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矢向駅脇の南武線沿いの道を北上 |
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南武線沿いの道を北上 |
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塚越踏切で南武線を渡る
踏切を渡り、斜め右上(北東)に進む。この踏切の手前の左側(西側)にはキャノンの矢向事業所の大きな建物が見える。 |
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市道(バス通り) 塚越踏切 塚越地蔵 |
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市道(バス通り) 東明寺
川崎から来る臨港バスが塚越踏切で右折し、このバス通りを北上する。塚越踏切を渡って少し行くと右手に東明寺の石碑がある。 |
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市道(バス通り) 東明寺
もとは、東京・芝の増上寺の末寺で、天正一七(1589)年、浄円がここに住み、のちに増上寺の貞運が止住。 東明寺の名は、慶長一八(1613)年、徳川家康が鷹狩りのため小杉の西明寺に泊まった際、給仕にあたった貞運が家康から身分を問われ、東にある小庵の主と答えたところからその名がついた。 |
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市道(バス通り) 東明寺 東明寺の文化財
当寺には江戸時代後期に描かれたものと考えられる「紙本着色閻魔府之図」が所蔵されています。
本図は縦一九一センチ・横一五四センチの大画面の上部に閻魔王を描き、死者の罪業を裁くための人頭杖や浄玻璃の鏡、眷属(従者)などを配しています。閻魔像は姿勢良く正面を向き、忿怒の相を呈しながらもその表情は明るくユニークで、リズミカルな手の動きとともに叱咤の声が聞こえてくるようです。
中央には罪人の舌を抜く、釜で煮るなどの責め苦のほかに、修羅道を描いています。右上には不動明王、右下には賽の河原で石を積む子供達とこれを救済する地蔵菩薩、左下には女人が落ちる血の池地獄と如意輪観音が描かれています。
このように十王の中でも庶民に最も知られる閻魔王と、地獄を同画面に描くという構成により地獄の世界観を強調し、庶民の仏教への帰依を促したのでしょう。
また、仏教美術史の中で近世仏画は一般的に類型化が進んだものが多いとも言われますが、本図は鬼卒の明るい表情など、地獄絵の近世的な新しい展開として注目されます。
本図は、平成八(一九九六)年一月二五日、川崎市重要記念物に指定されました。
なお、保存上の都合により、一般公開はしておりません。 |
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市道(バス通り) 東明寺 庚申堂 |
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市道(バス通り) 東明寺 |
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市道(バス通り) 東明寺 東明寺と酒づくりの絵馬
現在、毎月三・八のつく日に開かれる灸施療は、塚越の灸として著名である。
またこの寺には、江戸末期の作といわれる酒造りの過程を描写した絵馬が残っている。絵馬には、その頃、塚越村で最も大きな造り酒屋であった新開屋六右衛門の名もみられる。江戸時代における酒造りの様子をうかがい知る上で貴重な資料である。 |
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市道(バス通り) 御嶽神社
御嶽神社はバス通りを挟み、東明寺の斜め向かい側にある。
近くに塚越の地名の由来となった円墳がある。御嶽神社創建時にこの円墳の一部が盛土として使われた際、刀剣が出土した。また、南北朝時代のものと考えられる板碑が出土している。 |
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市道(バス通り) 下平間小学校交差点 |
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市道(バス通り) 赤穂義士所縁の寺 称名寺 |
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市道(バス通り) 赤穂義士所縁の寺 称名寺 |
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市道(バス通り) 赤穂義士所縁の寺 称名寺 |
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市道(バス通り) 赤穂義士所縁の寺 称名寺 称名寺の文化財
当寺は、浄土真宗大谷派に属し、赤穂浪士所縁の寺といわれています。
当寺所蔵の紙本着色・四十七士像は、大石内蔵肋を頂点に、赤穂浪士四十七士を左右対称的に配した柱掛風縦長の小品です。図様は、江戸時代に入って盛行した戦国武将列影図を模範にしたもので、精緻に描かれた、画格の高い作品です。延享元年(一七四四)の年記をもっています。
川崎市教育委員会は、この絵画を、昭和六十年十二月二十四日、川崎市重要歴史記念物に指定しました。 |
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市道(バス通り) 交差点を左折、鹿島田駅前商店街へ
交差点名はない。右折すると府中街道の下平間交差点が見え、奥遠くには府中街道の下平間交番交差点角にある幸福の科学のビルが見える。 |
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鹿島田駅前商店街 鹿島田駅前 連絡歩道橋
歩道橋の右に鹿島田駅があり、後方に高層オフィスビルの新川崎三井ビルがある。 |
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JR 南武線 鹿島田駅 |