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富岡八幡宮(本殿~横綱カ士碑~大鳥神社)

【関連サイト】   東西線H2007
有名神社 富岡八幡宮
第8回 粋な下町文化が根づく街、深川を歩くH230420(清澄庭園~深川えんま堂~富岡八幡宮)


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富岡八幡宮 本殿 富岡八幡宮 本殿 
富岡八幡宮 本殿 富岡八幡宮 本殿 
富岡八幡宮 七五三風景 富岡八幡宮 七五三風景 

子供の写真を撮るため専門の写真家も呼ばれている。
富岡八幡宮 婚儀殿への渡り廊下の下を通り、横綱力士碑へ 富岡八幡宮 婚儀殿への渡り廊下の下を通り、横綱力士碑へ 

本殿と婚儀殿ばかり目立ち、この本殿右の渡り廊下が見えず、横綱力士碑へ向かう道が分かりにくい。
富岡八幡宮 本殿右裏 横綱力士碑 富岡八幡宮 本殿右裏 横綱力士碑 
富岡八幡宮 本殿右裏 横綱力士碑 富岡八幡宮 本殿右裏 横綱力士碑 

 当宮では貞享元年(一六八四)に幕府の公許のもと初めて勧進相撲が行われ、以後年二場所の相撲興業が定期的に行われた事により江戸勧進相撲発祥の地として知られるようになりました。
 初代明石志賀之助からの歴代横綱の名が刻まれたこの碑は、第十二代横綱陣幕久五郎が発起人となり各界の協賛を得て奉納されたものです。
 なお、正面参道・大鳥居手前左側には「大関力士碑」が建立されています。
富岡八幡宮 本殿右裏 横綱力士碑 富岡八幡宮 本殿右裏 横綱力士碑 

 この横綱力士碑は、横綱の顕彰と相撲の歴史を伝えるため、江戸時代最後の横綱第十二代陣幕久五郎が中心となり、明治三十三年に建てられました。
 古くから庶民に親しまれてきた相撲は、江戸時代には幕府公認の勧進相撲(寺社修復などを目的に実施)へと発展し、大坂・京・江戸で興業として開催されました。幕府がはじめて江戸ての勧進相撲を認めたのは、貞享元年(一六八四)の富岡八幡宮境内でした。その後、明和年間(一七六四~七一)には、春・秋二場所のうち一場所がこの地で開催され、享和元年(一八〇一)までに本場所三十一回を数えました。その意味で、富岡八幡宮は江戸勧進相撲の発祥地といえます。
 偉容を誇る横綱力士碑は、同時期に建てられた陣幕・不知火顕彰碑や周辺の石造物(魚かし石柱、土台下王垣は大正末ごろ)とともに、相撲と地域のつながりを示す貴重な文化財です。
富岡八幡宮 本殿右裏 出羽海一門友愛之碑 富岡八幡宮 本殿右裏 出羽海一門友愛之碑 
富岡八幡宮 本殿右裏 超五十連勝力士碑 富岡八幡宮 本殿右裏 超五十連勝力士碑 

さすがに、と言うべきか、意外と言うべきか分からないが、書かれている人数は五人で、最後は千代の富士、その前は双葉山である。
富岡八幡宮 本殿右裏 横綱力士碑 富岡八幡宮 本殿右裏 横綱力士碑 

碑の左右に魚かし石柱があり、その脇に左は不知火顕彰碑、右に陣幕顕彰碑が建っている。
富岡八幡宮 本殿右裏 不知火顕彰碑 富岡八幡宮 本殿右裏 不知火顕彰碑 
富岡八幡宮 本殿右裏 陣幕顕彰碑 富岡八幡宮 本殿右裏 陣幕顕彰碑 
富岡八幡宮 本殿右裏 横綱力士碑界隈 境内案内図 富岡八幡宮 本殿右裏 横綱力士碑界隈 境内案内図 
富岡八幡宮 末社ヘ向かう 富岡八幡宮 末社ヘ向かう 
富岡八幡宮 力持ち碑、力石 富岡八幡宮 力持ち碑、力石 
富岡八幡宮 末社 富岡八幡宮 末社 
富岡八幡宮 末社 富岡八幡宮 末社 

中央が恵美須社、大黒社で、左が富士浅間社、金毘羅社、右が大鳥神社、鹿島神社である。

恵美須社は深川七福神の一つで、正月には参拝客で賑わう。
富岡八幡宮 末社入口の鳥居 富岡八幡宮 末社入口の鳥居 

この鳥居を出て深川公園を経て深川不動尊に向かう。



 
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