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内堀通り 大手門 |
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内堀通り 大手門(高麗門)
大手門に限らず、江戸城の門は防御に強い枡形門である。まず高麗門と呼ばれる門から入り、突き当りの広場を曲がると渡櫓があり、敵兵を広場で銃撃したり、弓矢で防衛する。 |
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内堀通り 大手門(渡櫓)
今年(平成23年)の東日本大震災で損傷を受けた渡櫓は未だ修復されていない。 |
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皇居東御苑 大手門(渡櫓)
震災による破損のため、震災直後の4月に来た時と変わらず、左の脇門から入場し、右から退出する。 |
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皇居東御苑 入場発券所
江戸城の本丸、二の丸、三の丸があった場所で、昭和43年に一般公開された。天守閣は「明暦の大火」で焼失し、その後は再建されず石垣だけが残っている。苑内には、皇室に伝わる絵画・工芸品などを展示する「三の丸尚蔵館」(11〜2月は9時〜15時45分く入館は15時30分まで〉、無料)があり、12月25日まで「幻の室内装飾一明治宮殿の再現を試みる」を開催中。その他、鉄砲百人組と呼ばれた4組が昼夜交代で詰めた
「百人番所」、大火後に天守の代わりをした「富士見櫓」などが点在。束御苑の公開は、月・金曜を除く毎日(ただし月・金曜が天皇誕生日以外の国民の祝日等の休日に当たる場合は公開。なお月曜が休日で公開した場合は翌火曜休)、年末年始(12月28日〜1月3日)休。
11〜2月は9〜16時(入園は15時30分まで)、無料。出入りは大手門、北詰橋門、平川門のみ。 |
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皇居東御苑 三の丸尚蔵館
三の丸尚蔵館は,皇室に代々受け継がれた絵画・書・工芸品などの美術品類が平成元年6月,国に寄贈されたのを機に,これら美術品を環境の整った施設で大切に保存・管理するとともに,調査・研究を行い,併せて一般にも展示公開することを目的として,平成4年9月に皇居東御苑内に建設され,翌年11月3日に開館しました。
なお,平成8年10月に故秩父宮妃のご遺贈品,平成13年4月に香淳皇后のご遺品,さらに平成17年10月には故高松宮妃のご遺贈品が加わり,現在約9,500点の美術品類を収蔵しています。 |
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皇居東御苑 苑内案内図
現在地は左端中央である。 |
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皇居東御苑 同心番所
「番所」とは、警備の詰所のことで、百人番所、大番所とこの同心番所の3つが残っています.城の奥の番所ほど、位の上の役人が詰めていました。ここには同心が詰め、主として、登城する大名の供の監視に当っていました。 |
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皇居東御苑 百人番所
本丸と二の丸へ通じる要所である大手三之門の前に設けられた番所です。鉄砲百人組と呼ばれた、甲賀組、伊賀組、根来組、二十五騎組の4組が昼夜交代で詰めていました。各組には同心が100人ずつ配属されていました。 |
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皇居東御苑 中之門跡 |
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皇居東御苑 大番所
「番所」とは、警備の詰所のことで、百人番所、同心番所とこの大番所の3つが残っています。中之門の側に設けられ、他の番所よりも位の高い与力・同心によって警備されていました。前の坂を上ったところが本丸の入口で、中雀門がありました。 |
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皇居東御苑 中雀門跡への坂 |
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皇居東御苑 中雀門跡 |
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皇居東御苑 本丸大芝生 |
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皇居東御苑 本丸大芝生
本丸芝生の周囲には常緑樹が多いが、歩道沿いには桜が植えられており、それが色付き始めている。 |
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皇居東御苑 天守台跡
色々なイベントや団体観光客で、ただでさえ狭い天守台が混雑していたので立ち寄らなかった。
最初の天守閣は、1607年、二代将軍秀忠の代に完成しましたが、その後大修築され、1638年、三代将軍家光の代に、江戸幕府の権威を象徴する国内で最も大きな天守閣が完成しました。外観5層、内部6層で、地上からの高さは58メートルありました。しかし、わずか19年後の1657年、明暦の大火(振り袖火事)で、飛び火により全焼し、以後は再建されませんでした。 |
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皇居東御苑 北桔橋門 |
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皇居東御苑 北桔橋門から見た平川濠
北桔橋門から出て右手の風景で、円筒のビル付近には竹橋交差点の毎日新聞本社がある。 |
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皇居東御苑 北桔橋門から見た乾濠 |
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北桔橋門からみたけばし陸橋を渡り左折、代官町通りへ |