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県道21号横浜鎌倉線 円覚寺参道
北鎌倉駅前交差点の先にあり、県道21号から白鷺池のある木立を通り、横須賀線踏切を渡る。 |
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円覚寺 横須賀線踏切を渡る |
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円覚寺 総門
円覚寺の開山は中国(宋)より渡来の仏光国師無学祖元、北条時宗が開基である。 |
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円覚寺 総門 |
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円覚寺 円覚寺案内 |
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円覚寺 円覚寺案内
当山は、臨済宗円覚寺派の大本山にして弘安五年(一二八二)の開創。開山は中国(宋)より渡来の仏光国師無学祖元。開基は鎌倉暮府の執権北条時宗公。国師は時宗公の熱心な招請に接し弘安二年来朝。初め建長寺に住し、時宗公はじめ鎌倉の武将を教化し、多くの門弟を育てた。
時宗公は弘安四年再度の蒙古の来襲を撃滅した後翌五年正法を興隆し、師恩に報じ、また文永・弘安の両役に戦死した敵味方両軍の菩提を弔うために当山を建立した。
国師の流派を世に仏光派と称し、弟子に仏国国師、孫弟子に夢窓国師が出て、室町時代には国師の法孫は天下に満ち、五山の学僧の主流となった。
江戸時代やや衰微していたが、江戸末期に中興誠拙禅師が出、昭治に至って今北洪川、釈宗演の二大禅師出世され再び関東禅界の中心となり、禅風を門外に宣揚した。 |
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円覚寺 円覚寺案内 |
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円覚寺 境内案内図
今回は横須賀線沿線を歩くのが目的であり、以前に方丈や舎利殿などを参拝しているので山門、仏殿の参拝にとどめた。 |
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円覚寺 山門(三門)
天明年間、中興の誠拙禅師が再建。「円覚興聖禅寺」は伏見天皇の勅額。 |
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円覚寺 仏殿
大光明宝殿ともいう。大正十二年の大地震で倒壊後、昭和三十九年三月再建。唐様禅宗様式の鉄筋コンクリート造り。本尊は宝冠釈迦如来。禅宗様式七堂伽藍の中心の建物で奈良の古寺の金堂にあたる。 |
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円覚寺 選仏場
選仏場とは、坐禅場のことである。
仏殿の西側に坐禅堂を配置するのは、七堂伽藍の古い形式を伝えるものである。現在は運慶派の南北朝時代の作と伝えられる薬師如来が安置されている。 |
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円覚寺 選仏場 |
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円覚寺 仏殿
1月下旬なので白梅が咲いている。 |
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円覚寺 横須賀線踏切を渡る |
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円覚寺参道から、県道21号横浜鎌倉線に戻る |
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県道21号横浜鎌倉線 最初の信号で右折
円覚寺を出て最初の信号で右折すると東慶寺である。 |
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東慶寺
鎌倉幕府の第八代執権北条時宗の夫人・覚山志道尼が開創。夫から離縁状をもらわない限り、妻からは別れることができなかった時代に、駆け込めば離縁できる女人救済の寺として、開山以来、六百年近く縁切りの寺法を引き継いできました。後醍醐天皇の皇女・用堂尼の入寺以後は、松岡御所と称され、寺格の高い尼寺として名を馳せるようになり、室町時代には鎌倉尼五山第二位に列せられていました。明治時代になると寺法に終わりを告げ、釈宗演禅師を中興開山とする臨済宗円覚寺派の禅寺となりました。
境内にはウメやハナショウブ、アジサイなど様々な花が植えられ四季を通じて楽しめます。学者や作家の墓が多いことでも有名で、鈴木大拙、西田幾太郎、岩波茂雄、和辻哲郎、安倍能成、高見順、小林秀雄らの墓があります。 |
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東慶寺 |
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東慶寺
小さな寺であるが、拝観料はわずか100円である。円覚寺、建長寺は300円なので、高いとの声もありえるが、京都に比べれば格段に安い。 |
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東慶寺 |
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東慶寺 |
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東慶寺
冬なので草花は咲いていないが、紅梅がきれいである。 |
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東慶寺 本堂 |
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東慶寺 本堂 |
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東慶寺
なんの説明もないので由来は分からない。 |