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皇居 東御苑 中雀門跡への坂
大番所で左に曲がって坂を上り、そこで右に曲がると中雀門跡があり、その先に本丸大芝生がある。 |
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皇居 東御苑 中雀門跡
坂を登り切った所に本丸大芝生が見える。 |
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皇居 東御苑 中雀門跡 |
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皇居 東御苑 本丸大芝生入口
本丸大芝生は江戸城本丸御殿であった。 |
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皇居 東御苑 本丸大芝生入口前で左折 |
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皇居 東御苑 富士見櫓 |
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皇居 東御苑 富士見櫓
「櫓」とは、倉庫や防御の役割をもった建物で、かつて江戸城には19の櫓がありました。
今は、伏見櫓、桜田二重櫓と、この富士見櫓の3つが残っています。その中で、富士見櫓は唯一の三重櫓です。明暦の大火(1657年)で消失した天守閣の代用としても使われ、将軍が両国の花火や品川の海を眺めたといわれています。 |
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皇居 東御苑 富士見櫓
富士見櫓に近づくことは出来ないが、天皇誕生日など皇居に一般参賀で立ち入れる時、蓮池濠から見上げることが出来る。白亜の立派な櫓で、こんなに立派なのかと思う。 |
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皇居 東御苑 本丸大芝生の西沿いの遊歩道を北上 |
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皇居 東御苑 本丸大芝生の西沿いの遊歩道を北上 |
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皇居 東御苑 本丸大芝生の西沿いの遊歩道 苑内案内図 |
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皇居 東御苑 本丸大芝生の西沿いの遊歩道 松の大廊下跡
赤穂浪士討ち入りにつなかったことで知られる、浅野内匠頭長矩の吉良上野介義央への刃傷事件(1701年〔元禄14年〕)のあったところです。廊下に沿った襖戸に松と千鳥が描力れでいたのか名前の由来といわれます。江戸城中で2番目に長い廊下で、畳敷きの立派なものでした。 |
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皇居 東御苑 本丸大芝生の西沿いの遊歩道 松の大廊下跡 |
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皇居 東御苑 本丸大芝生 |
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皇居 東御苑 本丸大芝生 午砲設置跡
いわゆるドンがあった場所の碑であるが、立ち入り禁止のため見難い。 |
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皇居 東御苑 本丸大芝生 紅葉した木々
全ての木々かは分からないが、本丸大芝生の周囲には多くの染井吉野などの桜が植えられている。 |
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皇居 東御苑 本丸大芝生 紅葉した木々 |
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皇居 東御苑 本丸大芝生 天守台 |
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皇居 東御苑 天守台
最初の天守閣は、1607年、二代将軍秀忠の代に完成しましたが、その後大修築され、1638年、三代将軍家光の代に、江戸幕府の権威を象徴する国内で最も大きな天守閣が完成しました。外観5層、内部6層で、地上からの高さは58メートルありました。しかし、わずか19年後の1657年、明暦の大火(振り袖火事)で、飛び火により全焼し、以後は再建されませんでした。 |
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皇居 東御苑 天守台 |
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皇居 東御苑 桃華楽堂
香淳皇后の還暦を記念して建てられた音楽堂で、1966年(昭和41年)に完成しました。八角形の建物で、屋根は、テッセンの花弁を形どっています。八つある壁面は、各面とも大きく羽ばたく鳥を中央に、それぞれ日月星、松竹梅、楽の音などをイメージした図柄が陶片で描かれています。香淳皇后のお印の「桃」にちなんで命名されました。 |
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皇居 東御苑 江戸城本丸御殿
この天守台から見える大芝生とその周辺には、江戸城本丸御殿の建物が立ち並んでいました。本丸御殿は、表、中奥、大奥という三つの空間に分かれていました。
表は、将軍の謁見など公的な儀式・行事、幕府諸役人の執務の場で、中奥は将軍の日常生活、政務を執る場、大奥は御台所と呼ばれた将軍の正妻をはじめ家族や女性たちの生活の場でした。 |
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皇居 東御苑 天守台 |
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皇居 東御苑 天守台
ここが天守閣のどこに当るのか分からないが、さして広くない広場である。 |
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皇居 東御苑 天守台から見た北桔橋門、武道館 |
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皇居 東御苑 天守台から見た本丸大芝生 |