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京急本線 戸部駅
京急本線 戸部駅〜御所五郎丸墓所〜戸部町一丁目交差点〜掃部山公園〜県立音楽堂〜伊勢山ヒルズ〜横浜駅根岸道路〜伊勢山皇大神宮〜横浜駅根岸道路〜伊勢佐木モール〜関内・馬車道交差点)〜横浜公園〜日本大通り〜神奈川県庁〜開港広場〜山下公園〜元町・中華街駅
【撮影記録】
平成28年 12月 8日 快晴 後 晴れ
10:50〜14:15(昼食 30分) 12,900歩(概算 8.4km 地図上の距離 6.4km)
初めて京急本線を歩いた12年前(平成16年)には見られたのに5年前の歩きでは見付けられなかった御所五郎丸の墓所がやっと見つかった。案内柱の変更のせいで分かりにくくなっていた。掃部山や伊勢山皇大神宮も工事で立ち入れなかったり、コース変更で道に迷ったりとけっこう大変だった。
日本大通りや山下公園通りのイチョウ並木はさすがに裸木寸前だった。 |
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国道1号(東海道) 西平沼交差点で左折、横浜駅根岸道路(市道80号)へ |
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国道1号(東海道) 西平沼交差点で左折、横浜駅根岸道路(市道80号)へ |
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横浜駅根岸道路(市道80号) 御所山交差点
5年前の京急本線の歩きで御所五郎丸の墓所が見つけられなかった理由はこの交差点の名前による。まずこの名前からこの近くと思い込み、次に案内柱が替わって分かりにくくなっていたためである。
事前にWebで調べた結果、次の無名の交差点で左折することが分かった。 |
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横浜駅根岸道路(市道80号) 御所山交差点の次の無名の交差点で左折
地図では御所山交差点の次の無名の交差点で左折だが、12年前にあった分かりやすい木製の案内柱が見当たらず、ここで良いのか迷った。車は多いが、人は歩いておらず、聞くことも出来ない。 |
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横浜駅根岸道路(市道80号) 御所山交差点の次の無名の交差点で左折
交差点角のマンション前で迷っていたら、ふと小さな案内板を見つけた。「史跡 御所五郎丸之墓 入口」と書かれており、左折して直進することにした。 |
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史蹟 御所五郎丸之墓
この墓は御所五郎丸を祭ったものである
五郎丸は建久四年五月二十八日 源頼朝が富士の巻狩をした夜 曽我兄弟の父の仇を打ちとった その時兄弟を祐経の館に導き本望を遂げさせた後弟五郎時宗を捕え頼朝に差出した 実に勇と情を備えた武士の鑑である 当御所山の地名も御所五郎丸の名よりつけられたものである
この史跡保存のため当地有志が五郎丸会を作り昭和の初めより毎年祭事を行って来たが 昭和三十八年横浜市に贈り永久に保存されることになった
以上由来を記して世人に伝えるものである
昭和四十年五月十五日
御所山町会
五郎丸会
長谷川壹司書
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史蹟 御所五郎丸之墓
入口に石碑があり、参道に高札がなければ普通の民家の門のよう見見える。交差点からすぐの左手にある。 |
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史蹟 御所五郎丸之墓
謡曲 「夜討曽我」と御所五郎丸
謡曲「夜計曽我」は、建久四年五月二十八日(一一九三)源頼朝が當士の裾野で巻狩を催したとき曽我五郎時致、十郎祐成兄弟が、雨降りしきる夜、父の敵工藤祐経を討とうとその館に忍び入り、見事本懐を遂げたと云う現在ものである。
このとき御所五郎丸が、曽我兄弟を祐経の館に案内し仇討ちの手助けをした後、自らは女装して、五郎時致に近づきこれを取り押さえ、頼朝の前に差し出したという。因に、本県内には他に謡曲「小袖曽我」小田原市下曽我と、「調伏曽我」箱根神社境内にも、駒札が建てられている。
謡曲史跡保存会 |
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横浜駅根岸道路(市道80号) 戸部小学校入口交差点 |
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横浜駅根岸道路(市道80号) 黄葉したプラタナス並木 |
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横浜駅根岸道路(市道80号) 戸部一丁目交差点で左折、紅葉坂へ
左折というより直進すると紅葉坂で、左に掃部山公園がある。 |
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横浜駅根岸道路(市道80号)は、戸部一丁目交差点で大きく右折 |