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明治通り 明治通りバイパス(御苑通り)分岐点
花園神社のすぐ先の明治通りバイパスは御苑通りと呼ばれ、明治通りの東側を通って新宿御苑の新宿門手前まで運用されている。新宿御苑内を通過することに反対があり、計画から70年経っても全線開通しなかったが、東京オリンピックに合わせて地下化して千駄ヶ谷五丁目交差点付近に出ることで工事が進められている。 |
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明治通り 新宿六丁目交差点で右折、文化センター通りへ 日清食品 東京本社
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明治通り 新宿六丁目交差点で右折、文化センター通りへ 日清食品 東京本社
一見洒落たホテルかマンションに見え、壁の「日清食品ホールディングス」も銀色でさり気なく掲げられている。 |
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文化センター通りを北東に進む |
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文化センター通りを北東に進む 新宿文化センター |
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文化センター通りを北東に進む |
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文化センター通りを北東に進む
Y字路を右折する。 |
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文化センター通りを北東に進む
8日後の参院選の東京地方区のポスターである。偶然とは思うが、改選6人のうち、当選濃厚と言われる4人が上位の位置に貼られている。 |
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文化センター通りを北東に進む
単に目標となる地名が書かれているだけの道標で、通り過ぎてから撮っているので直進すると新宿文化センター、戻ると抜弁天と逆になっている。 |
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文化センター通りを出て右折、抜弁天通りへ |
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文化センター通りを出て右折、抜弁天通りへ |
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抜弁天通り 抜弁天交差点
抜弁天通りは直進し、右折すると余丁町通りとなって都営新宿線の曙橋駅に向かう。
因みに新宿大ガードから職安通り、抜弁天通りとなったと同302号(新宿両国線)はこの交差点から余丁町通りとなる。 |
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抜弁天通り 抜弁天交差点
抜弁天交差点は左の抜弁天通りと右の余丁町通りとを分岐し、Y字路となっている。その頂点に抜弁天がある。 |
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抜弁天通り 抜弁天交差点 厳島神社 抜弁天
余丁町通り側から入り、中央にある抜弁天を参拝後抜弁天通り側に出る。 |
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抜弁天通り 抜弁天交差点 厳島神社 抜弁天
一、由来
白河天皇の御代応徳三年(一〇八六年)鎮守府将軍・源義家公は、後三年の役で奥州征伐の途上この地に立ち寄り、遠く富士を望み安芸の厳島神社に勝利を祈願した。義家は奥州鎮定後その御礼に神社を建て、市杵島姫命を祀ったのが当厳嶋神社の始めと伝えられている。(豊多摩郡誌参照)
二、江戸時代
参道は南北に通り抜けでき、また苦難を切り抜けた由来から、抜弁天として庶民から信仰され、江戸六弁天の一つに数えられている。また山の手七福神を構成する弁財天でもある。
江戸幕府の地誌 大久保絵図(安政四年)には、別当二尊院・抜弁天と記載され、また他の絵図にはここに稲荷神社があったことも示されている。
徳川綱吉将軍の「生類憐みの令」によりこの附近に二万五千坪の犬小屋が設けられていた。 |
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抜弁天通り 抜弁天交差点 厳島神社 抜弁天
抜弁天界隈には新宿山ノ手七福神のうち、3福神が近くにある。残り4福神の内、大黒天(経王寺)は抜弁天通りを進み大久保通りと名が変わった大江戸線の牛込柳町交差点手前にあり、毘沙門天(善国寺)はさらに東の神楽坂にある有名な寺である。布袋尊(太宗寺)は丸ノ内線新宿御苑前駅の北にあり、江戸六地蔵があることで知られる。恵比寿天(稲荷鬼王神社)は職安通りの鬼王神社前交差点の南にある。
地図の左の西向天神社は七福神ではなく、抜弁天の朱印帳などを正月七日以外に取り扱う。 |
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抜弁天通り 抜弁天交差点 厳島神社 抜弁天 |
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厳島神社 抜弁天を出て右折、抜弁天通りへ |