万歩計 トップ 散策点描 目次    鴎外と歩く 文の京の散歩道H250222 目次  根津神社〜森鴎外記念館〜巣鴨駅 目次  小石川後楽園(円月橋〜大泉水〜西門) 森鴎外記念館〜くらしのみち〜富士神社  ページ ラスト 


万歩計



(Since H14-10-28)

目次









掲示板(一言どうぞ)


旧岩崎邸庭園〜不忍通り〜根津神社

【関連サイト】   有名神社 根津神社

 直前のページに戻ります

写真の一覧表へ 


春日通り 天神下交差点で春日通りを渡り、切通坂を戻る 春日通り 天神下交差点で春日通りを渡り、切通坂を戻る 

コースマップでは湯島天神参拝後唐門に戻り、湯島天神入口交差点で春日通りを渡る。しかし、それでは湯島天神の梅園をさらっと見るだけになるため、あえて夫婦坂から出ることにした。こちらだと天神下交差点のほうがかなり近い。

切通坂

 『御府内備考』には「切通は天神社と根生院との間の坂なり、是後年往来を聞きし所なればいふなるべし、本郷三、四丁目の間より池の端、仲町へ達する便道なり、」とある。湯島の台地から、御徒町方面への交通の便を考え、新しく切り開いてできた坂なので、その名がある。
 初めは急な石ころ道であったが、明治37年(1904)上野広小路と本郷三丁目間に、電車が開通してゆるやかになった。
 映画の主題歌「湯島の白梅」”青い瓦斯灯境内を 出れば本郷切通し”で、坂の名は全国的に知られるようになった。
 また、かつて本郷三丁目交差点近くの「喜之床」(本郷2−38−9・新井理髪店)の二階に間借りしていた石川啄木が、朝日新聞社の夜勤の帰り、通った坂である。
 二晩おきに夜の一時頃に切り通しの坂を上りしも 勤めなればかな 石川啄木
春日通り 切通坂 湯島ハイタウンA棟角で右折 春日通り 切通坂 湯島ハイタウンA棟角で右折 

切通坂を上り湯島天神入口交差点に向かう。天神下交差点から少し戻った所にある湯島ハイタウンA棟角で右折する。隣接してB棟がある。
突き当りの三叉路で左折 突き当りの三叉路で左折 

突き当たり左のガードレールに「旧岩崎庭園」の案内がある。
旧岩崎邸庭園 旧岩崎邸庭園 

三菱創設者・岩崎家の旧本邸。英国人建築家コンドルが設計した洋館、撞球室、名棟梁大河喜十郎が手がけた和館が現存。国指定重要文化財。

入園料一般400円、65歳以上200円、小学生以下および都内在住・在学の中学生は無料。9〜17時(入園は16時30分まで)、年末年始休。一部工事中。
 突き当りの不忍池西交差点で左折、不忍通りへ 突き当りの不忍池西交差点で左折、不忍通りへ 

旧岩崎庭園の塀沿いに歩き、切れたところで右折する。
不忍通り 整備工事中の不忍池遊歩道 不忍通り 整備工事中の不忍池遊歩道 
 不忍通り 横山大観記念館 不忍通り 横山大観記念館 

