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蒲田駅前道路を西進 |
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大田区役所入口交差点で左折、環八通りへ |
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環八通りを南下 |
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環八通り 南蒲田交差点で右折、第一京浜へ
京急本線の高架に「上下線高架化完成」の横断幕が掲げられている。
環八通りで唯一の踏切がなくなり、車の流れもスムースである。環八通りを使って羽田に行くと、この踏切が開かずの踏切となって大渋滞だった。 |
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環八通り 南蒲田交差点で右折、第一京浜へ |
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第一京浜 南蒲田交差点での環八通りとの立体交差化工事
京急本線の高架化に続き、第一京浜の地下化での交差化工事が進められている。 |
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第一京浜 雑色駅入口交差点
右折すると下町風情の商店街のアーケードが続き、奥に雑色駅がある。 |
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第一京浜 六郷橋北詰交差点 側道に進む |
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第一京浜 六郷橋北詰交差点 側道に進む |
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突き当り 六郷橋との連絡道路脇を通り宮本台緑地へ
六郷橋の遺構がある宮本台緑地から連絡道路を挟んで旧東海道の北野天神(止め天神)や六郷の渡し跡がある。
連絡道路はけっこうスピードを出す車の交通量が多く、ガードレールを越して両者を見物することは危険である。旧東海道の遺構の方は、突き当りを右折し、最初の交差点で左折、小路を進めばいける。しかし、宮本台緑地には行く方法が分からなかった。たまたま、連絡道路と六郷橋の接続部分から人が出てきたので行ってみると人がやっと通れる通路があった。 |
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六郷橋 旧六郷橋遺構がある宮本台緑地 |
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六郷橋 旧六郷橋遺構がある宮本台緑地 |
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六郷橋 宮本台緑地 六郷橋のおいたち
貞享五年(一六八八)の大洪水で橋が流失してから、江戸の玄関口である東海道を横ぎる多摩川は、もっぱら渡船によって交通していた。
八幡塚村名主鈴木左内は、幕末から明治初年にかけての交通量の増加 を目前に見て、明治七年、左内橋 (木造橋)を架橋した。 しかし、木造橋では、破損のたびごとに幹線道路が、渡船に頼るという時代逆行をまねき、その上、自動車の発達もともなって、強度上から もその近代化が急がれた。 木造橋の鉄橋への架け換え計画は、大正三年にはじまったが、大正九年東京府と神奈川県で工費を相互に負担することで、着工のはこびとなった。大正一四年に開通した橋は、タイドアーチ式の近代的なものでその長さ四四六メートル、幅一六・四メートルにおよぶ長大橋であった。
しかし、交通量の激増、車輌の重量化に対応できなくなり、昭和六十年、新六郷橋が架橋された。
この緑地には、旧橋の橋門と親柱を当時の姿のまま保存している。 |
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六郷橋 宮本台緑地 六郷から丸子へ渡し場をめぐる歴史の散歩道
矢口の渡し、六郷の渡し、平間の渡しの説明がなされているが、摩滅が激しい。 |
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六郷橋 宮本台緑地 旧六郷橋の橋門と親柱 |
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六郷橋 宮本台緑地 旧六郷橋の橋門と親柱 |
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六郷橋 宮本台緑地 連絡道路の向かいにある旧東海道の北野天神(止め天神)や六郷の渡し跡
旧東海道の北野天神(止め天神)や六郷の渡し跡がガードレール越しに見える。片道一車線の道なので渡れそうに見えるが、右から六郷橋から下ってくる車のスピードが早く、危険である。北野天神へは楽に行けるだけに、いつも残念に思っていた。 |
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六郷橋 宮本台緑地から六郷橋への階段
第一京浜の六郷橋北詰交差点からは歩道はなく、自動車専用道路である。従って、川崎方面からは六郷橋を渡り、この階段を下りて宮本台緑地に行くことはできるが、蒲田方面からは今回のルートでしか辿りつけない。 |
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第一京浜 多摩川に架かる六郷橋 |
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第一京浜 多摩川に架かる六郷橋
東京側には広々とした河川敷が広がり、ゴルフの打ち放し場などがあるが、川崎側は直ぐ傍に堤防がある。 |
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六郷橋から側道の階段を下る
川崎側の堤防沿いに京急の大師線が走る。 |