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万歩計



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掃部山公園〜県立音楽堂〜伊勢山ヒルズ

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横浜駅〜掃部山公園〜野毛山公園〜みなとみらい〜港の見える丘公園・元町公園散策H230413(散り始めた桜並木の掃部山公園散策)

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紅葉坂 横浜市教育会館 紅葉坂 横浜市教育会館 
紅葉坂 横浜市教育会館 紅葉坂 横浜市教育会館 
紅葉坂 伊勢山ヒルズ 紅葉坂 伊勢山ヒルズ 

教育会館に隣接し、その間に伊勢山皇大神宮の裏参道がある。

伊勢山ヒルズは結婚式場だが、一見ヨーロッパの大聖堂風の外観である。
紅葉坂 左折して県立青少年センター脇の道を進む 紅葉坂 左折して県立青少年センター脇の道を進む 

伊勢山ヒルズ向かいの県立青少年センター脇の道を進み、横浜能楽堂に向かう。
県立青少年センター横を北上 県立青少年センター横を北上 
突き当りの横浜能楽堂前で右折 突き当りの横浜能楽堂前で右折 
横浜能楽堂前を東進 横浜能楽堂前を東進 
横浜能楽堂前を東進 横浜能楽堂前を東進 
横浜能楽堂前を東進 横浜能楽堂前を東進 

 公園の南西側の一角にある能楽堂は、平成八年三月に完成したもので、横浜市の有形文化財に指定されている旧染井能舞台を館内において移築・復元しているものです。この染井能舞台は、もともと明治初期に加賀藩主だった前田斉泰公が東京根岸の自邸に建てたもので、後に東京駒込の染井に移築され、戦後には能楽再興の本拠地となっていたものです。
横浜能楽堂前の東端の階段を上る 横浜能楽堂前の東端の階段を上る 
掃部山公園 銅像広場 掃部山公園 銅像広場 


 現在掃部山公園になっている土地は、明治初期の新橋横浜間の鉄道敷設に携わった、エドモンド・モレルなどの鉄道技師の官舎が建てられていたほか、ここの地下から湧く水を蒸気機関車の給水に利用していたことから、鉄道山と呼ばれていました。
 その後、明治十七年に本市の開港に縁の深い井伊直弼の記念碑建立の際に、横浜正金銀行松井十三郎ら旧彦根藩士により買い取られ、井伊家の所有となりました。掃部山公園内の日本庭園などは井伊家所有の時代に築造されたものと考えることができます。その後、大正三年にこの土地が井伊家より本市に寄贈され、掃部山公園として公開されました。
 公園の南西側の一角にある能楽堂は、平成八年三月に完成したもので、横浜市の有形文化財に指定されている旧染井能舞台を館内において移築・復元しているものです。この染井能舞台は、もともと明治初期に加賀藩主だった前田斉泰公が東京根岸の自邸に建てたもので、後に東京駒込の染井に移築され、戦後には能楽再興の本拠地となっていたものです。
 このように明治以来の長い歴史と文化的要素を有する掃部山公園では、地域の人達が中心となって、これらの歴史とゆかりの深い薪能や虫の音を聞く会などのお祭りが、催されるなど、地域の人々に親しまれています。
掃部山公園 銅像広場 水泉 掃部山公園 銅像広場 水泉 

「明治四十二年七月子爵井伊直安寄付」と書かれている。

井伊家は、譜代35万石の大名だったが、桜田門外の変で10万石を減封された。この処分に対する不満から官軍東征の際に新政府軍に加わったと言われる。本来は朝廷や西国大名の押さえであった井伊家だった。また叙爵でも35万石だったら侯爵だったはず、との不満も出ていた。この点に関しては現石基準であり得なかった、との説もある。
掃部山公園 銅像広場 水泉 掃部山公園 銅像広場 水泉 

 江戸時代までは、海に面した高台で不動山と呼ばれていました。
 明治初期、日本初の鉄道開通(新橋・桜木町間)に携わった外国人鉄道技師の官舎が建てられ、開通後も鉄道用地として利用されたことから、「鉄道山」と呼ばれていました。
 明治17年に旧彦根藩士らが買い取って井伊家の所有となり、明治42年の横浜開港50周年記念に井伊直弼の銅像建立と共に、石造りの水泉も寄贈されました。
 大正3年に井伊家より横浜市に寄付され、掃部山公園として整備されました。公園からは海を見下ろすことができ、眺望が良い景勝地としての人気も高かったようです。
 大正12年の関東大震災では、全園が崩壊しましたが、公園が防火帯となり、近隣住民の避難場所ともなりました。
掃部山公園 銅像広場 井伊掃部頭ゆかりの地 掃部山公園 銅像広場 井伊掃部頭ゆかりの地 
掃部山公園 銅像広場 井伊掃部頭像 掃部山公園 銅像広場 井伊掃部頭像 

 明治四二年七月、横浜開港五〇年記念に際して、旧彦根藩有志が藩主の開港功績の顕彰のため、大老井伊掃部頭直弼の銅像を戸部の丘に建立し、その地を掃部山と名付けて記念しました。銅像の左側にある水飲み施設はその時に子爵井伊直安より寄付されたものです。
 当時の銅像は、落田文蔵、岡崎雪声によって製作され、その姿は「正四位上左近衛権中将」の正装で、高さは約三・六メートルを測リました。

