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JR 中央線快速 始発 東京駅 八重洲口
中央線快速は東京駅を始発とし、新宿、三鷹、立川、八王子を経て高尾を終点とする。 駅数 21、営業距離 53.1km
快速は平日は中野以西は各停であるが、別途撮影した三鷹から千葉までの総武線と重なる。そのため、中野〜三鷹までで荻窪、吉祥寺しか停まらない土日休日ダイヤで歩くこととした。
【撮影記録】
平成27年 3月 16日 快晴
10:25〜12:55 12,300歩(歩行距離 概算 7.4km 地図上 7.8km)
中央線快速 東京駅〜御茶ノ水駅〜四ツ谷駅
駅数 4、営業距離 6.6km
昨年の5月に歩き始めたが、持病の腰痛のため4km前後歩くのが精一杯であり、回数ばかりかさんで荻窪までで中断していた。そこでこの歩きを断念し、少し腰痛が軽減するまで待って歩き直すこととした。
合わせてコースも何度も同じコースではなく、桜が咲き始めた靖国神社とか、市ケ谷駅と四ツ谷駅のコースも変えてみたりした。 |
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東京駅 八重洲中央口前交差点から左折、外堀通りを北上 |
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東京駅 八重洲中央口前交差点から左折、外堀通りを北上 |
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外堀通りを北上 グラントウキョウ ノースタワー(大丸東京店) |
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外堀通り 中央区 江戸バス(北循環) #6 東京駅 八重洲北口
江戸バスは赤のマイクロバスが特徴だったが、大型の普通バスになっている。
グラントウキョウ ノースタワー の八重洲口から、外堀通りを北上してすぐの第2鉄鋼ビルの前にある。但し、第2鉄鋼ビルは第1鉄鋼ビルと合わせて再開発中である。 |
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外堀通りを北上 再開発中の旧第1、第2鉄鋼ビル |
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外堀通り 呉服橋交差点で永代通りを渡る |
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外堀通り 呉服橋交差点で永代通りを渡る |
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外堀通り 日本橋川に架かる一石橋
高架は首都高都心環状線である。
一石(いちこく)橋の親柱
皇居外堀と日本橋川が分岐する地点に架橋された一石橋の歴史は古く、江戸初期の「武州豊島郡江戸庄図」にすでに木橋として見えています。当時は西河岸町と北鞘町とを結ぶ橋で、橋名の由来としては、北橋詰近くの本両替町に幕府金座御用の後藤庄三郎、南橋詰近くの呉服町には、幕府御用呉服所の後藤縫殿助の屋敷があり、後藤をもじって五斗、五斗+五斗で一石と名付けたと「江戸砂子」に見え、日本橋地区と神田地区を結ぶ橋として重要でした。 木橋としては最後となった明治六年(一八七三)の一石橋は長さ十四間、幅三間の橋でした。大正十一年(一九二二)に東京市道路局によって鉄骨コンクリート花崗岩張りのモダンな橋となり、堂々とした親柱四基をすえた白亜の橋となったのです。関東大震災にも落橋せず、その後も交通上の重要な橋として使われてきました。平成九年には大正十一年の橋本体は全て撤去されましたが、威風堂々とした花崗岩の親柱一基は残され、当時の姿をしのばせています。 平成十四年に中央区民文化財に登録されました。 |
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外堀通り 一石橋南詰 一石橋迷子しらせ石標
江戸時代も後半に入る頃、この辺から日本橋にかけては盛り場で迷子も多かったらしい。 迷子がでた場合、町内が責任をもって保護することになっていたので、付近の有カ者が世話人となり、安政四年(一八五七)にこれを建立したものである。
柱の正面には「満よい子の志るべ」、右側には、「志らする方」、左側には「たづぬる方」と彫り、上部に窪みがある。利用方法は左側の窪みに迷子や尋ね人の特徴を書いた紙をはり、それを見る通行人の中で知っている場合は、その人の特徴を書いた紙を窪みに馳って迷子や尋ね人を知らせたという。いわば庶民の告知板として珍しい。このほか浅草寺境内と、湯島天神境内にもあったが、浅草寺のものは戦災で破壊された。 |
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外堀通り 一石橋南詰 一石橋迷子しらせ石標
迷子しらせ石標は以前は保護のため柵で囲われていたが、今は撤去されていた。
石標の右側には「志らする方」と書かれている。 |
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外堀通り 日本橋川に架かる一石橋 |
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外堀通り 日本橋川に架かる一石橋
