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北斎通りを西進 緑町公園 葛飾北斎生誕地
左後方の銀色の建物は「すみだ北斎美術館」である。 |
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北斎通りを西進 緑町公園 葛飾北斎生誕地
江戸の町 江川太郎左衛門屋敷跡前
江川太郎左衛門は、伊豆韮山を本拠地とした幕府の世襲代官で、太郎左衛門とは江川家の代々の当主の通称です。なかでも有名だったのが、三十六代の江川英龍(一八〇一〜五五)です。
彼は洋学の中でも、とりわけ近代的な沿岸防備の手法に強い関心を抱き、日本に西洋砲術を普及し、韮山に反射炉を築いて江戸防御のため、江戸湾内に数ヵ所あった砲台(お台場)を造りました。また、日本で初めてパンを焼いた人物だともいわれています。
この屋敷は、代官の役所も兼ねていて、土佐国中濱村の漁師で、嵐で遭難し、米国の捕鯨船に救われ、ほぼ十年振りに帰国した中濱萬次郎を敷地内の長屋に住まわせ、英語を講義させたといわれています。 |
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北斎通りを西進 緑町公園 葛飾北斎生誕地
江戸の町 南割下水
明暦の大火後に、幕府は本所深川の本格的な間発に乗り出します。まず着手したのは、竪川、大横川、北十間川、横十間川などの運河と掘割の開削と、両国橋の架橋です。掘割の一つが南割下水で、雨水を集めて川へ導くために開削されたものです。北には(現在の春日通り)北割下水も掘られました。
幅は一間(約一・八m)から二間足らずで、水も淀み、暗く寂しい場所でしたので、本所七不思議の「津軽屋敷の太鼓」「消えずの行灯」「足洗い屋敷」の舞台にもなりました。
昭和初期に埋め立てられましたが、この付近で葛飾北斎が生まれたところから、今では「北斎通り」と名を変えています。また、この辺りには、三遊亭円朝や歌舞伎作者の河竹黙阿弥も住んでいました。 |
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北斎通りを西進 緑町公園 葛飾北斎生誕地
両国物語 津軽の太鼓・津軽家上屋敷跡
南割下水に面した弘前藩主・津軽越中守の上屋敷には、火の見櫓がありました。
通常、火の見櫓で火災を知らせる時は板木を鳴らしますが、この櫓には板木の代わりに太鼓が下がっていて、その太鼓で火事を知らせていました。なぜこの屋敷の櫓だけに太鼓が許されていたのかは誰も知らず、不思議なこととされていました。
これが本所七不思議の一つ「津軽の太鼓」の話です。七不思議とはいいますが、民話なので伝わり方によって内容もまらまちで、数も七つと決まっているわけではありません。
この「津軽の太鼓」には「越中守屋敷の火の見櫓の板木を鳴らすと、奇妙なことに太鼓の音がする」という話も伝えられています。 |
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北斎通りを西進 緑町公園 葛飾北斎生誕地
絵画と文学 葛飾北斎生誕地(墨田区 亀沢付近)
宝暦十(一七六〇)年九月二十三日、本所南割下水(墨田区亀沢)付近に生まれた北斎は、浮世絵の役者絵を出発点として、狩野派、光琳派、大和絵など、さまざまな流派の技法を学び、新しい画風をどんどん確立させて、多くの名作を遺しました。
代表作『冨嶽三十六景』は、天保二(一八三一)年から天保四(一八三三)年にかけて制作。とても七〇歳を過ぎてからの作品とは思えません。八〇歳を過ぎても創作意欲は衰えず、死の床に就いた嘉永二(一八四九)年、「あと一〇年、いや五年でよいから生きさせてくれ、そうすれば真の画工になれる」といって息を引き取ったといわれています。常に新しい画法に取り組んできた北斎らしい臨終の言葉でした。 |
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北斎通りを西進 緑町公園 周辺案内地図 |
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北斎通りを西進 行灯風の街灯
大横川親水公園を過ぎると行灯風の街灯があったが、北斎の浮世絵は飾られていなかった。
北斎生誕地近くなら、と思っていたが結局全ての区間で撤去されていた。 |
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北斎通りを西進 両国湯屋 江戸遊
東洋式整体、食事などを楽しむ所で、18歳未満は入館禁止である。 |
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北斎通りを西進 本所割下水
