天童寺


(English)


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天童寺 万工池 天童寺 万工池 

文字通り万人の人が作った池である。
天童寺 門前風景 天童寺 門前風景 
(有料の「公共」トイレがあるので注意)

帰りに「公共厠所」に入ろうとしたら、店員に止められ料金を請求された。中国には無料のトイレだけでなく、1元の有料とがある。有料でも掃除などしておらず、手を洗う水さえない。金を払っても入るほどの事もなかったので少し不愉快だった。
天童寺 門前風景 天童寺 門前風景 
天童寺 門前風景 天童寺 門前風景 
天童寺 万工池 天童寺 万工池 
天童寺 万工池 天童寺 万工池 
天童寺 天童寺 

天童寺は永平寺を本山とする曹洞宗の開祖である道元禅師が学んだ所であり、境内には日本の関係者訪問の記念碑などがある。
天童寺 天王殿 天童寺 天王殿 
天童寺 天王殿 天童寺 天王殿 
天童寺 天王殿 天童寺 天王殿 

内部は撮影禁止で残念であるが、4体の大きな天王像があり、いかにも中国、と思わせる。龍の首根を片手に握り、宝玉を取り上げた天王など、案内のパンフレットもなかった。翌日の天台山でもなく、上海で写真集などを探したがなかった。
天童寺 仏殿 天童寺 仏殿 
天童寺 仏殿 天童寺 仏殿 
天童寺 仏殿 天童寺 仏殿 
天童寺 仏殿 「日本 道元禅師得法霊蹟碑」 天童寺 仏殿 
「日本 道元禅師得法霊蹟碑」 


仏殿の背後にある。

道元禅師は正治2年(1200年)に京都で生まれ、比叡山で学んだ後、貞応2年(1223年)に中国(南宋)に渡った。天童寺で学び、安貞2年(1228年)に帰国後曹洞宗を開き、永平寺の開祖となった。建長5年(1253年)死去。
天童寺 仏殿 「日本 道元禅師得法霊蹟碑」 天童寺 仏殿 
「日本 道元禅師得法霊蹟碑」
 
天童寺 法堂 天童寺 法堂 
天童寺 法堂 天童寺 法堂 
天童寺 法堂 天童寺 法堂 

日本と違って中国の瓦の葺き方が独特で、密に瓦を葺く。
天童寺 禁煙だけでなく、痰も禁止 天童寺 禁煙だけでなく、痰も禁止
(痰を吐くのは中国人の日常的風景) 

天童寺は中国で最初の観光地であり、周囲も田舎だから痰を吐く不心得者がいるのだろう、と思った。しかし、地方都市の寧波だけでなく、上海の南京路や豫園商城でさえ、痰吐きが普通に行われており、北京オリンピックがマナー改善の契機になることをことを願う。欧米人グループが痰を吐く真似をし、顔を顰める風景を何回か見た。
天童寺 應真亭の白梅 天童寺 應真亭の白梅 
天童寺 求法の地訪問記念 天童寺 求法の地訪問記念 

曹洞宗関係学校参加者による碑である。
天童寺 参拝記念 天童寺 参拝記念 

曹洞宗宗門関係学校仏教専修科一同による碑である。
天童寺 天童寺 
天童寺 中国独特の瓦葺き 天童寺 中国独特の瓦葺き 
天童寺 法堂 天童寺 法堂 
天童寺 法堂 天童寺 法堂 
天童寺 千僧大銅鍋 天童寺 千僧大銅鍋 

明朝崇禎帝14年(1641年)に鋳造された大鍋である。
天童寺 千僧大銅鍋 天童寺 千僧大銅鍋 
天童寺 仏殿 天童寺 仏殿 
天童寺 案内図 天童寺 案内図 
天童寺 案内図 天童寺 案内図 
(英語の説明は簡明である) 

説明は簡体字であり、ほとんど読めないし、音を使っての表記もあり、意味も取りにくい。
(例 計算機は、計算机と書く。「機」と「机」の音が同じだからである。)
英語の表記は簡明で、辞書はほとんど不要である。但し、地名や人名などは発音通りの表記で分からないため、簡体字を見る。この場合は何とか分かるから不思議である。
天童寺 門前風景 天童寺 門前風景 

焼き芋屋であるが、大きな芋を一つずつ炉の穴に入れていく方式である。

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