日本画家の横山大観の旧居を記念館として公開している。
不忍通り 横山大観記念館 横山大観顕彰碑 不忍通り 横山大観記念館 横山大観顕彰碑 

 横山大観先生は近代日本画壇の代表的巨匠である。明治元年水戸藩士酒井捨彦の長男として水戸に生まれ、本名を秀麿 母方の横山の姓を継ぐ。
 明治二十六年東京美術学校卒業。校長岡倉天心に愛されて終生大きな感化を受けた。明治三十年東京美術学校助教授となったが一年で職を辞し岡倉天心が創設した日本美術院に下村観山 笑田春草とともに日本画の革新運動を起した。その後美術研究のためインド ヨーロッパ各地及び中国などを視察し 師天心の思想である東洋の理想を受けつぎ、新しい日本画を創造した。
 明治四十五年からこの地に居し画筆をとる。昭和十年帝国美術院会員 昭和十二年第一回文化勲章受章。
 代表作に「無我」「瀟湘八景」「生々流転」の他多くの水墨山水 富士山などがある。
 昭和三十二年五月台東区名誉区民に推戴された。昭和三十三年二月歿 九十歳
不忍通り 池之端二丁目交差点 不忍通り 池之端二丁目交差点 
不忍通り 根津一丁目交差点で言問通りを渡る 不忍通り 根津一丁目交差点で言問通りを渡る 

不忍通りのこの交差点前後に千代田線根津駅がある。
不忍通り 根津神社入口交差点で左折 不忍通り 根津神社入口交差点で左折 
根津神社 表参道 鳥居 根津神社 表参道 鳥居 

根津神社は6代将軍徳川家宣生誕の地。宝永3年(1706)に造営された本殿のほか、幣殿、拝殿、唐門、西門、楼門、透塀が国の重要文化財に指定されている。

4月6日から5月6日にかけて、境内のつつじ苑で文京つつじまつりが開催される。
根津神社 名所のつつじ苑 根津神社 名所のつつじ苑 

4月下旬頃、約50種3,000株のつつじが咲くつつじ苑が有名。
根津神社 神橋、楼門 根津神社 神橋、楼門 
 根津神社 神楽殿 根津神社 神楽殿 
根津神社 唐門、透塀、社殿 根津神社 唐門、透塀、社殿 

唐門は屋根が唐破風になっている門のこと、中国式の門の意味でではない。
根津神社 社殿 根津神社 社殿 

 大和武尊が千駄木の地に創建したと伝えられている。現在地は江戸時代、甲府宰相・松平綱重の山手屋敷跡であり、のちに六代将軍となる徳川家宣の誕生の地であった。五代将軍・徳川綱吉は家宣の産土神として宝永3年(1706)に千駄木にあった社をこの地に移して、社領500石を附し権現造の社殿を造営した。
 社殿は拝殿・本殿と両者を接続する幣殿(相の間)からなり、しかも一つの屋根でまとめ、権現造の完成された姿をみせている。拝殿前に唐門を配し、その左右から透塀で社殿を囲んでいる。唐門前方の楼門を含め、権現造神社建築様式の旧規を示すものとしてすべて国指定重要文化財である。
 祭神は須佐之男命、大山咋命、誉田別命、大国主命、菅原道真公である。
 境内には「家宣の胞衣塚」(指定民俗文化財)、「塞の大神碑」などがある。
 根津神社 社殿 左の白梅 根津神社 社殿 左の白梅 

蕾だけで花は数個である。
根津神社 社殿 右の紅梅 根津神社 社殿 右の紅梅 

白梅と違い、1〜2分咲きといったところである。右が紅梅なので左が白梅とわかるが、一寸見た目には左はなんの木かはわからない。まさか京都紫宸殿の右近の橘、左近の桜などとは思わなかったが。
根津神社 西門 根津神社 西門 

西門を出ると正面にある乙女稲荷の鳥居の脇に胞衣塚の案内があり、階段を上って左に胞衣塚がある。右には乙女稲荷に寄進された小鳥居の列がある。
根津神社 東門 根津神社 東門 

東門から出て北参道を通る。
根津神社 北参道を北上 根津神社 北参道を北上 
根津神社 北参道 鳥居を出て右折、日医大つつじ通りへ 根津神社 北参道 鳥居を出て右折、日医大つつじ通りへ 
根津神社 北参道 鳥居 根津神社 北参道 鳥居 



 
万歩計 トップ 散策点描 目次    鴎外と歩く 文の京の散歩道H250222 目次  根津神社〜森鴎外記念館〜巣鴨駅 目次  小石川後楽園(円月橋〜大泉水〜西門) 森鴎外記念館〜くらしのみち〜富士神社  ページ トップ