首都高の高架の先には常盤橋が見える。 |
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外堀通り 常盤橋交差点で千代田区道104号を渡る
左に日本橋川に架かる常盤橋があり、常盤橋門跡と常盤橋公園がある。写真には写っていないが交差点の右手前の高層ビルは日銀貨幣博物館で、右横を進むと日本橋三越本店新館、日本橋に出る。正面の低層ビルは日銀本店である。 |
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外堀通り 常盤橋交差点 日本橋川に架かる常盤橋 |
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外堀通り 常盤橋交差点 日本橋川に架かる常盤橋
常盤橋御門・常盤橋の歴史
常磐橋門は、江戸五口のひとつ奥州道の出口で、浅草口あるいは追手口、あるいは大橋ともいわれ、江戸時代を通して江戸城の正門である大手門へ向かう外郭正門でありました。
中世には江戸と浅草を結ぶ街道(奥州道)の要衝であったと考えられています。享保年間の「江戸城御外郭御門絵図」によると、13×15間の内法を持つ内桝形で、右手に渡櫓を支える石垣が、それ以外は土手を三方に巡らしています。濠沿いの護岸石垣は冠木門脇で3間、それ以外は4間半から5間、渡櫓台は高さ3間半、土手周りは2間5尺でした。
現在残る石垣は、冠木門周辺から渡櫓台石垣と南面の土手・石垣です。石垣の高さは、渡櫓台石垣で、約3間(5.5m)、土手部分で約2間半(4.4m)となることから、ほぼ江戸時代の原形を保っています。
なお、当時は、北側の土手続きに大番所が配されており、警備は鉄砲10、弓5、長柄槍10、持筒2、持弓1組を常備、3万石以上の外様大名があたりました。
常盤橋門跡は、外郭門枡形石垣の中で保存状態が最も良好であること、明治10年架橋の石橋の常盤橋とともに保存されていることから、昭和3年3月24日に国史跡常盤橋門跡に指定されました。
指定説明としては、『江戸城大手門筋の外郭正門なり。門は維新後取り壊されて石塁のみ現存せるも旧規見るべきものあり。外郭に架せる常盤橋は明治10年洋式石橋に改造せられるものなり。』とし、現存の要件としては「石塁並びに橋梁の修理の許可にあたり十分注意を要す」としています。 |
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外堀通り 新常盤橋交差点で右折、江戸通りへ
正面のビルは京王フレッツイン大手町である。 |
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江戸通り 中央区立 常磐小学校
卒業式のため日章旗が飾られている。 |
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江戸通り 中央区立 常磐小学校
常磐小学校は明治6年に開校し、現在使用されている建物は、関東大震災を機に、耐震・耐火性の高い鉄筋コンクリート造の校舎として建て替えられたものである。 震災復興期の小学校建築には、装飾性を加味したものと、機能を重視したインターナショナル・スタイル(国際建築様式)の二つの傾向があったが、この校舎は前者の代表作である。 アーチのついた出入口、半円形の窓とその窓台、半円形の庇など幾何学的な装飾が特徴で、建築様式としては表現主義と呼ばれる。 ビルが林立する中で、今なお往時の景観を残している。
震災復興期の小学校建築として、銀座みゆき通りの泰明小学校も有名である。 |
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江戸通り 室町三丁目交差点で左折、 中央通りへ |
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中央通り 日本橋ふくしま館
今年(平成26年)の4月にオープンした福島県の物産、観光拠点である。
同じような機能のアンテナショップの福島県八重洲観光交流館は、東京駅八重洲口の八重洲ブックセンターと鍛冶橋交差点の間にもある。 |
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中央通り 今川橋交差点
東京では今川焼きと呼ばれ、一般的には大判焼きと言われたり、姫路では御座候などと言われる菓子はこの界隈が発祥の地と言われる。
東京で生まれ育ったため、地方で何故一般名詞の(と思っていた)今川焼きと呼ばないのか不思議に思ったこともあった。もっとも今でこそ東京の名物となった「もんじゃ焼き」も、昔は月島界隈の極めてローカルなものでほとんど知られていなかった。 |
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中央通り 上野東京ライン(東北縦貫線)開業に合わせて改装された神田駅
10日前(平成27年3月14日)に開業した上野東京ライン(東北縦貫線)は、山手線、東北新幹線、上野東京ラインの3階建てである。上野から東京はノンストップで神田駅には停まらない。
横須賀線で品川駅に着くと次の上野東京ラインは何番線ホームから出る、との車内放送がある。但し、宇都宮線、高崎線、常磐線の3方向に向かうので注意が必要である。 |
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JR 中央線快速 神田駅 |