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三渓園 内苑 木立の中を南下 |
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三渓園 内苑 海岸門
海岸門
建築年:江戸時代/移築年:大正時代
御門と同じ、京都・西方寺にあったもの。 |
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三渓園 外苑 海岸門先の突き当たりにある三渓園案内図
海岸門の先の突き当たりにある案内図で、右折すると南門、左折すると大池に出て外苑となる。
根岸駅から本牧通り、産業道路、本牧市民公園と進む。本牧市民公園に入った途端に絶壁のお出迎えである。岩の名前は分らないが、大雨が降ったら今にも崩れそうな感じである。公園内には上海横浜友好園があり、その一角に南門がある。 |
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三渓園 外苑 木立を北上、大池へ |
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三渓園 外苑 大池沿いに並ぶ茶店群
茶店は3軒あり、手前から雁ヶ音茶屋、月影の茶屋、三渓園茶寮である。それぞれの店で売られているものに違いがあり、例えば三色団子は人気で長い列が出来ている。また、園内に自販機はなく、暑いので水やお茶を買おうとしても長い列に並ばなければならない。 |
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三渓園 外苑 大池沿いに並ぶ茶店群 |
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三渓園 外苑 大池南端のサクラ並木
外苑
明治39(1906)年、一般に向けて公開されたエリア。京都・燈明寺から移された室町時代の建築・三重塔がランドマークとして配され、ウメ・サクラ・ハナショウブ・ハスなど、四季折々の花を中心に楽しめます。 |
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三渓園 外苑 大池南端のサクラ並木 |
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三渓園 外苑 大池南端のサクラ並木 |
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三渓園 外苑 大池南端のサクラ並木 |
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三渓園 外苑 大池南端のサクラ並木 |
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三渓園 外苑 旧燈明寺三重塔(重要文化財)
旧燈明寺三重塔
建築年:室町時代康正3(1457)年/移築年:大正3(1914)年
京都・木津川市の燈明寺(廃寺)にあった建物。
現在、関東地方にある木造の塔では最古。
三渓園のランドマークであり、腰痛がなければと断念した。 |
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三渓園 外苑 旧燈明寺本堂(重要文化財)
旧燈明寺三重塔から見ると旧燈明寺本堂の屋根の見事さが分かる。
旧燈明寺本堂
建築年:室町時代康正3(1457)年/移築年:昭和62(1987)年
三重塔と同じ,京都・燈明寺から移築. |
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三渓園 外苑 歓心橋近くから見た茶店前のサクラ並木 |
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三渓園 外苑 歓心橋 |
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三渓園 外苑 歓心橋
楠公社と観心橋
楠公とは、南北朝時代の武将・楠正成のこと。社殿の建物は、もと大阪・観心寺にあったもので、楠正成が建武元年(1334)に建立、自らの守護神・牛頭明王(ごずみょうおう)を祀ったと伝えられた。三渓園への移築後は、高村光雲門下の彫刻家・米原雲海作の楠公の木彫像が安置されていたが、空襲の爆撃により社殿と楠公像はともに失われた。現在の天満宮の鳥居脇にある首の欠け落ちた狛犬は、楠公社があった頃からのもので空襲による破壊の痕が生々しく残されている。 手前にかかる橋は観心橋で、その名は楠公社の由緒(観心寺)による。今では「赤い橋」としているが、もとは白木の簡素な橋であった。 |
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三渓園 外苑 歓心橋と三渓園天満宮 |
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三渓園 外苑 三渓園天満宮
観心橋を渡った所にあり、左折すると正門に向かう。
この天満宮はもと間門天神といい、三渓園にほど近い間門の旧家高梨家の先祖が本牧の丘の中腹に建てたものです。 昭和52年(1977)三渓園に移されました。 |
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三渓園 外苑 三渓園天満宮 |
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三渓園 外苑 八つ橋 |
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三渓園 外苑 八つ橋 |
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三渓園 外苑 正門 |
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三渓園 外苑 正門
行き以上に大混雑が予想されるバスで桜木町に向かうのは自殺行為なので、JR根岸駅までタクシーで帰った。料金は1,180円と意外に安かった。 |