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JR 横須賀線 横須賀駅
横須賀駅〜ヴェルニー公園(フランス式花壇〜小栗・ヴェルニー銅像〜うみかぜの路〜汐入ターミナル〜軍艦山城之碑)〜YOKOSUKA軍港めぐり〜横須賀駅
【撮影記録】
平成30年 7月 2日 快晴
10:40〜13:50(昼食 30分) 4,800歩(概算 3.1km 地図上の距離 1.4km)
史上最早の6月中の梅雨明け以降、晴天の歩くのに適している日々が続いた。たまたまテレビでYOKOSUKA軍港めぐりを放映し、存在は知っていたが1時間毎の運行であることと、混んでいることから避けてきた。いかし、海上自衛隊だけでなく米軍基地も外観できることや横須賀本港の他に田浦の船越地区も見られることから横須賀散策のコースに組み込んでみた。
しかし、実際に行ってみると出港に合わせて時間割を決めなければならず、特に人気のコースのため出港30分前に並ぶ必要があるなど制約が多く、結局記念艦三笠や久里浜などの散策は出来なかった。年齢から来る制約もあったが。 |
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横須賀駅から左折、ヴェルニー公園へ
横須賀駅を出て左折、ヴェルニー公園に出て横須賀本港沿いの遊歩道を南下する。 |
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ヴェルニー公園 公園案内図
幕末、横須賀製鉄所の建設と運営を手がけ.日本の産業近代化に大きく貢献したフランス人フランソワ・レオンス・ヴェルニー。「ヴェルニー公園」は彼の業績をたたえて名づけられました。公園の園路や花壇はフランス様式の庭園を模しています。園内に植えられたおよそ2000本のバラはフランスで育成された品種を中心に、日本、アメリカ、ドイツ香りで来園者を楽しませてくれます。
また、横須賀市はフランスのプレスト市と姉姉都市となっており、ヴェルニー公園はまさに日本とフランスの友好を象徴した公園なのです。 |
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ヴェルニー公園 公園案内図 |
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ヴェルニー公園 ヴェルニー記念館
横須賀駅前のバスターミナルの広場から階段を降りた所にヴェルニー記念館がある。手前は公衆トイレである。 |
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ヴェルニー公園 ヴェルニー記念館
ヴェルニー記念館のデザイン
ヴェルニー記念館は、横須賀の近代化に貢献したフランソワ・レオンス・ヴェルニーに関わわりが深いフランスのブルターニュ地方に建つ住宅の特徴を取り入れました。
その特徴は、ドーマーウィンドー(屋根窓)、屋根に突き出た煙突、急勾配の屋根や石造りの外壁です。
フランス式の「ヴェルニー公園」とも調和の取れたデザインとしました。
ヴェルニーはフランス海軍の技術者で、横須賀市と姉妹都市のブルターニュ地方にあるブレスト市で造船技師を務めました。 |
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ヴェルニー公園から見えるヘリ空母「いずも」
7年前(平成23年)のヨコスカサマーフェスタ2011でヘリ空母「ひゅうが)に乗艦、見物したことがある。
初めは「ひゅうが」と思ったが、軍港めぐりの観光船でガイドの説明で軽空母への改造議論が出ている「いずも」であると知った。 |
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ヴェルニー公園から見える海上自衛隊 そうりゅう型潜水艦
写真右端に黒い船体の潜水艦が見える。この一帯は米海軍基地なので米軍の潜水艦と思ったが、軍港めぐりの観光船でガイドの説明で海上自衛隊の最新鋭潜水艦のそうりゅう型潜水艦であることがわかった。
海上自衛隊の艦船には艦番号が艦体に記されているが、潜水艦は機密保持の為記されていない。そうりゅう型潜水艦は昨年(平成29年)11月に進水した10番艦の「しょうりゅう」を含め、12隻の建造が計画されている。 |
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ヴェルニー公園から見える米海軍基地 |
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ヴェルニー公園 戦艦陸奥主砲 |
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ヴェルニー公園 戦艦陸奥主砲
ヴェルニー公園は6年ぶり’平成24年)だが、いつの間にか戦艦陸奥の主砲が設置されていた。その経緯は主砲の説明に記されていた。
ちなみに戦艦陸奥は横須賀工廠で建造されたが、主砲は呉工廠で製造され、呉の大和ミュージアムに屋外展示されている。 |
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ヴェルニー公園 戦艦陸奥主砲
