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新橋駅〜汐留シオサイト〜浜松町駅

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JR 山手線 新橋駅 銀座口 JR 山手線 新橋駅 銀座口 

日比谷口から駅構内を歩いて銀座口に出る。
JR新橋駅 銀座口前で右折 JR新橋駅 銀座口前で右折 

左は外堀通りの新橋駅銀座口前交差点である。
JR新橋駅 汐留口 新橋駅前ビル1号館、汐留シオサイト JR新橋駅 汐留口 新橋駅前ビル1号館、汐留シオサイト 

地下駅の横須賀線に向かう地上出口の正面に新橋駅前ビル1号館がそびえ立ち、その後ろに汐留シオサイトの高層ビルが建つ。左は汐留シティセンター、右は日本テレビタワーである。
ゆりかもめ線 新橋駅 ゆりかもめ線 新橋駅 

汐留シオサイトを通って浜松町駅に向かう。
JR新橋駅 汐留口 鉄道唱歌の碑 JR新橋駅 汐留口 鉄道唱歌の碑 

「汽笛一声新橋の〜」の唱歌である。碑文は達筆すぎて、下の解説は字がかすれて判読できない。
JR新橋駅 汐留口 D51機関車の動輪 JR新橋駅 汐留口 D51機関車の動輪 

D51機関車は1936年(昭和11年)に誕生した機関車です。10年間で1,115両と、日本のSLでは一形式で最多の両数が製造され、戦前・戦後を通じて全国各地で、主に貨物用として活躍しました。「デゴイチ」などの愛称で親しまれ、蒸気機関車の代名詞にもなり、1975年(昭和50年)」のSL最後の運転まで重用され、使命を全うしました。展示されている動輪は、1976年(昭和51年)の総武・横須賀線乗り入れ記念として、北海道の札幌鉄道管理局から譲り受け、鉄道発祥の地である新橋駅に設置したものです。
JR新橋駅 汐留口 鉄道唱歌の碑 JR新橋駅 汐留口 鉄道唱歌の碑 

1957年(昭和32年)10月4日の鉄道開通85周年記念日に鉄道唱歌の作詞家、大和田建樹生誕100周年を記念して新橋駅に建立されました。鉄道唱歌は、長い間私たちのために働いた鉄道を讃えるだけでなく、明治時代の文学者大和田建樹自身が実際に汽車に乗ってつぶさに日本国内を旅行した見聞録です。
ゆりかもめ線 新橋駅 ゆりかもめ線 新橋駅 

エスカレーターで改札口に向かう。
ゆりかもめ線 新橋駅横から汐留シオサイトへ ゆりかもめ線 新橋駅横から汐留シオサイトへ 
汐留シオサイト ペデストリアンデッキを進む 汐留シオサイト ペデストリアンデッキを進む 

ゆりかもめ線の高架下に汐留シオサイトの施設を結ぶ連絡歩道があり、ペデストリアンデッキ(歩行者専用通路)という。
汐留シオサイト ペデストリアンデッキ 日本テレビタワー、ロイヤルパーク汐留タワー 汐留シオサイト ペデストリアンデッキ 日本テレビタワー、ロイヤルパーク汐留タワー 

右が新橋寄りの日本テレビタワー、左がロイヤルパーク汐留タワーである。
 汐留シオサイト ペデストリアンデッキ ゆりかもめ線が右に曲がる 汐留シオサイト ペデストリアンデッキ ゆりかもめ線が右に曲がる 

ロイヤルパーク汐留タワーの東角でゆりかもめ線は直角に右に曲がり、南下する。

右手前がロイヤルパーク汐留タワー、その奥が汐留メディアタワーで、左は電通本社ビルである。
汐留シオサイト ペデストリアンデッキ 突き当り界隈案内図 汐留シオサイト ペデストリアンデッキ 突き当り界隈案内図 
汐留シオサイト ペデストリアンデッキ 電通本社ビル 汐留シオサイト ペデストリアンデッキ 電通本社ビル 
汐留シオサイト ペデストリアンデッキ ゆりかもめ線 汐留駅 汐留シオサイト ペデストリアンデッキ ゆりかもめ線 汐留駅 

