|
早稲田通り 寺町 正見寺
上落合二丁目交差点を過ぎると早稲田通りの右側(北側)には様々な寺が続き、寺町を構成している。 |
|
早稲田通り 寺町 青原禅寺 |
|
早稲田通り 寺町 高徳寺(新井白石墓)
本堂の左奥に墓地があるが、特に案内はなく、新井白石の墓は見つけられなかった。 |
|
早稲田通り 寺町 高徳寺(新井白石墓)
江戸中期の朱子学者、政治家。名は君美、通称勘解由、白石は号。木下順庵に朱子学を学び、その推挙により甲府の徳川網豊(のちの家宣)の儒臣となり、宝永六年(一七〇九)家宣が将軍になると幕臣として、間部詮房とともに家宣を補佐。正徳の治を開き、教学と政治の一致につとめた。
武家諸法度改訂、貨幣改鋳、海舶互市新令の施行、儀式典礼の整備などはそのおもな事績である。享保元年(一七一六)引退。学者として特にすぐれ合理性と実証を重んじ、朱子学的思考と実践の結合した合理主義者であり、日本古代史に合理的解釈を試み、外国事情にも意を用いた。主著「藩翰譜」「続史余論」「西洋紀聞」「采覧異言」「折たく柴の記」など。 |
|
早稲田通り 白桜小学校入口交差点 |
|
早稲田通り 寺町 松源寺(さる寺)
出世正観世音菩薩が安置されている。 |
|
早稲田通り 寺町 松源寺(さる寺) |
|
早稲田通り 寺町 保善寺(通称 獅子寺)
盛高山保善寺といい御本尊は釈迦牟尼佛をまつる。
開山は勅特賜円明宝鑑禅師蟠翁門龍大和尚で武田信玄の従弟にあたる。文禄二年(西暦一五九三年)の創建。三代将軍家光公牛込酒井邸にあそびし折り当山に立寄られ獅子に似た犬を賜う。以後獅子寺と称す。
明治三十九年牛込通寺町より当地に移る。本堂正面に月舟禅師筆「獅子窟」の額をかかぐ。 |
|
早稲田通り 寺町 保善寺(通称 獅子寺) |
|
早稲田通り 寺町 保善寺(通称 獅子寺) |
|
早稲田通り 上高田二丁目交差点
全ての寺を撮ったわけではないが、この交差点手前で長い寺町は終わる。 |
|
早稲田通り 大妻中野中学・高校 |
|
早稲田通り 薬師柳通り入口交差点
交差点名はなく、薬師柳通りの看板がある。右折し北上すると新井薬師に着く。 |
|
早稲田通り 新井交差点で左折、中野通りへ |
|
早稲田通り 新井交差点手前 中野ブロードウェイ商店街
早稲田通りと中野通りが交差する新井交差点の手前で、昭和36年(1961)にオープンしたアメリカのショッピングモール形式の商店街。地下1階から地上4階までのビルの中に、食料品やファッションのほが、アニメやフィギュアなど趣味のショップが充実しており、わざわざここを目指してくる人も多いという。
一見アーケードの中を歩いているようだが、ショッピングモールの中を歩いている。
ここに立ち寄ると中野区役所前の中野犬屋敷跡に行きにくくなるので、通り過ぎた。 |
|
早稲田通り 新井交差点で左折、中野通りへ |
|
中野通り 新井交差点 なかのサンクォーレタワー |
|
中野通り 新井交差点 なかのサンクォーレタワー |
|
中野通りを南下 |
|
中野通り 中野サンプラザ |
|
中野通り 中野区役所前交差点で右折 |
|
中野通り 中野サンプラザ、中野区役所
中野サンプラザの横に低層の中野区役所がある。 |
|
中野区役所 |
|
中野区役所 中野犬屋敷跡
中野区役所の壁沿いにひっそりとあり、一見すると犬の群像の様で見落とすが、歴史に悪評高く、大久保の犬屋敷が手狭になって造られた犬屋敷跡である。 |
|
中野区役所 中野犬屋敷跡
この付近一帯は、徳川五代将軍綱吉の時代(元禄八年=1695年)に作られた、「犬屋敷」があったところです。
犬の像は、その歴史を語り伝えようと、東京セントラルライオンズクラブが寄贈したものです。 |
|
中野通り 中野駅北口交差点を過ぎ、JRの高架下を進む |
|
JR 中野駅 南口広場 |
|
東京メトロ 東西線/JR 総武線 中野駅 |