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馬道交差点〜言問通り〜とうきょうスカイツリー駅

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二天門前交差点で左折、馬道通りに出て北上 二天門前交差点で左折、馬道通りに出て北上 
馬道通り 馬道交差点で右折、言問通りへ 馬道通り 馬道交差点で右折、言問通りへ 
言問通り 萎びたイチョウ並木を東進 言問通り 萎びたイチョウ並木を東進 

さすがに歳末であり、イチョウも萎びている。
言問通り 旧浅草猿若町由来 言問通り 旧浅草猿若町由来 
言問通り 旧浅草猿若町由来 言問通り 旧浅草猿若町由来 

 江戸時代に歌舞伎は大衆に支持される一大娯楽となったが、幕府は風紀の乱れを恐れ、様々な規制を設けて、統制を強めてきた。老中・水野忠邦の「天保の改革」の際に芝居小屋廃止を打ち出すことになったが、遠山左衛門尉影元(遠山の金さん)の「庶民の娯楽を奪うことは、却って人心の安定に役立たない」との献策を受け、日本橋周辺にあった幕府公認の芝居小屋を江戸城郊外に当たる当地へ強制移転させることにした。

 一八四二年(天保一三年)当地に新しく芝居町が造られ、江戸歌舞伎の始祖である猿若勘三郎(のちの初代中村勘三郎)の名から「猿若町」と命名された。ここには芝居小屋、芝居茶屋、役者や芝居関係者の住まいなどが造られ、大勢の江戸の人々が「猿若三座」の歌舞伎や人形浄瑠璃を見物するため繰り出したと言われている。

 のちに住居表示の実施により、一九六六年(昭和四一年)浅草六丁目の一部となった。
言問通り 言問橋西交差点 言問通り 言問橋西交差点 

この交差点は五差路で、右からくる江戸通りは国道6号となって右折して言問橋東交差点まで言問通りと重なる。、斜め左上から待乳山聖天、今戸神社に向かう橋場通り、斜め左下から吉野通りが始まる。
言問通り 東京スカイツリーに向って、隅田川に架かる言問橋を渡る 言問通り 東京スカイツリーに向って、隅田川に架かる言問橋を渡る 
言問通り 東京スカイツリーに向って、隅田川に架かる言問橋を渡る 言問通り 東京スカイツリーに向って、隅田川に架かる言問橋を渡る 
 言問通り 隅田川に架かる言問橋 隅田公園のサクラ並木 言問通り 隅田川に架かる言問橋 隅田公園のサクラ並木 

季節柄裸木であるが、満開のサクラ並木は見事である。
言問通り 言問橋東詰 隅田公園(旧水戸藩下屋敷 小梅邸) 牛嶋神社 言問通り 言問橋東詰 隅田公園(旧水戸藩下屋敷 小梅邸) 牛嶋神社 

牛嶋神社は桜で有名な隅田公園(旧水戸藩下屋敷 小梅邸)の北端にあり、言問通り沿いの言問橋東詰手前にある。

牛嶋神社は貞観二年(860年)、慈覚大師の御神託により創建。江戸時代から庶民に親しまれた「撫で牛」(なでうし)が祀られ、また本殿前には全国でも数少ない三輪鳥居がある。
言問通り 言問橋案内 言問通り 言問橋案内 

 橋の名は、伊勢物語の中心人物、在原業平の詠んだ「名にしおはゞ いざ言問はん都鳥 我が想う人は ありやなしやと」から名づけられた「言問団子」に因ると言われている。
 架橋は昭和3(1928)年。墨田区内では両国、蔵前、厩、駒形、吾妻の五橋とともに関東大震災の復興橋梁として工事が進められ、完成に伴い橋の上流にあった向島三囲神社と浅草待乳山や人をつなぐ「竹屋の渡し」が廃止されている。
 当初は両国橋とともに長大な鋼ゲルバー桁橋として偉容を誇ったが、近年は200メートルを超す大橋が多く目立たなくなった。とはいえ当時の新進気鋭の技士たちが最先端の技術を駆使して設計施工しただけに文化的価値が高く、平成20(2008)年に両国橋とともに東京都選定歴史
的建造物になっている。
 昭和20(1945)年3月10日の大空襲では、両岸から避難民が押し寄せ多くの犠牲者が出た。
 平成4(1992)年から実施された改修工事で欄干と縁石が取り外され、その一部が江戸東京博物飾の屋外通路に展示されている。
言問通り 言問橋東交差点で三ツ目通りを渡る 言問通り 言問橋東交差点で三ツ目通りを渡る 

三ツ目通りは右からこの交差点までで、左折すると言問橋から重複した水戸街道(国道6号)となる。右折してすぐ先に牛嶋神社が見える。
言問通り 突き当り交差点で右に曲がる 言問通り 突き当り交差点で右に曲がる 

左折すると小梅通りである。
言問通り 都営押上アパート1号館前交差点 言問通り 都営押上アパート1号館前交差点 

左折すると曳舟川通りで、小梅通り、水戸街道と平行している。
言問通り 曳舟川の由来 言問通り 曳舟川の由来 
言問通り 曳舟川の由来 言問通り 曳舟川の由来 

摩滅して一部読みにくい場所がある。

 曳舟川は、徳川幕府が本所開拓に伴う上水として、万治二年(一六五九年)に開削したものです。当時は、本所上水、亀有上水などと呼ばれ、瓦曽根(現越谷市)の溜井から分水して、亀有がら四ッ木をへて本所と深川の各地に配水されたようです。
 その後、亨保七年(一七二二年)に上水としては利用されなくなりましたが、川筋の脇を四ッ木街道が通り水戸街道に接続しているため、次第に重要な交通路として利用されるようになりました。
 この川が「曳舟川」と呼ばれるようになったのは、「サツバコ」と呼ばれる田舟のような舟に旅人を乗せ、岸から引かせたことによるものてす。            人
 また、曵舟川には古くから多くの橋が架けられており、薬師橋、鶴土手橋、地蔵橋、庚申橋などの名前が文献に見られますが、この付近(小梅児童遊園)にも八反目橋が架けられていました。この辺りの小梅という地名は、元は梅香原と呼ばれる梅の木の多い地域だったことによるもので、八反目の名も八反梅(八〇アールの梅林)から来ているとの説もあります。
 昭和二九年六月東京都告示によって川としての役割は廃止され、昭和三〇年代を中心に埋め立てられて、道路として整備されました。
言問通り 東武 伊勢崎線(東京スカイツリーライン) とうきょうスカイツリー駅 言問通り 東武 伊勢崎線(東京スカイツリーライン) とうきょうスカイツリー駅 

とうきょうスカイツリー駅のホームから東京スカイツリーが間近に見える。
言問通り 東武 伊勢崎線(東京スカイツリーライン) とうきょうスカイツリー駅 言問通り 東武 伊勢崎線(東京スカイツリーライン) とうきょうスカイツリー駅 

東京スカイツリー駅交差点のすぐ先にあり、東京スカイツリーの開業に合わせて薄汚い業平橋駅は大改造されて名前も変えられた。

停車している特急りょうもう(両毛)は東武線特急で、伊勢崎や赤城など、栃木(下毛野国)、群馬(上毛野国)方面を結ぶ特急である。



 
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