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春日通り〜佐竹商店街〜おかず横丁

【関連サイト】   湯島天神、亀戸天神の満開の梅を楽しむH270227(佐竹商店街〜鳥越神社〜蔵前橋)
御徒町駅から行く秋の下町ハイキングH231002(御徒町駅〜佐竹通り(佐竹商店街)〜鳥越神社)

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春日通り 台東四丁目交差点で昭和通りを渡る 春日通り 台東四丁目交差点で昭和通りを渡る 

高架は首都高1号上野線である。
春日通り 台東四丁目交差点で昭和通りを渡る 春日通り 台東四丁目交差点で昭和通りを渡る 
春日通り 台東四丁目交差点 安売り店の多慶屋本館 春日通り 台東四丁目交差点 安売り店の多慶屋本館 

首都高1号上野線の高架の先の藤色のビルは安売り店の多慶屋本館で、、「たけいや・・・高えーや」に因んでいる。
店舗数の違いもあり、ドンキホーテほど有名ではないが、春節の爆買いで中国人が殺到した安売り店である。
春日通りを東進 春日通りを東進 

台東四丁目交差点を過ぎると街の様子は一変し、普通のオフィスビルとなる。
春日通りを東進 春日通りを東進 

交差点名はないが、ローソンがある交差点を左(北側)から春日通りを渡って台東区のコミュニティバスである南めぐりんが走る。ローソンのすぐ先に南めぐりんの新御徒町駅バス停がある。
台東区のコミュニティバス 南めぐりん #4 新御徒町駅バス停 台東区のコミュニティバス 南めぐりん #4 新御徒町駅バス停 
春日通り 都営  大江戸線/つくばエクスプレス線 新御徒町駅 春日通り 都営  大江戸線/つくばエクスプレス線 新御徒町駅 

新御徒町駅のすぐ先に清洲橋通りと交差する元浅草一丁目交差点がある。

新御徒町駅は都営大江戸線とつくばエクスプレス線とが接続している。派手な色遣いの看板がないと新興のつくばエクスプレスの駅であることに気がつかない。

駅の横には佐竹通り(佐竹商店街)の北口がある。
春日通り 佐竹商店街(佐竹通り) 北口 春日通り 佐竹商店街(佐竹通り) 北口 

佐竹商店街はつくばエクスプレス新御徒町駅の南側に延びる、全長約330mの全蓋式アーケードの商店街。秋田藩佐竹家の江戸屋敷跡に、明治に人って見世物小屋や飲食店の屋台などが並んだのが始まりという。

佐竹通りの左(東側)に平行して清洲橋通りがある。
佐竹商店街(佐竹通り)を南下 佐竹商店街(佐竹通り)を南下 

佐竹家上屋敷・佐竹っ原跡

 江戸時代、この付近一帯は、出羽国久保田(秋田)藩の上屋敷があった地である。藩主は佐竹氏で、二十万余石を領有した、東北地方屈指の外様大名であった。佐竹家上屋敷の当地開設年代は、『武鑑』からみて、元禄二年(一六八九)もしくは翌三年と考えられる。屋敷地は広大で、現在の台東三・四丁目東半分にわたっていた。
 佐竹家八代藩主佐竹義敦(号は曙山)は、日本初の本格的西洋医学書の翻訳書『解体新書』(安永三年[一七七四]刊)付図を描いた藩士小田野直武らとともに、洋風画の一派「秋田蘭画」の基礎を築いた。また天明年間(一七八一〜八九)の狂歌師手柄岡持も藩士であり、当時の文化人がここを中心に活躍していたことがうかがわれる。
 明治になって佐竹家上屋敷や近隣の武家屋敷が撤去され、当地は野原となり、俗に佐竹っ原と呼ばれた。ここは見世物小屋が集中して賑わったが、明治時代半ばから民家が立ち並び、商店街として発展した。現在、「佐竹」の名は、「佐竹商店街」として継承されている。

小ぎれいな商店街ではあるが、閑散としている。しかし、いわゆるシャッター街ではない。
佐竹商店街(佐竹通り)を南下 佐竹商店街(佐竹通り)を南下 

アーケードには佐竹商店街に関するクイズの垂れ幕がある。

問は「樋口一葉は下谷御徒町に住んでいたことがある」であり、左に回答が書かれているが、かすれて読めない。
佐竹商店街(佐竹通り)を南下 佐竹商店街(佐竹通り)を南下 

問は「のどの薬 龍角散は佐竹家の家伝薬であった」であり、左に回答が書かれているが、かすれて読めない。このことは最近の龍角散のCMで宣伝されている。
佐竹商店街(佐竹通り)を南下 佐竹商店街(佐竹通り)を南下 

問は「佐竹商店街は 日本で2番目に古い商店街です」であり、左に回答が書かれているが、かすれて読めない。

このようなクイズ形式の垂れ幕が続くが、残念ながら回答部分のかすれがひどく読むことが出来ない。
佐竹商店街(佐竹通り)を南下 佐竹商店街(佐竹通り)を南下 
佐竹商店街(佐竹通り)を南下 佐竹商店街(佐竹通り)を南下 
佐竹商店街(佐竹通り)を南下 佐竹商店街(佐竹通り)を南下 

商店街は緩やかに左折してゆき、南口になり清洲橋通りに合流する。

最後の問は「江戸時代に御徒町で変化朝顔が盛んに栽培されていました」であり、左に回答が書かれているが、今まで通りかすれて読めない。
 佐竹商店街(佐竹通り) 突き当りの佐竹通り南口交差点で清洲橋通りに合流 佐竹商店街(佐竹通り) 突き当りの佐竹通り南口交差点で清洲橋通りに合流 

佐竹通りの左(東側)に平行して清洲橋通りがある。
清洲橋通りを南下 清洲橋通りを南下 
清洲橋通り 鳥越一丁目交差点手前で左折、おかず横丁へ 清洲橋通り 鳥越一丁目交差点手前で左折、おかず横丁へ 

佐竹通り南口交差点から少し南下した所にあり、すぐ先の鳥越一丁目交差点手前におかず横丁のゲートがある。派手なゲートではあるが、気を付けていないと見落とす。
清洲橋通り 鳥越一丁目交差点手前で左折、おかず横丁へ 清洲橋通り 鳥越一丁目交差点手前で左折、おかず横丁へ 

おかず横丁は鳥越本通り商盛会の商店街である。
おかず横丁(鳥越本通り商盛会)を東進 おかず横丁(鳥越本通り商盛会)を東進 

おかず横丁(鳥越本通り商盛会)は下町の商店街で、すぐ南の蔵前橋通りに平行して東進する。
おかず横丁(鳥越本通り商盛会)を東進 おかず横丁(鳥越本通り商盛会)を東進 

約11年前(平成17年)にイベントで通った時の案内には以下のように書かれているう。

東京の下町の台所を支える活気ある商店街。煮豆や佃煮、縁台に並べた野菜、精肉店のコロッケ、あつあつの大学イモなと、おやつにもぴったりな惣菜が並ぶ。

当時の写真と比べると少し寂れているように感じた。
おかず横丁(鳥越本通り商盛会)を東進 おかず横丁(鳥越本通り商盛会)を東進 
おかず横丁(鳥越本通り商盛会) ゲートで右折 おかず横丁(鳥越本通り商盛会) ゲートで右折 

おかず横丁の外れのゲートで右折する。交差点の標識はない。
おかず横丁(鳥越本通り商盛会) ゲートで右折 おかず横丁(鳥越本通り商盛会) ゲートで右折 



 
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