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京急 本線 横須賀中央駅
横須賀中央駅〜横須賀中央大通り〜三笠公園〜記念艦三笠〜三笠桟橋〜猿島ボードデッキ〜イ旧海軍要塞〜三笠公園
【撮影記録】
令和2年 11月 10日 快晴
9:30〜15:20 8,200歩(概算 4.9km)
KSN(川崎シニアネット)主催で横須賀の記念艦三笠と旧海軍要塞遺構が残る猿島散策イベントに参加した。快晴で暖かく、散策には絶好の天気であった。持病の腰痛対策として腰用のサポーターを着用したので問題はなかったが、3月末からの外出規制の運動不足が影響し、両足の筋肉痛がひどく、展望台に向かう猿島の急坂で散策を断念した。近くの観音崎灯台にも第一砲台跡があるが、猿島の方は本格的で兵舎や弾薬庫跡などもある。
腰用のサポーターはしっかりしているが、腰回りが膨れ、ベルトは新調しなければならなかった。KSNメンバーから太った、と心配されたが、サポーターのせいとは反論しなかった。 |
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横須賀中央Yデッキから見た駅前風景
京急横須賀中央駅の東口は愛称「Yデッキ」のペデストリアンデッキがあり、南北に通る中央大通り(三崎街道)と東からの道路の交差点上にある。交差点向かいには飲食店やユニクロ、スーパーなどが入る横須賀プライムがある。 |
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横須賀中央Yデッキから見た駅前風景 |
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地上に降りて左折、横須賀中央大通りを北上
Yデッキからエスカレーターで降りて左折する。下り口に記念艦三笠がある三笠公園などを分かりやすく表示した案内図がある。 |
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横須賀中央大通りを北上
最近は横須賀にはJR横須賀駅からヴェルニー公園や、海上自衛隊、三笠公園に直行するので横須賀中央駅を利用するのは亜久しぶりである。 |
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横須賀中央大通りを北上
数ヶ所にこのようなベンチがおかれ、サキソフォンなどの楽器を持った外人と共に座る様子を写真に撮る人がいる。 |
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横須賀中央大通りを北上 ショッピングプラザ MIKASA
9年前に中を通った時はさしてきれいな店ではなかった。 |
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横須賀中央大通りを北上
この先で本町一丁目交差点手前に横須賀の有名商店街のどぶ板通りがある。当初は帰りに散策を計画していたが、コロナ禍の運動不足で両足の筋肉痛が激しく立ち寄れなかった。 |
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横須賀中央大通りを北上 本町一丁目交差点で右折、横須賀街道(国道16号)へ |
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横須賀中央大通りを北上 本町一丁目交差点で右折、横須賀街道(国道16号)へ
すぐ先の右手には三笠公園への大きなアーチが見える。 |
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横須賀街道(国道16号) 三笠公園入口交差点で左折、三笠公園通りへ |
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三笠公園通り 米軍基地前で右折 |
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三笠公園通り 神奈川歯科大学
突き当りに神奈川歯科大学があり、その右横を進む。 |
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三笠公園通りを東進 |
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三笠公園通りを東進 |
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三笠公園通りを東進 |
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三笠公園通りを東進 |
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三笠公園通りを東進 「めだかの学校」の碑
めだかの学校の作詞者である茶木滋は、横須賀に生まれ育った。
昭和二十一年の春、茶木滋親子は小田原市郊外の小川のほとりを歩いていました。
幼い義夫くんが突然声をあげました。
「お父さん、めだかがいるよ」
滋はすぐ川をのぞいてみましたが、めだかは一匹もいませんでした。
「おまえが大声をあげたからびっくりして逃げたんだよ」
すると義夫くんは、
「待ってればくるよ。ここ、めだかの学校だもの」
昭和二十五年の秋、NHKから「春らしい明るい歌」の作詞を頼まれた時、ふとこの時の会話が浮かび、童謡「めだかの学校」は生まれたのです。 |
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三笠公園通りを東進 厳さ公園入口 |
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三笠公園通りを東進 厳さ公園入口 |
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三笠公園 東郷平八郎元帥銅像、記念艦三笠 |
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三笠公園 東郷平八郎元帥銅像、記念艦三笠
左には「皇国興廃在此一戦」の碑がある。 |