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府道大覚寺平岡線(136号) 大覚寺門前交差点 大覚寺参道を北上
府道大覚寺平岡線(136号)は、大覚寺門前交差点から大覚寺までは参道が府道となっている。 |
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大覚寺 入口
大覚寺門前交差点から参道とはなっているが、普通の民家が並ぶ道を北上し、左に観光バスなどの駐車場や、路線バスの始発バス停がある広場がある。 |
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大覚寺 大門
大覚寺縁起
大覚寺の正式名称は「旧嵯峨御所大覚寺門跡」といい、真言宗大覚寺派の本山で、心経写経の根本道場・いけばな嵯峨御流の総司所でもあります。
門跡寺院とは、天皇または皇族が住職に就かれた寺院のことです。遠く平安の昔、嵯峨天皇の離宮嵯峨院が建立され、弘法大師(空海)も幾度も立ち寄られました。その後、嵯峨天皇の皇女正子内親王(淳和天皇皇后)が清和天皇に上奏して大覚寺に改め、嵯峨天皇の孫にあたる恒寂入道親王が初代の住職に就かれました。南北朝時代には南朝の御所となり、ここで争いに終止符を打つ媾和会議が開かれました。また、現在では、近畿三十六不動尊霊場会・神仏霊場会の霊場として、全国各地から参拝者が訪れます。 |
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大覚寺 大門 大覚寺(旧嵯峨御所)
嵯峨山と号する真言宗大覚寺系の大本山である。
当山は、嵯峨天皇の離宮嵯峨院の一部で、天皇崩御の後の貞観十八年(八七六)に寺に改められ、大覚寺と名付けられた。その後一時荒廃したが、徳治二年(一三〇七)に後宇多天皇は入寺し、寺を復興するとともに大覚寺統を形成した。以後、持明院統と皇位継承について争い、明徳三年(一三九二)当寺で南北両朝の講和が成立した。
宸殿は、後水尾天皇の中宮東福門院の旧殿を移築したもので、内部は、狩野山楽筆の「牡丹図」、「紅白梅図」などの豪華な襖絵で飾られている。
その外、御影堂、霊明殿、五大堂、安井堂、正寝殿、庫裡などの堂宇が建ち並び、旧御所の絢爛さを今に伝えている。 |
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大覚寺 大玄関(式台玄関)、参拝者入口
式台玄関には菊の御紋章付きの幔幕が飾られ、参拝者は左の入口から入場する。
式台玄関
江戸時代の建造で、玄関正面を飾る「松ニ山鳥図」は狩野永徳筆とされ、大きな松に山鳥のつがいが描かれています。 |
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大覚寺 大玄関(式台玄関) 後宇多法皇御使用 御輿 |
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大覚寺 大玄関(式台玄関) 後宇多法皇御使用 御輿 |
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大覚寺 大玄関(式台玄関) |
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大覚寺 大玄関(式台玄関)
大玄関(式台玄関)
江戸時代初め、御所より移築されたもので旧嵯峨御所・真言宗大本山大覚寺の玄関です。
大覚寺はもともと平安時代の始めに嵯峨天皇が造営した離宮嵯峨院に起源し、その後貞観十八年(八七六年)寺に改められ初代の門跡に嵯峨天皇の御孫、恒寂法親王が就かれました。日本でも最も古い門跡寺院です。
心経信仰霊場、芸術文化の殿堂嵯峨御流根本道場です。
この式台玄関の障壁画は狩野永徳によって描かれた「松に山頂図」です。
文化財保護の立場から国宝の文化財や重要文化財の仏像、障壁画、装飾画等は収蔵庫に収められております。 |
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大覚寺 宸殿 前庭 右近の橘、唐門
仁和寺御殿の宸殿から見た南庭にも右近の橘があった。 |
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大覚寺 宸殿
宸殿
江戸時代(延宝年間)に後水尾天皇より下賜された寝殿造りの建物。前庭には古式正しく「左近の梅、右近の橘」が配され、部屋の襖には狩野山楽筆の「牡丹図」「紅白梅図」をはじめ、桃山時代を代表する金碧画が飾られています。 |
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大覚寺 宸殿
宸殿(重要文化財)
江戸時代の初め延宝年間(一六七三〜八一)に後水尾天皇より皇后東福門院和子(徳川二代目将軍秀忠の娘)が使用していた女御御所の宸殿を賜ったものです。入口の格子戸は蔀といい、その留金部分には蝉の装飾があります。
また、部屋は五つに分かれ、正面牡丹の間は格式が高く、天井は折上小組格天井になっております。
襖絵は狩野山楽によって描かれた牡丹・紅白梅・松・鶴等があり、桃山美術の代表的な作品です。
前面の庭には一面に白川砂が敷かれ、大海を表しており、正面の「右近の橘」「左近の梅」が旧御所の名残をとどめています。 |
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大覚寺 宸殿から見た唐門
事情は分からないが、唐門から係員が立食パーティーの縁台や机を前庭に持ち込んでいた。 |
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大覚寺 宸殿から見た石舞台、五大堂 |
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大覚寺 宸殿から見た御影堂 |
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大覚寺 御影堂
