万歩計 トップ 散策点描 目次    都心の梅まつり(小石川後楽園、湯島天神)H280225 目次  飯田橋駅〜小石川後楽園〜湯島天神〜根津駅 目次  春日通り〜湯島天神〜不忍通り〜根津駅 西門〜大泉水・蓬莱島〜内庭  ページ ラスト


万歩計



(Since H14-10-28)

目次









掲示板(一言どうぞ)


湯島天神 咲きが期待はずれの梅まつりH280225

【関連サイト】   有名神社 湯島天神
湯島天神、亀戸天神の満開の梅を楽しむ(H27−02−27)(湯島天神の梅まつりH270227)

 直前のページに戻ります

写真の一覧表へ 


春日通り 湯島天神入口交差点で右折 春日通り 湯島天神入口交差点で右折 
湯島天神 唐門(西門) 湯島天神 唐門(西門) 

石鳥居の先に唐門があり、ここから入ると左に参集殿、右に梅園があるが、透かし塀沿いに歩いて銅鳥居がある表参道から入る。
湯島天神 表参道 表鳥居(銅鳥居) 湯島天神 表参道 表鳥居(銅鳥居) 

銅製表鳥居(都指定文化財)

寛文7年(1667)9月創建され、同11年(1671)修理した銘かある。
下脚部に唐獅子頭部の装飾は鳥居としては特異なものである。
湯島天神 表参道 湯島天神 表参道 
湯島天神 表参道 宝物殿 湯島天神 表参道 宝物殿 

梅まつりのため多くの屋台が表参道に並ぶが、平日ということもあり閉店の屋台が多い。
湯島天神 表参道から見た男坂上 鳥居 湯島天神 表参道から見た男坂上 鳥居 
湯島天神 本殿 湯島天神 本殿 

 本殿は平成7年(1995)総檜木造りとして造営された.平成5年(1993)お木曳き(造営の開始)の神事が行われ、遷座祭(完成)まで2年7か月を要した。
 祭神は菅原道真である。伝承によれば文明4年(1355)湯島の郷民が霊夢によって老松の下に勧請したといわれている。太田道灌が本殿を再興し、江戸時代になって、徳川家康はじめ歴代の将軍があつく庇護し隆盛をきわめた。かって、湯島天満宮は”湯島天神”として知られ鳥居前には町もでき人々の往来で賑わった。
湯島天神 本殿前の鈴なりの絵馬 湯島天神 本殿前の鈴なりの絵馬 

このような絵馬の塊がいくつもあるが、大学受験のピークを終えたこともあり、受験生関係者は全くなく、梅まつりを楽しむ中高年齢者ばかりである。

ある新聞によると、神社によっては絵馬に住所等個人情報の書かれている物は外すとか、下に置いて見られないようにしているとのことである。さらに受験校などが書かれた絵馬を他人が見るのはマナー違反、との説があるそうである。
湯島天神 梅園前で演じられる猿回し 湯島天神 梅園前で演じられる猿回し 
湯島天神 咲きが期待はずれの梅まつり 湯島天神 咲きが期待はずれの梅まつり 

今年は暖冬と言われたので、期待した人も多く、あちこちでこんなはずではとの声が聞こえた。湯島天神のホームページによれば、梅は見頃年、満開の梅園情報が掲示されている。しかし、である。

昨年と同じ時期の梅園は満開で、さすがは湯島天神と思った。
湯島天神 咲きが期待はずれの梅まつり 湯島天神 咲きが期待はずれの梅園 
湯島天神 咲きが期待はずれの梅まつり 湯島天神 咲きが期待はずれの梅園 
湯島天神 咲きが期待はずれの梅まつり 湯島天神 咲きが期待はずれの梅園 

筆塚

「婦系図」の作者である泉鏡花の「筆塚」も昭和十七年に、里見 惇、久保田万太郎、岩田藤七らによって建てられました。
湯島天神 咲きが期待はずれの梅まつり 湯島天神 咲きが期待はずれの梅園 

樹によっては6分咲きのものもある。
湯島天神 咲きが期待はずれの梅まつり 湯島天神 咲きが期待はずれの梅園 
湯島天神 梅饅頭や梅酒の売店が設けられた参集殿 湯島天神 梅饅頭や梅酒の売店が設けられた参集殿 

後方に唐門が見える。
湯島天神 咲きが期待はずれの梅まつり 湯島天神 咲きが期待はずれの梅園 
湯島天神 参集殿 湯島天神 参集殿 
湯島天神 授与所前にある鈴なりの絵馬 湯島天神 授与所前にある鈴なりの絵馬 
湯島天神 授与所横に飾られた梅の盆栽 湯島天神 授与所横に飾られた梅の盆栽 
湯島天神 本殿横の梅 湯島天神 本殿横の梅 
 湯島天神 本殿裏の枝垂れ梅 湯島天神 本殿裏の枝垂れ梅 

みすぼらしい枝垂れ梅である。
湯島天神 夫婦坂参道 湯島天神 夫婦坂参道 
湯島天神 夫婦坂参道 湯島天神 夫婦坂参道 

夫婦坂を下りると春日通りで、右折して御徒町駅方向に向かう。



 
万歩計 トップ 散策点描 目次    都心の梅まつり(小石川後楽園、湯島天神)H280225 目次  飯田橋駅〜小石川後楽園〜湯島天神〜根津駅 目次  春日通り〜湯島天神〜不忍通り〜根津駅 西門〜大泉水・蓬莱島〜内庭  ページ トップ