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旧日光街道 草加宿散策

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県道402号草加停車場線 埼玉りそな銀行角交差点で左折、旧日光街道 草加宿へ 県道402号草加停車場線 埼玉りそな銀行角交差点で左折、旧日光街道 草加宿へ 

草加駅前で左に丸井、右にイトーヨーカドーがゲートをなし、その間の県道402号草加停車場線を東進する。
交差点名はなく、旧日光街道とも草加宿といった案内はない。少し先の交差点は日光街道(県道49号)の草加駅入口交差点である。
旧日光街道 草加宿 八幡神社 旧日光街道 草加宿 八幡神社 
旧日光街道 草加宿 八幡神社獅子頭雌雄一対 旧日光街道 草加宿 八幡神社獅子頭雌雄一対 

 この雌雄一対の獅子頭は、高さ八十三センチ、幅八十センチ、奥行八十七センチもあリ舞に使われる獅子頭と比較すると、大型で重量もあり、獅子の胴衣をつける穴もなく、獅子頭として神幸に供奉したものである。しかし、現在では山車に乗せて曳いたという以外に伝承は残っていない。
 かかる大型の頭では、重量の関係もあり彫技に変化をつけることは至難であるが、江戸末期の平面的な技法によって構成されている。この彫工も男獅子の角には、かなり苦心したらしく宝珠との釣り合いもあり、中央に一角の太い角は、獅子の頭部の一部が岩のように盛り上がったごとく彫り込んであるが、獅子の角としては珍らしい手法である。塗りは、布着せ黒漆塗りとし、唇・鼻の穴・舌は朱漆塗り。巻毛・耳・宝珠等は金箔押とし保護のため生漆をかけてある。本体は寄木工法からなり、材は檜であろう。歯は上 をから二木の牙がでて歯の並びに変化える古い手法を用いている。
 このような大型の獅子頭は、遺構も少なく貴重なものである。
旧日光街道 草加宿 八幡神社 旧日光街道 草加宿 八幡神社 
旧日光街道 草加宿 旧日光街道 草加宿 

特に説明もないが、古い商家風の建物である。
旧日光街道 草加宿 旧日光街道 草加宿 

「今様・草加宿」実行委員会の横断幕が掛かる。
旧日光街道 草加宿 草加宿本陣(大川家)跡 旧日光街道 草加宿 草加宿本陣(大川家)跡 

この案内板だけで、故事来歴などの説明はない。後にはマンションがあるので、この位置に本陣があったのだろう、と想像するしか無い。
旧日光街道 草加宿 草加宿本陣(大川家)跡 旧日光街道 草加宿 草加宿本陣(大川家)跡 
旧日光街道 草加宿 おせん茶屋 旧日光街道 草加宿 おせん茶屋 
旧日光街道 草加宿 おせん茶屋 旧日光街道 草加宿 おせん茶屋 
旧日光街道 草加宿 おせん茶屋 旧日光街道 草加宿 おせん茶屋 

 「おせん茶屋」は、旧日光街道に面し、かつての宿場町の雰囲気を漂わせた茶屋風の造りとなっています。「おせん茶屋」という名前は、草加せんべいの伝説上の創始者といわれる「おせんさん」にちなみます。1988年(昭和63)、建設省(現国土交通省)の第3回手づくり郷土賞「小さなふれあい広場30選に選ばれています。
旧日光街道 草加宿 草加せんべい店 旧日光街道 草加宿 草加せんべい店 

この通りにも数軒のせんべい店が並ぶ。
旧日光街道 草加宿 東福寺 旧日光街道 草加宿 東福寺 
旧日光街道 草加宿 東福寺山門 旧日光街道 草加宿 東福寺山門 

 この山門は、表の柱間十尺((三メートル)、妻八尺五寸(約ニ・五メートル)の桟瓦葺き四脚門である。
 四脚門は四足門ともいわれ、本柱(円柱)の前後に控柱(角柱)が四本たつことから四脚門といわれる。
 本柱は、礎石上にたち、柱頭は冠木を架し、控柱は、粽を付して礎盤上にたっている。
 江戸時代の木割書によって造営されているが、一部手法は桃山頃になった木割書「匠明」と規を一つにする。
 妻虹梁の下端を異状にくりあげて、中央の三つ斗を安定した組物にした点など、細部については、工匠の熟練した技術がうかがえる。
 各部の絵様彫刻は温和で古様であり、冠木上の彫刻は、宗祖に由来した見事な彫刻を配し、元治二年(一八六五)銘を持ち、彫工後藤常重の非凡な刀痕が見られ、よくまとまった四脚門の遺構として永く保存したい。
旧日光街道 草加宿 東福寺山門 旧日光街道 草加宿 東福寺山門 
旧日光街道 草加宿 東福寺 旧日光街道 草加宿 東福寺 

