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日比谷通り 神田橋 丸の内シャトル
コミュニティバスがマイクロバスなのに対し、丸の内シャトルは三菱グループなどの大企業が費用負担しており、大型の観光バスである。 |
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日比谷通り 第二合同庁舎交差点で右折 |
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内堀通りへの道を進む
手前から新築の経団連会館、JAビル、日経ビルが建てられている。大名小路にあったビルが移転している。 |
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日経ビル |
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丸の内シャトル #3 日経ビル |
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JAビル、日経ビル
右がJAビル、左が日経ビルであるが、どちらも同じようなデザインに見える。 |
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経団連会館、JAビル
右が経団連会館、左がJAビルである。 |
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丸の内シャトル #4 経団連会館・JAビル |
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第二合同庁舎交差点で右折、日比谷通りへ |
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日比谷通り 読売新聞社 |
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丸の内シャトル #5 読売新聞 |
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日比谷通り 読売新聞社前交差点
交差点を右折、内堀通りに向かって歩くと神田明神の祭神の一人である平将門首塚がある。 |
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日比谷通り 大手町交差点 日本歯科大学発祥の地 |
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日比谷通り 大手町交差点 日本歯科大学発祥の地
中原市五郎は、この地に、明治四十年六月(一九〇七)、公立私立歯科医学校指定規則に基づくわが国最初の歯科医学校として、私立共立歯科医学校を創立した。わが国の歯科医療は黎明期にあり。「学・技両善にして人格高尚なる歯科医師の養成」を建学の目的とした。国民の生命と健康を守るため、歯・顎・口腔の医学を教導し、数多くの優れた歯科医師を輩出し、歯科医療の発展と患者の福祉に尽力した。明治四十二年に現在の千代田区富士見一丁目に移転し、日本歯科医学専門学校を経て昭和二十二年に日本歯科大学に昇格した。日本歯科大学は、私学として「自主独立」という建学の精神を継承し、生命歯学部と新潟生命歯学部の二学部をはじめ、大学院二、付属病院三、短期大学二、博物館一を有する世界最大の歯科大学となった。 |
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日比谷通り 大手町交差点 日本歯科大学発祥の地 |
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日比谷通り 大手町交差点で永代通りを渡る |
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丸の内シャトル #6 三井住友銀行
大手町交差点を渡った所にある。赤の目立つ標識が付いており、分かりやすい。 |