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高輪皇族邸(右)と高松中学校(左)との間を北上
細川家下屋敷跡から右折して突き当たりで左折、高輪皇族邸(右)と高松中学校(左)との間を北上する。突き当りで右折すると二本榎通りに出る。 |
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高輪皇族邸(右)と高松中学校(左)との間を北上 旧細川邸のシイ
高輪コミュニティぷらざの手前にある巨木である。
肥後熊本藩細川家の下屋敷跡にある樹高10・8m、周囲8・13mのスダジイの巨木。根元の部分に大きな洞があったため補修されている。東京都指定天然記念物。 |
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高輪皇族邸(右)と高松中学校(左)との間を北上 旧細川邸のシイ
高輪支所の丘陵上に独立する単木で、樹高一〇・八メートル、幹囲り八・一三メートル、枝張りは東に六・七メートル、西にニ・七メートル、南に五・六メートル、北に五・八メートルを測る巨樹である。幹の下部に大きな空洞があったため、昭和五十六年には大規模な外科手術を実施した。
旧細川邸とは、肥後熊本藩細川家の下屋敷のことであり、元禄十六年(一七〇三)二月四日、赤穂事件の大石内蔵助良雄・吉田忠左衛門兼亮・小野寺十内秀和・原惣右衛門元辰ら十七人が切腹を命ぜられたところとして、屋敷跡は東京都指定旧跡に指定されている。 |
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高輪皇族邸(右)と高松中学校(左)との間を北上 旧細川邸のシイ |
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高輪コミュニティぷらざで直角に右折 |
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高輪子ども中高生プラザ前を東進 |
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高輪子ども中高生プラザ前を東進、突き当りで左折
港区の高輪地区の施設とマンションの間の道を歩く。 |
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坂道を下りつつ北上
坂道を下るとピーコックストア高輪魚籃坂店である。 |
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都道415号高輪麻布線 魚籃坂舌交差点 |
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都道415号高輪麻布線 魚籃坂舌交差点
魚籃坂下交差点で都道415号高輪麻布線は桜田通りと交差する。 |
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都道415号高輪麻布線 魚籃坂を上る
ぎょらんざか 坂の中腹に魚籃観音を安置した寺があることから名付けられた。 |
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都道415号高輪麻布線 魚籃坂を上る |
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都道415号高輪麻布線 魚籃坂 大信寺 石村近江墓
石村近江墓
三味線はわが国の代表的な楽器として、世界に知られています。
十三世紀ごろ中国に三絃としておこり、琉球に伝わり、十六世紀ごろ摂津の堺(大阪府)に伝来して、京阪地方の琵琶法師に用いられていました。
その後種々の技法を採り入れた石村検校と、それを継いだ石村近海は、日本の三味線として、多数の名器を相継いで世に出し、邦楽の発展に寄与しました。
三味線の始祖とされる石村近江は、号を浄本、通称を源左衛門といい、京都から江戸に移住して三味線を完成し、「浄本近江」と呼ばれた名工でした。
寛永十三年(一六三六)三月二日に死去しました。
なお、石村家は代々近江の名を継ぎましたが、特に二代浄本から五代までは名匠相継ぎ、古今無双の名器を世に出しました。
墓は本堂裏手の墓地にあり、記念碑も建っています。 |
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都道415号高輪麻布線 魚籃坂 大信寺
史跡 石村近江
江戸における
三味線製作の
始祖
昭和七年三月
東京市 |
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都道415号高輪麻布線 魚籃坂 大信寺 |
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都道415号高輪麻布線 魚籃坂 大信寺 |
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都道415号高輪麻布線 魚籃坂 大信寺 石村近江顕彰碑 |