割下水とは、かつてここを流れていた下水の呼称です。1650年代末以降の本所開拓の中で開鑿(かいさく)された下水で、かつてはその両側に道がありました。あの有名な葛飾北斎も、割下水付近の住人だったようです。
この付近は、いわゆる本所七不思議の舞台の一つとして知られてきましたが、特に近年は葛飾北斎ゆかりの地として有名になっています。
割下水は昭和初期に暗渠(あんきよ)となり、平成2年から5年にかけての歩道整備を経て現在のような道路となりました。
平成6年8月以来、「北斎通り」の名前で親しまれています。 |
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北斎通りを西進 本所割下水 |
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北斎通り 江戸東京博前交差点で左折、清澄通りへ
築き当たりの交差点の左に江戸東京博物館、右に日大第一中学校・高等学校がある。 |
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清澄通りを南下 江戸東京博物館
階段を上ると江戸東京ひろばで、浅草寺観音堂大棟鬼瓦などの屋外展示がされており、階段を降りるとJR総武線の両国駅に着く。 |
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清澄通りを南下 都営大江戸線 両国駅
毎度思うことだが、JRと都営の大江戸線の両国駅間は総武線の線路沿いに歩く最短コースでも約1km、わかり易い京葉道路経由でも大きな差はなく15分前後かかる。駅と駅の直結はなく、悪評の一旦地上に出て歩いて移動する大江戸線と新宿線の蔵前駅の接続の方が問題にならないほど近くて便利である。 |
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清澄通りを南下 JR総武線の高架下を南下 |
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清澄通り 緑一丁目交差点で右折、京葉道路へ |
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京葉道路 緑一丁目交差点に並ぶキングサイズ店
交差点角に力士御用達のライオン堂、フォーエル、靴のイマムラが並ぶ。 |
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京葉道路 緑一丁目交差点 力士御用達のライオン堂
ショーウインドウには力士用のステテコやシャツが展示され、次のような案内文がある。
当店は
KING SIZEの専門店です。
胸囲・胴囲 100cm以上
首囲 46cm以上
足のSIZE 27cm以上
足のサイズだけならクリアできる人は多いと思うが、全条件となるとかなりの肥満である。もっとも力士としては小粒とは思うが。 |
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京葉道路 緑一丁目交差点 力士御用達のフォーエル
身長 200cmマデ
ウエスト 150cmマデ
足のサイズ 32cmマデ
の制約は大型力士には難しいかもしれない。
それにしても2L、3L、まれに4Lまで見かけるが、10Lとはどのような衣料品なのか、と見たくなる。しかし、デブ専の芸人には便利なのかもしれない。 |
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京葉道路 緑一丁目交差点 力士御用達の靴のイマムラ
「大きくて幅広」、「幅広6E 32 33 34」などの惹句が並ぶ。普通の店で3Eまでで、まれに4Eの商品を見ることもあるが、6Eとなると想像もつかない。 |
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晴れ間が見えてきた京葉道路を西進 |
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晴れ間が見えてきた京葉道路を西進 両国亭 |
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晴れ間が見えてきた京葉道路を西進 両国亭
毎日18時開演で、大トリには圓楽、圓橘、鳳楽、好楽など有名落語家が出演している。全ての芸人がそうだと言えないが、上記の落語家は圓楽一門会である。 |
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晴れ間が見えてきた京葉道路を西進 ファミリーマート角で左折
以前は本所警察署先のファミリーマート、という目標があったが、平成25年3月に老朽化のため旧深川商業高校跡地に移転しており、目標が分かりにくい。
歩いていて気がついたが、本所警察署の跡地に小さな交番(両国交番)が出来ていた。 |