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東京メトロ 千代田線 根津駅
根津駅〜根津神社(満開のつつじ祭り)〜根津裏門坂〜日本医科大学〜駒込大観音〜団子坂下交差点〜谷中よみせ通り〜谷中ぎんざ〜日暮里駅〜谷中天王寺〜谷中霊園(天王寺五重塔跡、さくら通り〜徳川慶喜墓)〜谷中霊園入口交差点〜団子坂通り(全生庵〜三崎坂)〜千駄木駅
【撮影記録】
平成27年 4月 24日 晴れ
10:30〜12:15 8,500歩(概算 6.0km 地図上の距離 4.7km)
根津神社の名物であるつつじ苑が満開と聞き、幕末の谷中、つつじ祭りの根津、文豪の千駄木をテーマに谷根千を巡った。普段は行かない漱石、鴎外の遺構のある千駄木、団子坂や、団子坂通りを歩いた。
覚悟はしていたが、根津神社のつつじ苑は中高年のグループで大混雑だった。 |
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つつじ祭りの案内がある不忍通りを北上
普段は空いている不忍通りも、中高年女性グループが溢れ、歩くのも大変である。逆方向から来る地元の人は、広い歩道にもかかわらず歩くのにも難儀しており、自転車は進むことも出来ない。 |
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不忍通り 根津神社入口交差点で左折
左折すると不忍通りに向かう一方通行の一車線ぎりぎりの狭い道であり、交差点の標識を見落とすと分かりにくい。
不忍通りに出ようとする車は次から次へと来る人出のため全く走れず、運転手もあきらめている。 |
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根津神社 表参道 朱塗りの大鳥居
根津神社の表参道の鳥居から入り、社殿で参拝後、西参道から日医大つつじ通りに出る。
徳川5代将軍綱吉が世継が決まった時に現在の社殿を奉建、千駄本の|日社地より御遷座した。権現造りの本殿、拝殿、幣殿、唐門、楼門、透塀は国の重要文化財に指定されている。4月下旬頃、約50種3,000株のツツジが咲くつつじ苑が有名。 |
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根津神社 大鳥居横の新坂(権現坂・S坂)
根津神社の南から西沿いに沿う坂で、日医大つつじ通りの日本医大前交差点に出る。
本郷通りから、根津谷への便を考えてつくられた新しい坂のため、新坂と呼んだ。また、根津権現(根津神社の旧称)の表門に下る坂なので権現坂ともいわれる。森鴎外の小説『青年』(明治43年作)に、「純一は権現前の坂の方に向いて歩き出した。・‥右は高等学校(注・旧制第一高等学校)の外囲、左は出来たばかりの会堂(注・教会堂は今もある)で、・・・坂の上に出た。地図では知れないが、割合に幅の広い此坂はSの字をぞんざいに書いたように屈曲してついている。 ・・・」とある。 旧制第一高等学校の生徒たちが、この小説『青年』を読み、好んでこの坂をS坂と呼んだ。したがってS坂の名は近くの観潮楼に住んだ森鴎外の命名である。 根津神社現社殿の造営は宝永3年(1706)である。五代将軍徳川柳吉が、柳豊(六代将軍家宣)を世継ぎとしたとき、その産土神として、団子坂北の元根津から、遷座したものである。 |
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根津神社 表参道 朱塗りの大鳥居 |
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根津神社 表参道に掲示された他神社のポスター
左がつつじ祭りとほぼ同じ期間の上野東照宮のぼたん祭、右が亀戸天神の藤まつりである。
以前東照宮に行った時は、入口の人出に入園を断念した。亀戸天神は境内いっぱいの見事な藤の花は堪能できたが、一寸刻みでしか歩けず、人の頭を避けながらの藤の撮影には苦労した。 |
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根津神社 表参道 つつじ祭りに合わせて建てられた屋台
神橋手前の東側の広場に設けられた屋台だが、西側に広がるつつじ苑に気を取られて参拝客には見向けもされない。 |
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根津神社 表参道 つつじ祭りのつつじ苑 |
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根津神社 楼門
正面右側の随身は水戸光圀公がモデルと伝えられている。 |
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根津神社 表参道 つつじ祭りのつつじ苑 |
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根津神社 つつじ苑 満開のつつじ祭り
楼門横につつじ苑の入口がある。つつじ祭りのつつじ苑については別ページにまとめた。 |
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根津神社 楼門
つつじ祭りを楽しんだ後、つつじ苑を出て楼門から社殿に向かう。 |
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根津神社 西参道に設けられたつつじの販売店
様々なつつじが売られているが、数百円と安価な鉢植えもある。ただ入谷の朝顔市や、浅草寺のほおづき市のように縁起物で無いせいか、立ち寄る人も少ない。 |
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根津神社 神楽殿 |
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根津神社 唐門、透塀、社殿
唐門は屋根が唐破風になっている門のこと、中国式の門の意味でではない。
長い列ができているが、社殿で参拝する人の列なので、横から唐門をくぐり社殿に向かう。 |
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根津神社 社殿
日本武尊が千駄木の地に創建したと伝えられている。現在地は江戸時代、甲府宰相・松平綱重の山手屋敷跡であり、のちに六代将軍となる徳川家宣の誕生の地であった。五代将軍・徳川綱吉は家宣の産土神として宝永3年(1706)に千駄木にあった社をこの地に移して、社領500石を附し、権現造の社殿を造営した。 社殿は拝殿・本殿と両者を接続する幣殿(相の間)からなり、しかも一つの屋根でまとめ、権現造の完成された姿をみせている。拝殿前に唐門を配し、その左右から透塀で社殿を囲んでいる。唐門前方の楼門を含め、権現造神社建築様式の旧規を示すものとしてすべて国指定重要文化財である。 祭神は須佐之男命、大山咋神、誉田別命、大国主命、菅原道真公である。 境内には「家宣の胞衣塚」(区指定民俗文化財)、「塞の大神碑」などがある。 |
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根津神社 社殿横の西門 |
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根津神社 西参道に並ぶ露店 |
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根津神社 西参道の上にある乙女稲荷神社
社殿横の西門を出ると正面にある乙女稲荷の鳥居の脇に胞衣塚の案内があり、階段を上って左に胞衣塚がある。右には乙女稲荷に寄進された小鳥居の列がある。
つつじ苑を見た後に訪れる人が多く、立ち寄るのを諦めた。 |
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根津神社 西参道に並ぶ露店、屋台 |
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根津神社 西参道 鳥居を出て左折、日医大つつじ通りへ
鳥居前には屋台が並び、広い参道も狭くなり、行き交う人も体の向きを変えながら歩く。 |
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日医大つつじ通り 根津裏門坂
根津神社の裏門前を、根津谷から本郷通りに上る坂道である。 根津神社(根津権現)の現在の社殿は、宝永3年(1706)五代将軍綱吉によって、世継ぎの綱豊(六代家宜)の産土神として創建された。形式は権現造、規模も大きく華麗で、国の重要文化財である。 坂上の日本医科大学の西横を曲がった同大学同窓会館の地に、夏目漱石の住んだ家(“猫の家”)があった。「吾輩は猫である」を書き、一躍文壇に出た記念すべき所である。 |