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北の丸公園(旧近衛師団司令部庁舎〜千鳥ヶ淵緑道〜田安門)

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「皇居外苑・皇居東御苑・北の丸公園」歴史と自然散策コースH231113(北の丸公園(旧近衛師団司令部庁舎〜日本武道館〜田安門))

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代官町通り みたけばし陸橋を渡る 代官町通り みたけばし陸橋を渡る 

歩道がないので左の陸橋を渡る。
代官町通り みたけばし陸橋を左側に下りる 代官町通り みたけばし陸橋を左側に下りる 

右側に下りると北の丸公園入口であるが、先に旧近衛師団司令部庁舎を見るため、左側に下りる。
代官町通り 紅葉の並木 代官町通り 紅葉の並木 
北の丸公園 代官町通り 首都高都心環状線 代官町ランプ 北の丸公園 代官町通り 首都高都心環状線 代官町ランプ 

右奥には赤レンガの旧近衛師団司令部庁舎(東京国立近代美術館工芸館)が見える。
北の丸公園 旧近衛師団司令部庁舎(現・東京国立近代美術館工芸館) 入口 北の丸公園 旧近衛師団司令部庁舎(現・東京国立近代美術館工芸館) 入口 
北の丸公園 公園案内図 北の丸公園 公園案内図 
北の丸公園 北白川宮能久親王銅像 北の丸公園 北白川宮能久親王銅像 

旧近衛師団司令部庁舎(現・東京国立近代美術館工芸館)前の木立の中にある。像手前の案内には書かれていないが、上野寛永寺の輪王寺宮として上野戦争で擁立され、敗北後に蟄居の処分を受けている。

 弘化四年(一八四七)伏見宮邦家親王の第九皇子として御誕生。嘉永元年(一八四八)青蓮院宮御相続、安政五年(一八五八)輪王寺宮御相続、公現法親王(俗名能久)と称せられ、上野寛永寺の門跡となられる。
 明治三年(一八七〇)還俗して伏見宮に御復帰、軍籍に就かれた。同年勅令によリプロシヤ国留学を命ぜられ、同国歩兵・砲兵聯隊、参謀学校等で兵学を学ばれ、明治十年御帰朝、近衛砲兵聯隊御隊附。御留学中の同五年白川宮を御相続遊ばれた。
 同十七年陸軍少将に任ぜられ、歩兵第一旅団長、参謀本部御出仕。同二十五年陸軍中将に任ぜられ、第六・第四師団長を御歴任、同二十八年一月近衛師団長に親補せられ、近衛師団を率いて台湾に御出征、炎熱瘴癘の地で疫病に罹らせ給い、明治二十八年十月二十八日(一八九五)台南に於て薨去遊ばされた。御年四十九歳。陸軍大将に任ぜられ、大勲位菊花章頸飾および功三級金鵄勲章を賜わり、国葬を以て豊島岡陵に御埋棺された。
北の丸公園 北白川宮能久親王銅像 北の丸公園 北白川宮能久親王銅像 
北の丸公園 旧近衛師団司令部庁舎(現・東京国立近代美術館工芸館) 北の丸公園 旧近衛師団司令部庁舎(現・東京国立近代美術館工芸館) 

【国指定重要文化財】

 明治43年(1910)に完成しました。陸軍技師田村鎮の設計による赤レンガ造り、二階建て、スレート葺、簡素なゴシック風で、明治洋風建築としては代表的な存在となっています。 関東大震災や弟二次大戦をくぐりぬけ、ほぼ完全な姿をとどめています。
 昭和52年に一部を改装して東京国立近代美術館工芸館として生まれかわりました。
北の丸公園 旧近衛師団司令部庁舎(現・東京国立近代美術館工芸館) 北の丸公園 旧近衛師団司令部庁舎(現・東京国立近代美術館工芸館) 
北の丸公園 千鳥ヶ淵緑道 突き当りで左折 北の丸公園 千鳥ヶ淵緑道 突き当りで左折 
北の丸公園 千鳥ヶ淵緑道 中の池沿いの散策路 北の丸公園 千鳥ヶ淵緑道 中の池沿いの散策路 

