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東御苑 梅林坂下で右折、本丸の石垣沿いに南下 |
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東御苑 石垣沿いに南下、左折して二の丸公園 都道府県の木へ |
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東御苑 石垣沿いに南下、左折して二の丸公園 都道府県の木へ |
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東御苑 二の丸公園 都道府県の木 茨城県 うめ
冬で枯れ木だらけの中に満開の木が唯一ある。言うまでもなく「梅」といえば茨城県である。 |
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東御苑 二の丸公園 都道府県の木を東進
都道府県の木
昭和43年(1968)の皇居東御苑公開に際し、都道府県から寄贈された各「都道府県の木」が植えられました。また、沖縄県の木は本土復帰した昭和47年(1972)に植樹されました。現在31樹種の木々が植えられています。
配置基準は分からないが、北からとか南かというものではない。例えば岩手県と群馬県の間に石川県がある。 |
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東御苑 二の丸公園 都道府県の木を東進 |
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東御苑 二の丸公園 都道府県の木 大分県 ぶんごうめ
都道府県の木の外れ、諏訪の茶屋の手前に見事に咲いた大分県の「ぶんごうめ」があった。 |
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東御苑 二の丸公園 都道府県の木 諏訪の茶屋 |
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東御苑 二の丸公園(二の丸庭園) |
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東御苑 二の丸公園(二の丸庭園) 諏訪の茶屋
諏訪の茶屋は、江戸時代には吹上地区(現在御所等のある一帯)にありました。 この建物は、明治45年に再建されたもので、明治期の茶室風の建物として優雅な外観をもっているため、皇居東御苑の整備に当たりここに移されました。
立ち入り禁止で近付くことはできない。 |
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東御苑 二の丸公園(二の丸庭園) 諏訪の茶屋 |
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東御苑 二の丸公園(二の丸庭園)
二の丸公園の東側にある小堀遠州が造った回遊式庭園である。
江戸時代、二の丸には小堀遠州が造り、三代将軍徳川家光の命で改修されたと伝えられる庭園がありましたが、長い年月の間にたびたび火災で焼失し、明治以降は荒廃していました。 現在の回遊式の庭園は、昭和43年の皇居東御苑の公開の開始に当たり、九代将軍徳川家重の時代に作成された庭園の絵図面を参考に造られたものです。 |
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東御苑 二の丸公園(二の丸庭園) |
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東御苑 二の丸公園(二の丸庭園) |
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東御苑 二の丸公園(二の丸庭園)
池の端に滝がある。 |
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東御苑 二の丸公園(二の丸庭園)
池の端に梅が咲いていた、 |
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東御苑 二の丸公園(二の丸庭園) 花菖蒲池 |
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東御苑 二の丸公園(二の丸庭園) 花菖蒲池
冬なのでイメージが湧かないが、萬代の浪、葵の上、江戸自慢などの名札が立っている。 |
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東御苑 二の丸公園(二の丸庭園) 二の丸休憩所 |
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東御苑 二の丸公園(二の丸庭園) 突き当りで左折、白鳥濠沿いに南下 |
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東御苑 二の丸 白鳥濠 東御苑 案内図 |
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東御苑 百人番所前広場で左折
右折すると本丸大芝生を経て天守台に向かう。
百人番所
本丸と二の丸へ通じる要所である大手三之門の前に設けられた番所です。鉄砲百人組と呼ばれた、甲賀組、伊賀組、根来組、二十五騎組の4組が昼夜交代で詰めていました。各組には同心が100人ずつ配属されていました。 |
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東御苑 同心番所
「番所」とは、警備の詰所のことで、百人番所、大番所とこの同心番所の3つが残っています.城の奥の番所ほど、位の上の役人が詰めていました。ここには同心が詰め、主として、登城する大名の供の監視に当っていました。 |
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東御苑 同心番所 東御苑 案内図 |
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東御苑 三の丸尚蔵館
三の丸尚蔵館は,皇室に代々受け継がれた絵画・書・工芸品などの美術品類が平成元年6月,国に寄贈されたのを機に,これら美術品を環境の整った施設で大切に保存・管理するとともに,調査・研究を行い,併せて一般にも展示公開することを目的として,平成4年9月に皇居東御苑内に建設され,翌年11月3日に開館しました。 なお,平成8年10月に故秩父宮妃のご遺贈品,平成13年4月に香淳皇后のご遺品,さらに平成17年10月には故高松宮妃のご遺贈品が加わり,現在約9,500点の美術品類を収蔵しています。 |
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東御苑 大手門(渡櫓)
平成23年の東日本大震災で損傷を受けた渡櫓は修復工事が終わっていた。 |
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内堀通り 大手門(高麗門)
大手門に限らず、江戸城の門は防御に強い枡形門である。まず高麗門と呼ばれる門から入り、突き当りの広場を曲がると渡櫓があり、敵兵を広場で銃撃したり、弓矢で防衛する。
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