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大山街道(県道14号鶴見溝ノ口線) 溝口駅入口交差点 |
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大山街道(県道14号鶴見溝ノ口線) 二ヶ領用水に架かる大石橋 |
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大山街道(県道14号鶴見溝ノ口線) 二ヶ領用水に架かる大石橋
溝口・二子宿の問屋跡
溝口の名主、丸屋七右衛門。代々溝口・二子宿の問屋役として宿駅を取り仕切った家業の卸問屋も秦野のたばこや厚木の麦などを扱い、大いに繁盛。ここに屋敷があった。 |
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大山街道(県道14号鶴見溝ノ口線) 街道に飾られた幟
5年前の前回(平成20年)には電柱に大山街道活性化活動の赤いシールを付けられていたが、今回はそれはなく、緑の幟が飾られていた。いずれも納太刀の絵が描かれている。 |
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大山街道(県道14号鶴見溝ノ口線) 高津こども文化センターに続く大山小径 |
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大山街道(県道14号鶴見溝ノ口線) 高津こども文化センターに続く大山小径
手前に大山寺雨降神社真景のタイル絵があり、後方に戦没者の大きな慰霊碑があって、奥に高津こども文化センターがある。 |
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大山街道(県道14号鶴見溝ノ口線) 高津こども文化センターに続く大山小径
武陽玉川八景之圖・大山小径 川崎市高津区溝口
溝口村・二子村が大いに発展したのは、江戸時代に大山街道の宿場となってからである。江戸から、あるいは江戸へ。いろいろな産物がここを通り、旅人相手の旅籠が軒を並べていた。 |
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大山街道(県道14号鶴見溝ノ口線) 高津交差点で右折、府中街道へ |
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田園都市線 高津駅 |
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府中街道 高津交差点で右折、大山街道へ |
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府中街道 高津交差点で右折、大山街道へ
県道14号鶴見溝ノ口線は高津交差点までで、ここから先は川崎市道となる。 |
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大山街道 高津図書館入口交差点で左折、溝口緑地へ |
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大山街道 溝口緑地 国木田独歩碑
手前が溝口緑地で入口に国木田独歩碑があり、奥に高津図書館がある。 |
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大山街道 溝口緑地 国木田独歩碑
明治30年(1897)みぞれまじりの春に、国木田独歩が溝口を訪れたとき、当時旅館であった溝口の亀屋に一泊しました。このことは独歩の作品「忘れ得ぬ人々」のモデルとなり、この作品によって明治文壇に不動の地位を築きました。 独歩と亀屋の関係を後世に記念するため、当時の亀屋主人、鈴木久吉が建碑を計画しましたが、志なかばで世を去りました。
彼の俳友達が意思を継ぎ、独歩27回忌を記念し昭和9年(1934)夏、亀屋の前に碑を建てました。 題字は島崎藤村が書いたものです。 |
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大山街道 溝口緑地 国木田独歩碑 |
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大山街道 光明寺 |
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大山街道 光明寺
光明寺と二子学舎
浄土真宗光明寺。江戸初期に二子塚から移された。
農民たちも一緒に移住し、二子村を形づくっていく。
明治七〜九年、本堂には「二子学舎」が置かれ、近代小学教育の場となった。 |
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大山街道 光明寺
光明寺の文化財
当寺は、真宗大谷派に属しています。
当寺所蔵の文化財のうち、絹本着色・浄土七高祖連座像は、インド・中国・日本の浄土教(浄土真宗)の祖師たちを対称構図で描いたもので、寛文十ニ年(一六七二)の制作です。
絹本着色・親鸞聖人像は、浄土真宗の開祖・親鸞聖人の晩年の御姿を描いたもので、宝永二年(一七〇五)の制作です。
絹本着色・聖徳太子像は、父・用明天皇の病気平癒を祈る十六歳の時の御姿を描いたもので、寛文十二年(一六七二)の制作です。
川崎市教育委員会は、これらの絵画を、昭和六十一年八月二十八日、川崎市重要歴史記念物に指定しました。 |
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大山街道 光明寺 |
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大山街道 二子二丁目公園 大貫家の人々 |
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大山街道 二子二丁目公園 大貫家の人々
大貫家は岡本かの子の生家。若くして逝った兄・雪之助は藤村門下で、谷崎潤一郎とも親交が深かった。かの子は、のちに漫画家岡本一平と結婚。岡本太郎は、その長男である。 |