御影堂(心経前殿)
嵯峨天皇・後宇多天皇・恒寂入道親王・秘鍵大師(弘法大師)の尊像をお祀りしています。 |
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大覚寺 御影堂
御影堂(心経前殿)
大正十四年(一九二五年)御所から移築された建物です。大覚寺は、古い歴史と伝統のある般若心経写経の実践道場であります。 弘仁九年(八一八)に飢饉が起こり疫病が流行した時、嵯峨天皇は弘法大師の勧めにより般若心経を御写経になり、弘法大師と共に祈願されたところ、霊験あらたかに悪病が退散し、多くの尊い命が救われたといわれています。この時の御写経がこの奥にある心経殿に今も勅封心経として奉安されています。
正面の厨子は、向かって右から弘法大師で文殊菩薩の智剣を持った秘鍵大師像、内側が嵯峨天皇尊像、向かって左の内側が鎌倉時代に嵯峨御所を再建された二十三代門跡後宇多法皇、その左側が初代門跡恒寂法親王のご尊像です。 |
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大覚寺 御影堂 |
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大覚寺 御霊殿(安井堂) |
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大覚寺 御霊殿(安井堂)
御霊殿(安井堂)
京都東山の地にあった「安井門跡蓮華光院の御影堂」を明治四年(一八七一)に移築した建物で江戸時代中期の様式を表しています。
格天井の鏡板には密教法具の外牡丹、杜若等の草花が折上部には雲龍が描かれています。
宝輦(天皇の乗物)型の厨子の中には後水尾天皇の等身大の僧形を奉安しています。 |
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大覚寺 御霊殿(安井堂) |
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大覚寺 御霊殿(安井堂)から見た前庭、御影堂 |
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大覚寺 五大堂(本堂)
五大堂
嵯峨天皇が天下泰平・五穀豊穣を祈念して建てられたもので、現在のお堂は江戸時代(天明年間)に再建されました。五大明王をお祀りしている心経の本山、大覚寺の本堂です。 |
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大覚寺 五大堂(本堂) 大沢池 観月台
大沢池(庭湖)
境内の東に位置し、嵯峨天皇の離宮・嵯峨院の庭池で、周囲一キロの日本最古の庭苑池です。中国の「洞庭湖」を模して造られたところから庭湖とも呼ばれ、池には天神島、菊が島と庭湖石があり、この二島一石の配置は華道嵯峨御流の基本形に通じています。池の畔には茶室「望雲亭」、心経宝塔、石仏、名古曽の滝跡があり国指定の名勝地になっています。 |
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大覚寺 五大堂(本堂) 大沢池 観月台
大沢池
庭湖ともいい日本最初の庭池で最も古い庭園といわれています。
池には天神島と菊ヶ島の二つの島と巨勢金岡が配置したといわれる庭湖石があります。この二島一石の配置が嵯峨御流いけばなの基盤となっています。
遠くの山並みは東山連峰で正面の山は大文字山(如意ヶ岳)左手前の山は朝原山(遍照寺山)です。
この観月台からの仲秋の名月は有名で松尾芭蕉(ばしょう)の
名月や池をめぐりて夜もすがら
と句にも詠まれています。
また左手奥には多宝塔や藤原公任が詠んだ
滝の音は絶えて久しくなりぬれど
名こそ流れてなほ聞こえけれ
の名古曽の滝の石組み跡があります。
また平安時代から鎌倉時代にかけての石仏(野仏)がみられ名勝に指定されています。 |
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大覚寺 五大堂(本堂) 大沢池 観月台
観月台に座り、大沢池を眺めながら涼を取っている人が多かった。 |
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大覚寺 大沢池 観月台 熱中症計は警戒
現在時刻は14:35で、熱中症計は、温度は28.8℃、湿度は64%である。
佛教大学宗教ミュージアム前の時刻は13:50で、熱中症計の温度は28.8℃、湿度は57%、警戒であった。温度、湿度共にほとんど変わらないが、昼食を摂り損ねていささかバテ気味であるが、大沢池からの涼風が心地よい。 |
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大覚寺 霊宝館 |
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大覚寺 勅封心経殿
勅封心経殿
嵯峨天皇をはじめ、六天皇の写経が奉祀されています。現在のお堂は、大正十四年に再建されたものです。 |
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大覚寺 勅封心経殿
心経殿(勅封心経殿)
大正十四年(一九二五年)の建立で法隆寺の夢殿を模した八角形で高床式のコンクリート造りの建物です。殿内には嵯峨天皇をはじめ、後光巌、後花園、後奈良、正親町、光格天皇の般若心経の御写経が納められ薬師如来立像が奉伺されています。この勅封写経は天皇の命により封印をした経典として奉られ六十年に一度開封されます。
この建物は平成十年(一九九八年)に文化庁から「登録有形文化財」に指定されました。 |
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大覚寺 宸殿 前庭 左近の梅、唐門
仁和寺では左近の「桜」であった。 |
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大覚寺 大玄関(式台玄関) |