 東福寺は、草加宿の祖・大川図書が創建した寺です。正式には「松寿山不動院東福寺」といいます。1606年(慶長11)に大川図書によって創建され、
僧賢宥(けんう)が開山したといわれています。本堂は明治年間にわら葺から瓦葺になり、1993年(平成5)には大規模な改修が行われました。境内の墓地には大川図書の墓があります。山門、本堂外陣欄間、鐘楼は市指定文化財で、「草加八景」の1つでもあります。
旧日光街道 草加宿 東福寺鐘楼 旧日光街道 草加宿 東福寺鐘楼 
旧日光街道 草加宿 東福寺鐘楼 旧日光街道 草加宿 東福寺鐘楼 

 この鐘楼は、石積みの基壇上に建ち、柱の間ニメートル七十二センチの方形である。
 絵様彫刻は立川流を基本とし、彫刻は江戸に近い関係で、当時の優秀な技法が見られる。基壇に「文久二年七月再造立」(一八六二)の刻銘があり、時代が判明する。この建物は、当時の優秀な工匠によって造営されたと推定され、数少ない本市の文化財として貴重な寺院建築物といえる。
旧日光街道 草加宿 東福寺本堂 旧日光街道 草加宿 東福寺本堂 
旧日光街道 草加宿 東福寺本堂 内外陣境彫刻欄間 旧日光街道 草加宿 東福寺本堂 内外陣境彫刻欄間 

 東福寺本堂の内外陣境には江戸の名工 島村円哲作の三枚からなる見事な彫刻欄間がある。
 中央はーメートル四センチにーメートル七十三センチもある大きな彫刻で仏教の守護神である竜の構図である。
 技法はすぐれ、波頭を蹴る竜は迫力がある。
 左右はやや小さく、中国の二十四孝のー部である。
象と耕作しているのは大舜である。大舜の親に尽くす孝養に、象きたりて耕作をたすけ、鳥まで草をとりて耕作の助けをしている構図である。
 一方ひざまずいて天女をみあげるのは董永である。
董永は家まずしくとも、親に孝養の限りをつくし、親の死におよび身を売って葬礼をいとなんだ。
 その至誠が天に通じ、天女きたりて、董永の借財をかえしてもあまりある織物を作りあげ、昇天する構図である。
 董永・天女ともに別れを惜しむ姿が、いきいきと彫られている。
旧日光街道 草加宿 神明一丁目交差点 旧日光街道 草加宿 神明一丁目交差点 
旧日光街道 草加宿 神明神社 旧日光街道 草加宿 神明神社 

 神明神社の祭神は、天照大神で、そのほか御神霊石も祀られている。
 当社は、与左衛門新田の名主吉十郎の祖先が、元和元年(一六一五)に、宅地内に小社を建立したことに始まるという。それから約百年後の正徳三年(一七一三)に、この地に移され、草加宿の総鎮守となった。この頃から、五と十の付く日に市が生まれ、大変な賑をみせたと言う。このことから、この神社の別名を「市神・神明宮」と呼ばれる。
 安永六年(一七七七)に、草加宿の一丁目から三丁目までが、二丁目稲荷社を八坂神社と改称したことから鎮守の分離が行われた。
 また、幕末には、神職とその養子が、宿の子を対象とした寺小屋を開いた。
旧日光街道 草加宿 神明神社 旧日光街道 草加宿 神明神社 
旧日光街道 草加宿 神明神社 旧日光街道 草加宿 神明神社 
旧日光街道 草加宿 神明町交差点で左折、日光街道(県道49号)へ 旧日光街道 草加宿 神明町交差点で左折、日光街道(県道49号)へ 



 
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