大江戸線の汐留駅は、ゆりかもめ線に汐留駅の地下にある。
汐留シオサイト ペデストリアンデッキ ゆりかもめ線 汐留駅 汐留シオサイト ペデストリアンデッキ  イタリア街 

ゆりかもめ線の高架越しに見えるイタリア街は、JRA(日本競馬会)のビルであるウィンズ汐留を始めとして、イタリアの町並みを構成している。反対側には港区立の小公園であるイタリア公園がある。
汐留シオサイト ペデストリアンデッキ  イタリア街 汐留シオサイト ペデストリアンデッキ 東京ツインパークス 


東京ツインパークスは2棟の高層マンションで、手前がレフトウイング、奥がライトウイングである。
汐留シオサイト ペデストリアンデッキ 東京ツインパークス 汐留シオサイト ペデストリアンデッキ ゆりかもめ線の高架沿いに南下 

高架沿いの道路は新橋日の出ふ頭線(都道481号)で、整備工事中である。
汐留シオサイト ペデストリアンデッキ ゆりかもめ線の高架沿いに南下 汐留シオサイト イタリア公園 
 汐留シオサイト イタリア公園 汐留シオサイト イタリア公園 

イタリア公園はJRの線路の東側にあり、汐留シオサイトの手前にある小公園である。

汐留シオサイトの公式ホームページには次のように書かれている。

日本の大衆に対するイタリアのイメージアップを図ることを目的として設立された「日本におけるイタリア 2001-2002 年財団」による様々なイベントの一環であり、日本とイタリア二国間の友情の永遠の証としてイタリアから日本への寄贈品です。古典的トスカーナ庭園を参考にシンメトリーと調和を尊重しつつ、限られた土地を利用して造られました。
 汐留シオサイト イタリア公園 汐留シオサイト イタリア公園 
 汐留シオサイト イタリア公園 汐留シオサイト イタリア公園、アクティ汐留 
 汐留シオサイト イタリア公園、アクティ汐留 汐留シオサイト イタリア公園、アクティ汐留 
 汐留シオサイト アクティ汐留から見たイタリア公園、汐留シオサイトの高層ビル群 汐留シオサイト アクティ汐留から見たイタリア公園、汐留シオサイトの高層ビル群 
汐留シオサイト アクティ汐留横でゆりかもめ線が左折 汐留シオサイト アクティ汐留横でゆりかもめ線が左折 
汐留シオサイト 汐留芝離宮ビル横歩道から見た浜松町駅界隈 汐留シオサイト 汐留芝離宮ビル横歩道から見た浜松町駅界隈 

中央の茶色のビルは浜松町駅のランドマークで、羽田空港行きのモノレール始発である浜松町駅がある世界貿易センタービルである。右の白いビルは文化放送メディアプラスビルである。
汐留芝離宮ビル 旧芝離宮前交差点で左折、竹芝通りへ 汐留芝離宮ビル 旧芝離宮前交差点で左折、竹芝通りへ 

汐留芝離宮ビルの連絡歩道から降りた所が交差点で、汐留シオサイトの出口は旧芝離宮の入口である。

右に山手線のガードがあり、その左に浜松町駅のホーム、後ろに世界貿易センタービルが見える。
竹芝通り 旧芝離宮 竹芝通り 旧芝離宮 

芝離宮は延宝6年(1678)、4代将軍徳川家綱から老中大久保加賀守忠朝が下屋敷として拝領したのを初めとする。庭園を造り、楽寿園と命名、現存する大名庭園としては最古である。
JR 山手線 浜松町駅 JR 山手線 浜松町駅 



 
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