を南下 
旧日光街道 千住宿(本町商店街) 東京芸術センター 旧日光街道 千住宿(本町商店街) 東京芸術センター 

手前に千住宿 問屋場・貫目改所跡の碑と案内がある。
旧日光街道 千住宿(本町商店街) 問屋場・貫目改所跡の碑 旧日光街道 千住宿(本町商店街) 問屋場・貫目改所跡の碑 
旧日光街道 千住宿(本町商店街) 問屋場・貫目改所跡 旧日光街道 千住宿(本町商店街) 問屋場・貫目改所跡 

旧日光街道の西側にあたるこの場所には、江戸時代に千住宿の問屋場と貫目改が置かれていました。
 宿場は、幕府の許可を得た旅行者に対して、人足と馬を提供することを義務づけられてぃました。千住宿は、50人、50疋てす。この問屋場で、人馬の手配をしました。問屋場は元禄8年(1695)に設けられました。また、寛保3年(1743)に貫目改所が設けられ、荷物の重量検査のための秤が備えられました。馬に積める荷物には制限があり、40貫目(150kg)を積むと本馬、20貫目あるいは人が乗って5貫目の手荷物を積んだものを軽尻と呼び、次の草加宿までの運賃が定められていました。
旧日光街道 千住宿(千住仲町商店街)を南下 旧日光街道 千住宿(千住仲町商店街)を南下 
旧日光街道 千住宿(千住仲町商店街) 足立区コミュニティバス はるかぜ 千住仲町バス停 旧日光街道 千住宿(千住仲町商店街) 足立区コミュニティバス はるかぜ 千住仲町バス停 
旧日光街道 千住宿(千住仲町商店街) 足立区コミュニティバス はるかぜ 千住仲町バス停 旧日光街道 千住宿(千住仲町商店街) 足立区コミュニティバス はるかぜ 千住仲町バス停 

路線図によると上下のピンクの線が日光街道(国道4号)で、その東西を巡回する。
旧日光街道 千住宿(千住仲町商店街) 千住仲町交差点で墨堤通りを渡る 旧日光街道 千住宿(千住仲町商店街) 千住仲町交差点で墨堤通りを渡る 

千住仲町交差点の右角に源長寺(延命子育て地蔵)がある。
旧日光街道 千住宿(千住仲町商店街) 千住仲町交差点 源長寺(延命子育て地蔵) 旧日光街道 千住宿(千住仲町商店街) 千住仲町交差点 源長寺(延命子育て地蔵) 

源長寺は、慶長三年(一五九八)この地に住み開拓した石出掃部亮吉胤により、同十五年(一六一〇)一族の菩提寺として開かれたが、千住大橋架橋等に尽した郡代伊奈備前守忠次を敬慕してその法名にちなむ寺号を付して開基としている。
 本尊は、阿弥陀如来である。

山門の右手に延命子育て地蔵がある。
旧日光街道 千住宿(千住仲町商店街) 千住仲町交差点 源長寺(延命子育て地蔵) 旧日光街道 千住宿(千住仲町商店街) 千住仲町交差点 源長寺(延命子育て地蔵) 
旧日光街道 千住宿(千住仲町商店街) 千住仲町交差点 源長寺(延命子育て地蔵) 旧日光街道 千住宿(千住仲町商店街) 千住仲町交差点 源長寺(延命子育て地蔵) 
旧日光街道 千住宿(千住仲町商店街) 千住仲町交差点で墨堤通りを渡る 旧日光街道 千住宿(千住仲町商店街) 千住仲町交差点で墨堤通りを渡る 



 
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