中の池の向いには大芝生広場がある。
北の丸公園 千鳥ヶ淵緑道 中の池沿いの散策路 北の丸公園 千鳥ヶ淵緑道 中の池沿いの散策路 
北の丸公園 千鳥ヶ淵緑道 橋を渡り大芝生広場へ 北の丸公園 千鳥ヶ淵緑道 橋を渡り大芝生広場へ 
北の丸公園 紅葉の欅などが美しい大芝生広場 北の丸公園 紅葉の欅などが美しい大芝生広場 
北の丸公園 紅葉の欅、黄葉のイチョウなどが美しい大芝生広場 北の丸公園 紅葉の欅、黄葉のイチョウなどが美しい大芝生広場 
北の丸公園 紅葉の欅、黄葉のイチョウなどが美しい大芝生広場 北の丸公園 紅葉の欅、黄葉のイチョウなどが美しい大芝生広場 
 北の丸公園 大芝生広場 北の丸休憩所 北の丸公園 大芝生広場 北の丸休憩所 
北の丸公園 千鳥ヶ淵緑道 日本武道館前で左折 北の丸公園 千鳥ヶ淵緑道 日本武道館前で左折 

遊歩道を歩いてくると左に駐車場があり、正面に日本武道館、右にレストハウスが出てくる。
北の丸公園 北の丸休憩所前駐車場 北の丸公園 北の丸休憩所前駐車場 
北の丸公園 自衛隊音楽まつりが行われる日本武道館 北の丸公園 自衛隊音楽まつりが行われる日本武道館 
北の丸公園 自衛隊音楽まつりが行われる日本武道館 北の丸公園 自衛隊音楽まつりが行われる日本武道館 

武道館では陸海空3軍の音楽隊による自衛隊音楽まつりが行われていた。九段下駅から観客が続々と武道館に向っており、流れに逆らうため歩きにくい。

この時はこの程度の印象しかなかったが、後で清水門に向かう時にこれがとんでもないことであることを思い知らされた。
北の丸公園 田安門(渡櫓) 北の丸公園 田安門(渡櫓) 

重要文化財 旧江戸城田安門

江戸城は、長禄元年(1457)に太田資長(道灌)によって創られたとされる。天正18年(1590)徳川家康の居城となり、文禄元年(1592)から大規模な改修が  実施され、慶長12年(1607)に天守閣が、寛永13年(1636)に総構が完成し、大城郭としての形が整えられた。その後、明暦3年(1657)をはじめ、数度の大火に見舞われものの、城郭の規模は幕末までほぼ維持された。
 田安門は、北の丸北部に位置する枡形門であり、正面の高麗門と、その右手奥の櫓門からなる。門の創建年代は明らかではないが、現在の門は高麗門の扉釣金具に残る刻銘から寛永13年に建てられたものであると考えられている。しかし、櫓門の上部は破損のため大正末期から昭和初期にかけて撤去されていたものを、昭和36〜41年度の修理で復旧整備したものである 田安門は、江戸城の総構完成当時に遡る現存唯一の建物であり、高い価値を有している。
北の丸公園 田安門(高麗門) 北の丸公園 田安門(高麗門) 

大手門同様、江戸城の門は防御に強い枡形門である。まず高麗門と呼ばれる門から入り、突き当りの広場を曲がると渡櫓があり、敵兵を広場で銃撃したり、弓矢で防衛する。
北の丸公園 田安門前の桜並木の土橋 北の丸公園 田安門前の桜並木の土橋 

多くのイベントでは土橋を下りて靖国神社に向かうが、今回は北の丸公園に戻り、清水門に向かう。



 
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