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不忍通り 護国寺西交差点で左折
三叉路の護国寺西交差点で左折し、首都高5号池袋線の高架の下を直進する。右折すると都道音羽池袋線(435号)で、雑司が谷霊園を経て池袋に向かう。 |
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不忍通り 護国寺西交差点で左折 |
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不忍通り 旧町名由来 旧雑司ヶ谷町
延亨3年(1746)町方支配になり、雑司ヶ谷の町名がつけられた。町名の由来については、いろいろな説がある。 昔、小日向の混合時(または法明寺とも)の支配地て物や税を納める雑司料であった。また、建武のころ(1333〜36)南朝の雑士(雑事をつかさどる)柳下若狭、長島内匠などがここに住んだので、雑司ヶ谷と唱えたという。 その後、蔵主ヶ谷、僧司ヶ谷、曹雑司ヶ谷などと書かれたが、8代将軍吉宗が鷹狩のとき、雑司ヶ谷村とかくべしとの命があり、今の文字を用いたという。 |
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不忍通り 若葉が芽吹き始めた銀杏並木
赤子の爪ほどの小さな若葉であるが、しっかりと二つに割れた葉である。 |
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不忍通り 日本女子大 目白キャンパス
日本女子大は数日前に終了した平成27年下期の人気NHK朝ドラ)「あさが来た」のヒロイン広岡浅子が創立発起人になったことで話題になっている。
日本女子大は目白通りと不忍通りとの間に目白キャンパスがある。 |
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不忍通り 清戸坂(清土坂)
清戸坂(清土坂)
延宝4年(1676年)御三家、尾張徳川家の御鷹場が、中清戸(現清瀬市)につくられた。将軍もしばしば出かけて鷹狩りを行った。これが現在の目白通りである。
首都高速道路(5号線)護国寺出入口(護国寺側)から目白通りに向っての広い道は、昔から“清戸道に登る坂”ということで『清戸坂』といわれた。
江戸時代、この坂の北側一帯は、雑司ヶ谷村の畑(現在の雑司ヶ谷墓地)で坂の道に沿って雑司ヶ谷清土村百姓町があった。
明治10年代から坂の北側には牧場と牧舎が建ち、平田牧場と言った。牛乳を売る小売店があり、人々が休憩した。旗竿には、『官許の牛の乳』と假名と、ローマ字で書かれていたという。 |
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不忍通り 目白台二丁目交差点で右折、目白通りへ |
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不忍通り 目白台二丁目交差点で右折、目白通りへ |
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目白通り 高田一丁目交差点
交差点右に鬼子母神表参道入口と書かれたアーチがあり、右折して直進すると副都心線 雑司が谷駅、都電荒川線 鬼子母神前駅を経て鬼子母神に着く。 左折すると宿坂を下り、江戸五色不動の目白不動尊(金乗院)を経て、桜で有名な早稲田大学近くの神田川の面影橋に出る。 |
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目白通り 高田一丁目交差点
交差点右に鬼子母神表参道入口と書かれたアーチが見える。 |
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目白通り 千登世橋 |
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目白通り 千登世橋
正確には都電荒川線の跨線橋で明治通りへの階段がある部分を千登世小橋といい、その先の明治通りを跨ぐ部分が千登世橋である。 |
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目白通り 千登世橋 階段を下りると明治通りへ
目白通りから明治通りに階段で下る。両方の道路間の高低差が如何にあるかは明治通りから見るとよく分る。
明治通りを南下すると桜並木で有名な高戸橋交差点に出て、そこで左折して神田川沿いに満開の桜並木を愛でながら早稲田大学に向かうのが定番コースである。
今回は目白通り沿いの桜並木で有名な学習院を見物し、さらに高戸橋から西側の神田川はどうなっているのかを知るため千登世橋を西進する。 |
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目白通り 千登世橋から見た明治通り |
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目白通り 学習院沿いの満開の桜並木 |
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目白通り 目白警察署前交差点
学習院側には満開の桜並木が続くが、目白通り側には若葉が出始めた銀杏並木が続く。 |
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目白通り 学習院 中・高等科正門 |
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目白通り 学習院 正門 |
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目白通り 学習院 正門 |
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目白通り 学習院沿いの満開の桜並木 |
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目白通り 川村学園
学習院正門の向かいにあり、幼稚園から女子大学までの歴史あるお嬢様学校として有名である。 |
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目白通り 学習院 西門 |
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目白通り 学習院 西門前のJR 目白駅 |