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東急世田谷線 三軒茶屋駅・目青不動尊(教学院)〜世田谷通り〜松陰神社通り

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東急世田谷線 三軒茶屋駅 キャロットタワー 東急世田谷線 三軒茶屋駅 キャロットタワー 

田園都市線の三軒茶屋駅から長いコンコースを歩いてくると、目の前にキャロットタワーが聳え立つ。キャロットタワーは三軒茶屋のランドマークタワーと言える建物で、東急世田谷線の三軒茶屋駅はこのビルの1階にある。
東急世田谷線 三軒茶屋駅 東急世田谷線 三軒茶屋駅 

東急世田谷線 三軒茶屋駅・目青不動尊(教学院)〜世田谷通り〜松陰神社通り〜松陰神社(参道〜社殿〜松下村塾(模造)〜奉献 石燈籠〜吉田松陰墓所〜参道)〜世田谷通り〜世田谷ボロ市(区役所西通り〜駒沢公園通り〜ボロ市通り〜世田谷代官屋敷跡)〜東急世田谷線 上町駅〜城山通り〜世田谷城阯公園〜井伊家菩提寺 豪徳寺〜東急世田谷線 宮の坂駅〜世田谷八幡宮〜豪徳寺駅

【撮影記録】
平成30年 1月 15日 晴れ
10:45〜14:10(昼食 20分) 12,300歩(概算 8.0km 地図上の距離 5.2km)

4年前は世田谷線全線を歩き、その一部としてボロ市を歩いた。その後腰痛や白内障などで歩けず、体力が落ちていることから世田谷区の歴史散策として松陰神社、ボロ市、世田谷城址公園、豪徳寺、世田谷八幡宮に絞って歩いた。
ボロ市は平日なのになんでこんなに人気なのだろうか、と思うくらい大混雑で、その延長で豪徳寺も混んでいた。
東急世田谷線 三軒茶屋駅 東急世田谷線 三軒茶屋駅 

ホームは2面あり、右は乗車専用、左は降車専用である。いつもはガラガラの乗車ホームは係員が何人も出て整理しているが、降車ホームは東西の自由通路として保育園児のグループが利用していた。江戸五色不動尊の一つである目青不動尊の教学院はホームの西側にあるので降車ホームを歩いた。
世田谷線沿いに歩いてすぐに目青不動尊(教学院)に至る 世田谷線沿いに歩いてすぐに目青不動尊(教学院)に至る 

自由通路でもある降車ホームを渡るとファミリーマートがあり、その先が目青不動尊(教学院)の入口である。
世田谷線沿いに歩いてすぐに目青不動尊(教学院)に至る 世田谷線沿いに歩いてすぐに目青不動尊(教学院)に至る 

参道の奥に不動堂がある。
目青不動尊(教学院) 不動堂 目青不動尊(教学院) 不動堂 

不動明王は鈍い青色の像である。五色不動の由緒などの案内板はない。

江戸五色不動尊は、徳川家光が天海大僧正の献策により天下泰平を祈願し、設けたもので、目黒、目白、目赤、目青、目黄である。成立年代、寺の特定などには異論がある。

目黒不動 - 瀧泉寺(目黒区下目黒) 東急目黒線 不動前駅
目白不動 - 金乗院(豊島区高田) 副都心線 雑司が谷駅
目赤不動 - 南谷寺(文京区本駒込) 南北線 本駒込駅
目青不動 - 教学院(世田谷区太子堂) 東急田園都市線 三軒茶屋駅
目黄不動 - 永久寺(台東区三ノ輪) 地下鉄日比谷線 三ノ輪駅
目青不動尊(教学院) 不動堂 目青不動尊(教学院) 不動堂 
目青不動尊(教学院) 不動堂 目青不動尊(教学院) 不動堂 

土足で階段を上り、参拝してください、との案内の紙が張られている。
 目青不動尊(教学院) 本堂 目青不動尊(教学院) 本堂 

本堂の右脇に立派な石碑があり、よくある日露戦争の忠魂碑と思ったら、獣魂碑であった。横に由来が書かれた碑があるが、摩滅してよく読めない。
東急世田谷線 三軒茶屋駅に向かう玉電110周年記念電車 東急世田谷線 三軒茶屋駅に向かう玉電110周年記念電車 

世田谷線は渋谷と二子玉川とを結ぶ玉電の支線で、玉電廃止後に独立した。今年は110周年にあたるので、招き猫をデザインした特別電車が1編成運行している。
東急世田谷線 三軒茶屋駅に向かう玉電110周年記念電車 東急世田谷線 三軒茶屋駅に向かう玉電110周年記念電車 
東急世田谷線 三軒茶屋駅に向かう玉電110周年記念電車 東急世田谷線 三軒茶屋駅に向かう玉電110周年記念電車 
キャロットタワーの西側の道を南下 キャロットタワーの西側の道を南下 
右折して世田谷通りに出て西進 右折して世田谷通りに出て西進 
世田谷通りを西進 世田谷通りを西進 
世田谷通りを西進 太子堂四丁目交差点 世田谷通りを西進 太子堂四丁目交差点 

右折して住宅街を北上すると世田谷線の西太子堂駅につく。
世田谷通りを西進 若林交差点で環七通りを渡る 世田谷通りを西進 若林交差点で環七通りを渡る 
世田谷通りを西進 若林交差点で環七通りを渡る 世田谷通りを西進 若林交差点で環七通りを渡る 

右折して環七通りを北上すると世田谷線の若林駅に向かう。
世田谷通りを西進 若林交差点で環七通りを渡る 世田谷通りを西進 若林交差点で環七通りを渡る 
世田谷通りを西進 上馬五丁目歩道橋 世田谷通りを西進 上馬五丁目歩道橋 
世田谷通りを西進 北原白秋住居跡 世田谷通りを西進 北原白秋住居跡 

歌人・詩人・童謡作家であった北原白秋は、その生涯五十七年のうち、四十四歳から五十五歳までの十二年間、世田谷区内に在住していた。
 此の所若林三丁目十五番に、昭和三年四月、旧馬込町(大田区)から移転してきた、区内最初の住所地で、「世田谷風塵抄」と題する一連の短歌を詠んでいる。

霾らし嵐吹き立つ春さきは代々木野かけて朱の風空
風面朱に吹き立つ春真昼ゑぐき埃に食いとふなり
木?のしづけき空へちりかけて桜はしろし光る花びら
風たまゆら土にしづけき花びらのひとつ舞ひ立ちはらら皆立つ

 彼は、昭和六年初夏、今の砧六丁目十三番(旧大蔵の西山野)に、次で昭和十一年一月、今の成城一丁目三十二番に移転、翌十二年十一月、眼底出血をおこし、昭和十五年四月、杉並区阿佐ケ谷に転居、同十七年十一月二日逝去した。

昭和六十年二月
白秋生誕百年を記念して
世田谷通り 松陰神社入口交差点で右折、松陰神社通りを北上 世田谷通り 松陰神社入口交差点で右折、松陰神社通りを北上 
松陰神社通りを北上 松陰神社通りを北上 
松陰神社通りを北上 東急世田谷線 松陰神社前駅 松陰神社通りを北上 東急世田谷線 松陰神社前駅 
松陰神社通りを北上 東急世田谷線 松陰神社前駅 松陰神社通りを北上 東急世田谷線 松陰神社前駅 
 松陰神社通りを北上 松下村塾學び館 松陰神社通りを北上 松下村塾學び館 

吉田松陰および松下村塾の塾生・門下生について学ぶことのできる、入館無料の資料館である。



 
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