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JR 上野駅 公園口
JR上野駅 公園口〜国立西洋美術館〜上野東照宮(表参道〜水舎門〜ぼたん苑〜唐門〜石大鳥居)〜上野公園〜両大師橋〜北上野一丁目交差点〜かっぱ橋本通り(かっぱ寺(曹源寺)〜合羽橋交差点〜公園六区入口交差点)〜奥山おまいりまち〜浅草寺〜銀座線 浅草駅
【撮影記録】
令和元年 5月 4日 晴れたり曇ったり
10:35〜13:00 7,400歩(概算 4.8km 地図上の距離 4.1km)
今年(平成31年)の3月に水戸で梅、4月に飛鳥山で桜、昭和記念公園で桜とチューリップ、根津神社でつつじを見てきたが、最後に上野東照宮で牡丹を見に出かけた。
牡丹苑はさして広くはないが、様々な種類の牡丹は見事だった。そこから久しぶりに両大師橋、かっぱ橋本通りを経て浅草寺の奥山おまいりまち、浅草寺と歩いた。気温は30℃を超え、少しバテた。 |
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JR 上野駅 公園口前 東京文化会館
JR上野駅公園口の前の上野公園通りを渡ると東京文化会館で、そこで右折する。 |
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JR 上野駅 公園口前 東京文化会館 |
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JR 上野駅 公園口前 東京文化会館、国立西洋美術館
東京文化会館の角を曲がって上野公園に入る。 |
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JR 上野駅 公園口前 国立西洋美術館 |
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上野公園 大噴水広場から見た上野動物園
上野動物園に向かう幼児連れの親子グループは直進し、国立博物館に向かうグループは右折して北上する。上野東照宮のぼたん苑に向かう人は斜め左に進むが、その数は少ない。 |
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上野公園 大噴水前広場 小松宮彰仁親王銅像 |
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上野公園 大噴水前広場 小松宮彰仁親王銅像
彰仁親王は伏見宮邦家親王の第八王子。安政五年(一八五八)京都仁和寺に入って純仁法親王と称し、慶応三年(一八六七)勅命により二十二歳で還俗、東伏見宮嘉彰親王と改称した。同四年一月の烏羽・伏見の戦に、征東大将軍として参戦。ついで会津征討越後口総督となり、戊辰戦争に従軍した。
明治十年五月、西南戦争の負傷者救護団体として、博愛社が創立されると、九月その総長に就任した。同十五年には、小松宮彰仁親王と改称。同二十年、博愛社が日本赤十字社と改名すると、総裁として赤十字活動の発展に貢献した。同三十六年一月十八日、五十八歳で没。
銅像は明治四十五年二月に建てられ、同三月十八日、除幕式が挙行された。作者は文展審査員の大熊氏廣。『下谷区史』は当地に建てた理由について、寛永寺最後の門跡・輪王寺宮公現法親王(後の北白川宮能久親王)の兄宮であったことに因んだのだろうと推察している。 |
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上野公園 大噴水前広場 小松宮彰仁親王銅像 |
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上野公園 さくら通りから右折、上野東照宮へ
上野東照宮は木立の奥まった所にあり、分かり難い。今は春のぼたん祭(4月11日〜5月12日)の時期なので、公園内に道案内が設けられている。 |
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上野公園 さくら通りから右折、上野東照宮へ |
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上野公園 さくら通りから右折、上野東照宮へ
上野束照宮 ぼたん苑
春のぼたん祭
牡丹の花は「富貴」の象徴とされ、「富貴花」「百花の王」などと呼ばれています。
日本には奈良時代に中国から薬用植物として伝えられたと言われています。江戸時代以降、栽培が盛んになり数多くの牡丹の品種が作り出されました。
上野東照宮ぼたん苑は、1980年(昭和55年)に日中友好を記念して開苑し、現在は中国牡丹、アメリカ品種、フランス品種を含め500株以上の牡丹があでやかに咲き誇ります。
・開苑期間:4月中旬〜5月上旬
・開苑時間:午前9時〜午後5時(入苑締切)
冬ぼたん
牡丹には二期咲き(早春と初冬)の性質を持つ品種があり、このうち冬咲きのものが寒牡丹と呼ばれています。
寒牡丹の花は自然環境に大きく左右され、着花率が低く、二割以下といわれています、そこで、花の少ない冬に、お正月の縁起花として抑制栽培の技術を駆使して開花させたものが冬牡丹です、春夏に寒冷地で開花を抑制、秋に温度調整し冬に備えるという作業に丸二年を費やし、厳寒に楚々とした可憐な花をつけます。
・開苑期間:1月1日〜同年2月中旬
・開苑時間:午前9時30分〜午後4時30分(入苑締切) |
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上野公園 上野東照宮 大石鳥居
上野東照宮は、上野動物園の南側で、公園の西側に位置している。
この鳥居には、厩橋侍従酒井雅楽頭忠世の名前がある。あの下馬将軍の異名を持つ酒井侯で、寛永10年の日付がある。 |
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上野公園 上野東照宮 表参道 水舎門 |
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上野公園 上野東照宮 表参道 水舎門
水舎門を潜り抜けてすぐ左にぼたん苑の券売所がある。
ぼたん苑については別ページにまとめた。
仏閣ならば山門であるが、上野東照宮は神社であり、帰宅後に調べたら戦後の荒廃時に御水舎の上屋を転用したようである。 |