井伊直弼は東京の豪徳寺に墓がある。
掃部山公園 銅像広場 井伊掃部頭像 掃部山公園 銅像広場 井伊掃部頭像 
掃部山公園 銅像広場 掃部山公園 銅像広場 

冬枯れの風景であるが、掃部山公園は桜の名所である。
掃部山公園 銅像広場 掃部山公園 銅像広場 

読みやすくするため、適宜句読点を付けた。

横浜の開港と掃部山公園

安政五年(一八五八)日本の近代化に先駆した大老井伊掃部頭直弼はよく内外の激動に耐え、機に臨み英断、日米修好通商条約を締結した。
安政六年、ここに横浜は未来の発展を予見するかのように世界の海洋に向って開港した。
明治十四年(一八八一)、井伊大老を追慕する彦根藩士有志により、開港に際しての功績を顕彰するため記念碑建立の計画をたて、明治十七年この地の周辺の丘を求め掃部山と称し造園を施し、明治四十二年(一九〇九)、園内に銅像を建立しこれを記念した。
大正三年(一九一四)、井伊家より同地並びに銅像を横浜市に寄贈、掃部山公園として公開された。ここに平成元年を以て市政一〇〇周年、開港一三〇周年を迎え、これを記念してこの碑を建立した。
掃部山公園 銅像広場 裸木の桜木 掃部山公園 銅像広場 裸木の桜木 
掃部山公園 銅像広場 裸木の桜木 掃部山公園 銅像広場 裸木の桜木 
掃部山公園 正面出入口(県立音楽堂側) 掃部山公園 正面出入口(県立音楽堂側) 

正面に県立音楽堂の白い建物が見える。
掃部山公園 正面出入口(県立音楽堂側) 掃部山公園 正面出入口(県立音楽堂側) 
掃部山公園 県立音楽堂の左側を進む 掃部山公園 県立音楽堂の左側を進む 

右折すると県立能楽堂に進む。
掃部山公園 県立音楽堂、県立図書館 掃部山公園 県立音楽堂、県立図書館 

左端正面に県立図書館があり、右に県立音楽堂がある。
掃部山公園 突き当りで右折、紅葉坂を上る 掃部山公園 突き当りで右折、紅葉坂を上る 
掃部山公園 紅葉坂 金星太陽面経過観測記念碑 掃部山公園 紅葉坂 金星太陽面経過観測記念碑 

碑面の摩滅がひどく読解に苦労する。

明治7年(1874年)12月9日メキシコ観測隊(隊長フランシスコ ディアス コバルービアス) ならびに日本水路寮の海軍中尉吉田重親らは、下記地点において金星の太陽面経過の観測に成功した。 ここに100年の記念日を迎え、神奈川県及び横浜市の協力を得てこの碑を建て後世に伝える。
第1観測地点(野毛山)東経139°37′48″ 北緯35°26′45″第2観測地点(山手)東経139°39′02″ 北緯35°26′07″

昭和49年(1974年)12月9日
金星太陽面経過観測記念碑設立期成会
掃部山公園 紅葉坂を上る 掃部山公園 紅葉坂を上る 
紅葉坂 県立青少年センター、県立図書館、県立音楽堂 紅葉坂 県立青少年センター、県立図書館、県立音楽堂 

正面奥に県立音楽堂、手前左に県立青少年センターでその奥に県立図書館がある。
紅葉坂 神奈川奉行所跡 紅葉坂 神奈川奉行所跡 

 横浜開港にともない安政6年(1859)6月4日、開港場建設の事務に当たった外国奉行酒井忠行・水野忠徳・村垣範正・堀利煕・加藤則著の5名に神奈川奉行兼帯の命があり、青木町(神奈川区)に会所、戸部村宮ヶ崎(西区)に奉行役所を置き、また横浜村(中区)の中央に運上所を置いて事務を執りました。この地にあった奉行役所は戸部役所と呼ばれ、内国司法・行政の事務を取り扱い、運上所では、関税及び外務全般の事務を取り扱いました。万延元年(1860)神奈川奉行は専任となり、松平康直・都筑峰暉が任命されました。
 明治元年(1868)3月、明治政府は新たに横浜裁判所を置きましたが、4月神奈川裁判所と改め、これを2つに分け横浜裁判所・戸部裁判所とし、運上所並びに戸部役所の業務を引継ぎ、神奈川奉行所は廃止されました。その後、明治3年神奈川県庁と改称されました。
紅葉坂 神奈川奉行所跡 紅葉坂 史跡 神奈川奉行所跡 
紅葉坂 県立青少年センター 紅葉坂 県立青少年センター 
紅葉坂 伊勢山ヒルズ 紅葉坂 伊勢山ヒルズ 
紅葉坂 県立青少年センター 紅葉坂 県立青少年センター 

左の白い建物の手前の道を歩いて県立能楽堂に向かったので、掃部山公園を一周したことになる。
紅葉坂 伊勢山ヒルズ奥の伊勢山皇大神宮 裏参道 紅葉坂 伊勢山ヒルズ奥の伊勢山皇大神宮 裏参道 

当初予定では裏参道を通り伊勢山皇大神宮に向かう予定だった。しかし、工事の警備員から通行を阻まれた。マンションでも建てているのかと思ったが、後で記念事業第一期工事本殿仮殿新築工事のためと分かった。
紅葉坂 戸部一丁目交差点で左折、横浜駅根岸道路(市道80号)へ 紅葉坂 戸部一丁目交差点で左折、横浜駅根岸道路(市道80号)へ 



 
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