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京急 本線 泉岳寺駅 
京急本線は泉岳寺駅を始発とし、京急蒲田駅、京急川崎駅、横浜駅、上大岡駅、金沢文庫駅、横須賀中央駅を経て、浦賀駅を終点とする。都営浅草線に乗り入れるため、品川から一駅延伸し、さらに押上で京成線に接続しており、成田から羽田まで乗り入れている路線である。
駅数 50、営業距離 56.7km
【撮影記録】
平成23年 4月 3日 曇り
10:30〜13:35 19,800歩(概算 13.9km 地図上の距離 13.4km)
本線 泉岳寺駅〜京急品川駅〜京急蒲田駅〜京急川崎駅
営業距離 13.0km 駅数 14
今年は桜の開花が大きく遅れており、満開の桜を撮るタイミングと、蒲田界隈の高架化状況を知ることが狙いで歩いた。当初は天気が良くなるはずだったが、ずっとドンヨリとした天気だった。 |
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駅から左折し、泉岳寺交差点で第一京浜へ 
地上に出るとすぐ左手に泉岳寺交差点がある。 |
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駅から右折すると泉岳寺へ 
藪蕎麦の右、40km/時の標識の後ろに泉岳寺駅の出入口があり、右折すると泉岳寺に至る。 |
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第一京浜 ドウシシャ東京本社ビル 
泉岳寺交差点近くの日本綜合地所のビルである。派手なビルでDoshishaのロゴがついており、誰が見ても同志社大学のビルと思う。それにしても大学の雰囲気がない、と思い、帰って調べたら、もともと大阪で「同志社」と称する株式会社だった。その後、商号を「ドウシシャ」としたとのことである。会社設立時から商号詐称だったはずで、いかにも大阪人らしいエゲツナサである。 |
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第一京浜 高輪神社  |
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第一京浜 高輪神社  |
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第一京浜 高輪神社 
故事来歴の説明板がないが、皇太子殿下(今上天皇)御降誕記念碑があり、隣に御大典記念碑があることから、歴史はあると思われる。ちなみに、今上天皇は昭和8年12月23日誕生で、現在77歳である。 |
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第一京浜 都知事選挙ポスター 
1週間後の選挙のポスターで、宮崎の田舎知事の実績だけの東国原、パフォーマンスだけの民主党が候補者が立てられず相乗りした渡辺、毎度おなじみの売名中松、時代遅れに気づかない共産党の小池相手では、石原現知事の圧勝が眼に見えている。 |
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第一京浜第一京浜 高輪二丁目交差点 旧町名由来、高輪海岸の石垣石  |
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第一京浜 高輪二丁目交差点 旧町名由来 「高輪」 
この地は海より眺めて高台の縄手道から「高縄手」と称されていましたが、転じて「高縄」から「高輪」となりました。古くから海沿いに人家が点在していましたが、江戸初期に幕府が参勤交代のために東海道を整備し、これにより街道沿いに町が広がつていきました。
この地域には、高輪大木戸・願生寺・泉岳寺・東禅寺など多くの名跡があります。 |
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第一京浜 高輪二丁目交差点 高輪海岸の石垣石 
ここに展示されている石は、江戸時代に、高輪海岸に沿って造られた石垣に用いられたものです。
平成7年(1995)、高輪二丁目20番の区有施設建設用地内の遺跡の発掘調査で出土しました。
石垣には、主に相模湾岸から伊豆半島周辺で採石された安山岩が用いられました。
発掘調査では3段の石積みを確認しましたが、最上段は江戸時代の終わり頃に積みなおされたものと考えられます。正面の小ぶりの石が積み直されたものです。3段目から下の石垣は現地でそのまま保存されています。 |
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第一京浜 高輪二丁目交差点 
左角に石垣石がある。 |
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第一京浜 高輪歩道橋手前で右折すると東禅寺へ 
高輪歩道橋手前で右折すると東禅寺へ向かう。
東禅寺は、横浜開港後にイギリス公使館となった所で、攘夷派浪人による焼き討ち事件などがあったことでも有名。
旧品川宿は品川駅の南に位置する京急北品川駅〜新馬場駅であり、東禅寺は1.5km以上北にある。 |
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第一京浜 旧ホテルパシフィック東京 
昨年(平成22年)9月末に閉鎖された。屋上に工事用の足場が組まれ、解体するのかと思ったら、4月末にビジネスホテルや結婚式場として再発足することとなった。 |
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第一京浜 品川駅西口(高輪口)風景 
西口には品川プリンスホテルなどの高層ホテル群が建ち並ぶ。 |
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第一京浜 品川駅西口(高輪口)風景 
正面にJRの品川駅があり、その右手に京急品川駅がある。 |
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第一京浜 品川駅西口(高輪口)風景 
ウィング高輪の壁にSHINAGAWA GOOSの宣伝看板が掲げられており、旧ホテルパシフィック東京が再オープンすることが分かった。 |
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京急 本線 京急品川駅  |