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不忍通り 根津神社入口交差点で左折 |
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根津神社 大鳥居
根津神社の石碑の左が新坂(権現坂・S坂)である。 |
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根津神社 大鳥居
日本武尊が千駄木の地に創建したと伝えられている。現在地は江戸時代、甲府宰相・松平綱重の山手屋敷跡であり、のちに六代将軍となる徳川家宣の誕生の地であった。五代将軍・徳川綱吉は家宣の産土神として宝永3年(1706)に千駄木にあった社をこの地に移して、社領500石を附し、権現造の社殿を造営した。
社殿は拝殿・本殿と両者を接続する幣殿(相の間)からなり、しかも一つの屋根でまとめ、権現造の完成された姿をみせている。拝殿前に唐門を配し、その左右から透塀で社殿を囲んでいる。唐門前方の楼門を含め、権現造神社建築様式の旧規を示すものとしてすべて国指定重要文化財である。
祭神は須佐之男命、大山咋神、誉田別命、大国主命、菅原道真公である。
境内には「家宣の胞衣塚」(区指定民俗文化財)、「塞の大神碑」などがある。 |
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根津神社 神橋、楼門 |
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根津神社 楼門 |
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根津神社 楼門 |
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根津神社 唐門、社殿 |
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根津神社 社殿 |
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根津神社
日本武尊が千駄木の地に創建したと伝えられている。現在地は江戸時代、甲府宰相・松平綱重の山手屋敷跡であり、のちに六代将軍となる徳川家宣の誕生の地であった。五代将軍・徳川綱吉は家宣の産土神として宝永3年(1706)に千駄木にあった社をこの地に移して、社領500石を附し、権現造の社殿を造営した。
社殿は拝殿・本殿と両者を接続する幣殿(相の間)からなり、しかも一つの屋根でまとめ、権現造の完成された姿をみせている。拝殿前に唐門を配し、その左右から透塀で社殿を囲んでいる。唐門前方の楼門を含め、権現造神社建築様式の旧規を示すものとしてすべて国指定重要文化財である。
祭神は須佐之男命、大山咋神、誉田別命、大国主命、菅原道真公である。
境内には「家宣の胞衣塚」(区指定民俗文化財)、「塞の大神碑」などがある。 |
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根津神社 名物のつつじ園
楼門に至る参道沿いは有名なつつじ園で、神苑整備の名目で入場料が取られる。 |
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新坂(権現坂・S坂)
本郷通りから、根津谷への便を考えてつくられた新しい坂のため、新坂と呼んだ。また、根津権現(根津神社の旧称)の表門に下る坂なので権現坂ともいわれる。森鴎外の小説『青年』(明治43年作)に、「純一は権現前の坂の方に向いて歩き出した。・・・右は高等学校(注・旧制第一高等学校)の外囲、左は出来たばかりの会堂(注・教会堂は今もある)で、・・・坂の上に出た。地図では知れないが、割合に幅の広い此坂はSの字をぞんざいに書いたように屈曲してついている。 ・・・」とある。
旧制第一高等学校の生徒たちが、この小説『青年』を読み、好んでこの坂をS坂と呼んだ。したがってS坂の名は近くの観潮楼に住んだ森鴎外の命名である。
根津神社現社殿の造営は宝永3年(1706)である。五代将軍徳川柳吉が、柳豊(六代将軍家宣)を世継ぎとしたとき、その産土神として、団子坂北の元根津から、遷座したものである。 |
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新坂(権現坂・S坂)を上る |
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突き当りを右折 |
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日本医大前交差点で日医大つつじ通りを渡る |
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日本医大前交差点前を走る文京区Bーぐるばす
文京区コミュニティバスは、白山神社から日医大つつじ通りの坂を下る。 |
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日本医大キャンパス横の道を北上 |
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日本医大キャンパス横の道を北上 |
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日本医大 橘桜会館
橘桜会館入口角に夏目漱石旧居跡の石碑が立つ。 |
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夏目漱石旧居跡
夏目漱石 本名・金之助。慶応3年〜大正5年(1867〜1916)。小説家。この地に、漱石がイギリ ス留学から帰国後の、明治36年3月から39年12月、現在の西片1丁目に移るまで、3年10か月住 んだ家があった。(家主は東大同期の斉藤阿具氏)
当時、東京帝大英文科、第一高等学校講師として教職にあった漱石は、この地で初めて創作の 筆をとった。その作品『吾輩は猫である』の舞台として、“猫の家,,と呼ばれ親しまれた。
この地で、『倫敦塔』『坊っちゃん』『草枕』などの名作を次々に発表し、一躍文壇に名をあらわし た。漱石文学発祥の地である。
漱石が住む13年程前の明治23年10月から1年余り森鴎外が住み、文学活動に励んだ。鴎外は、ここから団子坂上の観潮楼へ移っていった。 |
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夏目漱石旧居跡
石碑は川端康成の書である。 |
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駒込学園前交差点で右折、大観音通りへ |
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大観音通り 駒込大観音(光源寺) |
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大観音通り 駒込大観音(光源寺)
高さ約6mの駒込大観音がある。7月9・.1O日の「四万六千日」の緑日のほおづき市で知られる。 |
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大観音通り 駒込大観音(光源寺)
駒込大観音再建の時、観音の顔が睨むようなまなざしで怖いとの評判がたち、仏師が死去の後、弟子によって顔だけ作り直された。このことが著作権と名誉毀損問題となり、最高裁で問題なしとなった。 |