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永代通り 正月飾りの門前仲町商店街 |
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永代通り 深川不動尊 表参道(人情深川 ご利益通り) 赤門
最初に富岡八幡宮に行き、それから隣接する深川不動尊に向かう。 |
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永代通り 富岡八幡宮 正面参道 大鳥居 |
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富岡八幡宮 正面参道 大鳥居 境内案内図
現在地は中央下の大鳥居脇である。 |
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富岡八幡宮 正面参道 伊能忠敬 日本測量出発地
伊能忠敬銅像
近代日本地図の始祖である伊能忠敬先生は、事業に成功したあと五〇歳のとき江戸に出て、当宮近くの黒江町(現在は門前仲町一丁目)に隠宅を構えていました。 約二00年前の寛政十二年閏四月十九日(陽暦では一八〇〇年六月十一日)の早朝に当宮に参拝して蝦夷地(北海道)測量の旅に出かけました。 忠敬先生はこのときを含めて全部で一〇回の測量を企画しましたが、遠国に出かけた第八回までは、出発の都度必ず、内弟子と従者を率いて富岡八幡宮に参詣して、無事を祈念したのち、千住、品川宿など測量開始地点に向かって歩き出しました。当宮は伊能測量にとってたいへん御縁の深い場所であります。 伊能測量開始二○○年にあたり、「伊能ウォーク」、地図・測量、土地家屋調査士、伊能忠敬研究会などの関係者が中心となって、広く一般から浄財を公募して建立されました。 |
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富岡八幡宮 正面参道 大関カ士碑
当宮は江戸勧進相撲発祥の地として知られ、明治年間には歴代横綱の名を刻んだ横綱カ士碑(本殿に向かって右側の奥)が建立されましたが、この大関カ士碑は歴代の大関を顕彰し(横綱に昇進した力士と実際に取組みには入らなかった看板大関を除きます)昭和五十八年に建てられた碑で、九代目市川団十郎と五代目尾上菊五郎が明治年間に寄進した仙台石を利用しています。 |
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富岡八幡宮 正面参道 大関カ士碑 |
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富岡八幡宮 正面参道 神輿庫 富岡八幡宮御本社神輿(日本一の大神輿) |
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富岡八幡宮 正面参道 神輿庫 富岡八幡宮御本社神輿(日本一の大神輿)
当八幡宮には、江戸時代深川に屋敷のあった紀伊国屋文左衛門より三社託宣に因み八幡造り・神明造り・春日造りの三基三様の神輿が奉納され、みこし深川と云われて参りましたが大正十二年の関東大震災で惜しくもその全てを焼失してしまいました。それ以来、御本社神輿の復活は深川っ子の念願でありましたが、平成の御世になり漸く昔に優るとも劣らない豪華な大神輿が復活致しました。 |
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富岡八幡宮 正面参道 本殿
富岡八幡宮は寛永4年(1627年)に創建され、江戸最大の八幡様である。勧進相撲の開催地であることから、力石など力士関連の遺構が多い。
本殿の右に婚儀殿があり、両者を結ぶ渡り廊下の下を通り抜けると裏の広場に横綱力士碑がある。本殿と婚儀殿ばかり目立ち、この本殿右の渡り廊下が見えず、横綱力士碑へ向かう道が分かりにくい。 |
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富岡八幡宮 西参道
西参道の鳥居手前右に末社があり、その一つの恵美須社は深川七福神の一つで、正月には参拝客で賑わう。
西参道の鳥居を出て深川公園を経て深川不動尊に向かう。 |
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深川公園を西進 |
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深川不動尊 境内入り口 旧本堂 |
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深川不動尊 本堂
平成23年に完成したもので、外壁に梵字(不動明王真言)が取り付けられている。 |
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深川不動尊 旧本堂
深川不動尊は元禄16年(1703年)に成田山新勝寺の別院として建立された。当時不動尊信仰が盛んで、成田山に行かずとも江戸で参詣したいとの町民の希望がかなった。
境内の西側には開運出世稲荷や勝軍地蔵尊、トンボ鉛筆寄贈の不動などの寄贈石造群がある。 |
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深川不動尊 表参道(人情深川 ご利益通り) |
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深川不動尊 表参道(人情深川 ご利益通り) 赤門を出て右折、永代通りへ |
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永代通り 門前仲町交差点で左折、清澄通りへ |