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三渓園(白雲邸(特別参観)〜臨春閣〜内苑 芝生広場)

【関連サイト】   東京、横浜の紅葉・黄葉名所巡りH2311(秋の三渓園散策)H231121
晩秋の横浜 三渓園、本牧山頂公園、港の見える丘公園散策H221124(晩秋の三渓園)

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三渓園 内苑 御門横の白雲邸へ 三渓園 内苑 御門横の白雲邸へ 

御門の右横に小門があり、そこから白雲邸の特別参観に向かう。

 内苑は、戦後に初めて一般公開されたエリアで、それまでは原家の私庭として一般には立ち入れなかった。よって当時三渓園のみやげ物として売り出された絵はがきにも内苑の写真はほとんど見られない。
 御門は、当時“桃山御殿門”あるいは“桃山御門”と呼ばれ、これは奥の臨春閣が豊臣秀吉築造の桃山建築・聚楽第(じゅらくだい)の遺構とされていたことによる呼称であった。戦後、臨春閣は江戸初期に建てられた紀州徳川家の別荘“巌出御殿(いわでごてん)”と判明したため、“桃山御門”は“御門”となった。
三渓園 内苑 特別参観の白雲邸(横浜市指定有形文化財) 三渓園 内苑 特別参観の白雲邸(横浜市指定有形文化財) 

この邸宅は居宅だけでなく、横山大観などの国内だけでなく海外の賓客の接待に使われ、特別に見ることが出来た1枚板の朱塗りの食卓は皇太子時代の今上天皇夫妻や、秩父宮殿下などの皇族訪問時に使われたというものである。

左の机の上には三渓園の歴史を知る上での資料が置かれ、一時所有した富岡製糸場の写真や、横浜大空襲時の三渓園付近の航空写真などがある。三渓園が多くの貴重な建造物や品物を所有していることや海外の賓客接待に使われていたことから、京都、奈良、鎌倉同様空襲対象外にされた、とのことである。その証拠が三渓園の300m手前まで燃え盛る横浜市内の写真である。
三渓園 内苑 特別参観の白雲邸(横浜市指定有形文化財) 三渓園 内苑 特別参観の白雲邸(横浜市指定有形文化財) 

この建物の特徴は今から100年ほど前に建てられたにもかかわらず、敷居の高さは全て2mを超すことと、襖やガラス戸の桟が畳の高さに揃えられたバリアフリー構造になっていることである。このため、海外の賓客も問題なく歩けたとのことである。

この理由の一つは三渓自身が180cmを超えただけでなく、二人の子供も2mを越したためと言われている。実際178cmの筆者もそのまま敷居を越えることが出来、参加者で最も高い183cmの人も腰を屈めることなく部屋を移動できた。
三渓園 内苑 特別参観の白雲邸(横浜市指定有形文化財) 三渓園 内苑 特別参観の白雲邸(横浜市指定有形文化財) 

往時には女中だけで30人以上おり、日常業務や賓客の接待に勤めたと言う。
三渓園 内苑 特別参観の白雲邸(横浜市指定有形文化財) 三渓園 内苑 特別参観の白雲邸(横浜市指定有形文化財) 

白雲邸を出ると御門からの道に出、普通の客が閉じられている門から出てくる我々を奇異の目で見つめていた。

 この建物は原三渓が大正9年(1920)隠居所として建てた数寄屋風建築で明治以降における近代和風建築を代表するものです。
建物の構造は単に居宅としてだけでなく、美術品の鑑賞や接客などの目的を兼ね備えた配置や間取りになっています。
三渓園 内苑 突き当りを左折 三渓園 内苑 突き当りを左折 
三渓園 内苑 三渓記念館 三渓園 内苑 三渓記念館 

突き当りを左折した左にあり、内部は原三渓縁の品々の展示や、抹茶専門の喫茶室、土産物コーナーがある。

園の創設者原三渓は、若き芸術家の支援や関東大震災後の横浜復興など多方面に功績のあった人物です。館内では、展示・映像により業績やゆかりの美術品などを紹介しています。
このほか、本格的なお点前で気軽に抹茶の接待が受けられる呈茶処やミュージアムショップも併設しています。
三渓園 内苑 芝生広場 三渓園 内苑 芝生広場 

突き当りを右折した先に芝生広場がある。
三渓園 内苑 芝生広場 三渓園 内苑 芝生広場 

右手奥には臨春閣がある。
三渓園 内苑 臨春閣(重要文化財) 三渓園 内苑 臨春閣(重要文化財) 

 この建物は、紀州侯初代の徳川頼宣によって慶安2年(1649)に、和歌山県那賀郡岩出町の紀ノ川沿いに建てられた夏の別荘巌出御殿といわれています。8代将軍吉宗は幼時この巌出御殿に育ち、享保元年(1716)に将軍になりました。
また、この建物は数寄屋風書院造として、宮家別荘桂離宮と共に我国住宅史上において別荘建築の双璧といわれています。
三渓園には大正6年(1917)に移築されました。

ここでもガイドの弁舌は好調で、紀州藩時代の来歴や移築後のエピソードなどが語られた。
三渓園 内苑 臨春閣から見た旧燈明寺三重塔 三渓園 内苑 臨春閣から見た旧燈明寺三重塔 

旧燈明寺三重塔は三渓園のシンボルマークで、園内の至る所で見ることが出来る。
三渓園 内苑 臨春閣(重要文化財) 三渓園 内苑 臨春閣(重要文化財) 

臨春閣は渡り廊下でつながれた建物で、左右の建物ともに臨春閣である。
三渓園 内苑 臨春閣(重要文化財) 三渓園 内苑 臨春閣(重要文化財) 

この時点で桜木町駅からの大混雑のバスで揉みくちゃにされたため、腰痛がひどく立っているのもつらい状況になった。このため、幹事とガイドに断って臨春閣の左後方の山に建つ旧天瑞寺寿塔覆堂(重要文化財)や亭?、春草廬、旧天瑞寺寿塔覆堂(重要文化財)などは以前見物したことあり参加せずに芝生広場で待つことにした。

別れた時はせいぜい20分前後と思ったが、後で聞くとガイドの説明が冴え渡り1時間以上も広場で待つことになった。
 三渓園 内苑 芝生広場 ソメイヨシノと大島桜 三渓園 内苑 芝生広場 ソメイヨシノと大島桜 
三渓園 内苑 芝生広場 熱中症計はほぼ安全 三渓園 内苑 芝生広場 熱中症計はほぼ安全 

現在時刻は15:00で、温度19.2℃、湿度は32%、熱中症計はほぼ安全である。

2月は湿度が低すぎて計測できない(LO) 状態が続いたが、春となり数値が表示されるようになった。
三渓園 内苑 臨春閣(重要文化財) 三渓園 内苑 臨春閣(重要文化財) 
三渓園 内苑 芝生広場 ソメイヨシノと大島桜 三渓園 内苑 芝生広場 ソメイヨシノと大島桜 

手前がソメイヨシノで、後方が白い花が特徴的な大島桜である。時折見かける真っ白な花が際立つ木の名前が分からなかったが、大島桜という名札が掛っていていた。
三渓園 内苑 芝生広場 大島桜 三渓園 内苑 芝生広場 大島桜 
三渓園 内苑 臨春閣(重要文化財) 三渓園 内苑 臨春閣(重要文化財) 



 
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