戦艦「陸奥」は、世界初の16インチ砲を搭載した戦艦「長門」型の2番艦として、大正10年(1921年)に横須賀製鉄所(造船所)を前身とした横須賀海軍工廠で竣工しました。連合艦隊旗艦の任にありましたが、昭和18年(1943年)瀬戸内海の柱島沖で火薬庫が爆発し、沈没しました。
本主砲は昭和45年(1970年)戦艦「陸奥」引き上揚げ時に収容されたもので、その後、昭和49年(1974年)から東京の「船の科学館」に展示されていました。
この主砲の移設が必要になり、横須賀での「陸奥j大改装80周年合わせた「陸奥の会」の働きかけにより、ゆかりのある横須賀市に「船の科学館」から無償譲渡され、横須賀市民を始めとする多くの方々の支援により、平成28年(2016年)この地に移設されました。 |
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ヴェルニー公園 戦艦陸奥主砲 |
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ヴェルニー公園 戦艦陸奥主砲 |
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ヴェルニー公園から見える米海軍基地 |
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ヴェルニー公園から見えるヘリ空母「いずも」 |
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ヴェルニー公園から見える米海軍基地 |
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ヴェルニー公園から見える海上自衛隊 おやしお型潜水艦
海上自衛隊の最新潜水艦はそうりゅう型であるが、その前代のおやしお型潜水艦が4隻停泊している。中央の黒い部分は4隻の艦橋が並んでおり、それぞれの艦は軍艦旗や日章旗を掲げている。」 |
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ヴェルニー公園 さくらの広場−1 カフェレストラン |
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ヴェルニー公園 さくらの広場−1から見たフランス式花壇 |
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ヴェルニー公園 フランス式花壇 噴水
噴水の中心に緑色のバラの花束を象った飾りがある。 |
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ヴェルニー公園 フランス式花壇 |
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ヴェルニー公園 フランス式花壇 |
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ヴェルニー公園 開明広場 小栗・ヴェルニー銅像 |
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ヴェルニー公園 開明広場 小栗上野介忠順銅像 |
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ヴェルニー公園 開明広場 小栗上野介忠順銅像
小栗上野介忠順(1827〜1868)
日本初の遣米使節をつとめ、外国奉行や勘定奉行など徳川幕府末期の要職を歴任し、フランスの支援のもと横須賀製鉄所(造船所)建設を推進した。軍政の改革、フランス語学校の設立など日本の近代化に大きく貢献したが、大政奉還後に徹底抗戦を主張したため役職を解かれ、領地の上野国権田村(群馬県倉淵村)で官軍により斬首された。 |
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ヴェルニー公園 開明広場 ヴェルニー銅像 |
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ヴェルニー公園 開明広場 ヴェルニー銅像
フランソワ・レオンス・ヴェルニー(1837〜1908)
フランス人の造船技師で、海軍増強をめざした徳川幕府の要請により横須賀製鉄所(造船所)建設の責任者として1865年来日した。
明治維新後も引き続きその建設と運営の任にあたり、観音埼灯台や走水の水道の建設、レンガの製造のほか、製鉄所内に技術学校を設けて日本人技術者の養成に努めるなど、造船以外の分野でも広く活躍し1876年帰国した。 |
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ヴェルニー公園 開明広場 開港碑 |
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ヴェルニー公園 開明広場 開港碑
ヴェルニー像の傍にある。
横須賀市発展の礎をきずいた小栗上野介、ヴェルニーの功績を顕彰するため、昭和28年5月横須賀商工会議所が中心となり、小栗、ヴェルニー両氏の胸像と併せて設置された。 |