都営 三田線H1909
【始めに】
それまでただ歩くだけだったが、デジカメを買ってニューヨークで撮った経験から、ウォーキングの思い出を残すホームページ開設を思い立った。当時勤めていた会社が日比谷公園の前にあり、通勤に使っていた三田線を平成14年に撮ったのが皮切りであった。
その後5年経って当時と大きく街も変わり、撮影しなかった多くの場所とのリンクも不足している不備が目立ってきた。そのため、平成19年9月に三田線を歩きなおし、写真も3倍になっただけでなく、多くのリンクを張り直してガイドブックのような機能も充実させた。
目黒通りを東進、白金台駅手前でオープンカフェなどの店が並び、プラチナ通りとも呼ばれる外苑西通りが左に分岐する。加藤清正所縁の覚林寺がある清正公交差点で桜田通り(国道1号線)と合流、白金1丁目交差点で三田線は右にカーブ市、魚藍坂に向う。
魚藍坂下交差点界隈は赤穂義士所縁の地が多い。墓所の泉岳寺、大石内蔵助が切腹した細川藩邸跡、赤穂義士の切腹を献言した荻生徂徠の墓がある。さらに、浅野内匠頭が切腹した田村藩邸跡は日比谷通りの新橋4丁目交差点すぐの道沿いにある。
徳川家菩提寺である芝増上寺の境内だった芝公園は、芝公園駅から御成門駅まで延々と続く。芝東照宮、修復されて朱色が鮮やかな旧台徳院(徳川秀忠)霊廟惣門、三解脱門、有章院(徳川家継)霊廟二天門が建っている。
帝国ホテルと日生劇場の間のみゆき通りを歩くと、再開発中だった旧みゆき座の東宝日比谷ビルが再来月にオープンする。左折して日比谷シャンテ、日比谷三井ビル、解体中の三信ビルを経て晴海通りを渡り、桜田通り(日比谷交差点で日比谷通りと合流)に戻る。お堀沿いに歩き、和田倉門で大手町駅に到る。
読売新聞社前で左折、神田明神の故地でもある平将門塚を経て、内堀通りに出る。平将門塚は伊達騒動で原田甲斐などが殺害された酒井雅楽頭の上屋敷であった。一ツ橋河岸交差点から白山通りに出て、神保町交差点に向う。
水道橋駅を過ぎると、白山通りの左側はかっての後楽園遊園地である東京ドームシティが延々と続く。地下鉄丸の内線後楽園駅隣には柔道のメッカ講道館がある。白山下交差点で旧白山通りに入ると紫陽花でも有名な白山神社がある。東洋大学白山キャンパス前を歩いて千石駅前交差点で白山通りと合流する。不忍通りを渡り、進むと巣鴨に着く。
白山通りを北上、都電荒川線の新庚申塚駅脇を通り、明治通りを渡って新板橋駅と板橋区役所前駅の中間にある旧中山道の板橋宿に入る。板橋宿は平尾宿、中宿、上宿の三宿で構成され、中宿との境に板橋区役所駅がある。板橋は石神井川に架かる橋で、渡ると上宿である。志村坂上で道の両側に一目で分る見事な木と石垣が揃っている志村一里塚がある。志村氏の居城があった城山公園を経て高島通りを西進、西高島平駅に至る。