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明治通り〜上池袋交差点〜北池袋駅

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突き当たりの交差点で左折 突き当たりの交差点で左折 
突き当たりの滝野川三丁目交差点で左折、明治通りへ 突き当たりの滝野川三丁目交差点で左折、明治通りへ 

右の高架は首都高中央環状線で、飛鳥山から板橋に向かう。
明治通り 西巣鴨交差点で白山通りを渡る 明治通り 西巣鴨交差点で白山通りを渡る 
明治通り 西巣鴨交差点で白山通りを渡る 明治通り 西巣鴨交差点で白山通りを渡る 

この交差点から左側(巣鴨方向)は白山通りで、ここから中山道と改称される。
明治通り 大正大学 正門 明治通り 大正大学 正門 

この正門は、本学の前身である宗教大学『大正15年(1926)大正大学と改称』がこの地に設けた本館の正面車寄せをモデルとしています。明治41年(1906)に建設された本館は、中央に高さ15mにもおよぶバロック風の角型ドーム屋根の講堂を置き、左右対称に教室をのばした、全長60mの壮大な洋風木造建築でした。
校舎は昭和43年(1968)解体されましたが車寄せは、『登録有形文化財』として博物館明治村(愛知県犬山市)に移築保存され往時の雰囲気を今につたえています。    
明治通り 大正大学 明治通り 大正大学 
明治通り 大正大学 正門の由来 明治通り 大正大学 正門の由来 

大正15年は年末に昭和元年となっており、創立記念日の11月5日はギリギリである。
明治通り 猛暑で傷んでいるイチョウ並木 明治通り 猛暑で傷んでいるイチョウ並木 

写真では分かりにくいが、葉が赤茶けてうなだれている。
明治通り 堀割交差点 明治通り 堀割交差点 

左折すると庚申塚に至る庚申塚通りで、右折すると埼京線板橋駅に着く。駅前には板橋宿で刑死した近藤勇の墓所がある。
明治通り 滝野川七丁目交差点 明治通り 滝野川七丁目交差点 

右折して滝野川桜通りを進むと、埼京線板橋駅で、近藤勇の墓所がある。
明治通り 滝野川七丁目交差点 明治通り 滝野川七丁目交差点 

滝野川桜通りの桜並木は紅葉している。
明治通り 上池袋交差点で右折 明治通り 上池袋交差点で右折 
明治通り 上池袋交差点で右折 明治通り 上池袋交差点で右折 

左折すると癌研通りとなり、更に進んで行くと護国寺から六義園に向かって歩いた時の千石三丁目交差点での千川通りとなる。
プラタナス並木を西進 プラタナス並木を西進 

道路名はないが、まだ青々としたプラタナス並木が続く。
宝永の庚申塔とお茶あがれ地蔵 宝永の庚申塔とお茶あがれ地蔵 
宝永の庚申塔とお茶あがれ地蔵 宝永の庚申塔とお茶あがれ地蔵 

 庚申信仰は、六〇日に一度おとずれる庚申の日に講を開いて延命息災を祈るもので、江戸時代から庶民の間で行われるようになった。
 豊島区内の庚申塔は、現在四七基確認されているが、そのうち三六基がもとから豊島区域内に建てられていたもので、この庚申塔もそのうちの一つである。
 宝永元(一七〇四)年に建てられたこの庚申塔は、方形の石柱の頭部に笠を置く簡素な造りで、正面に「一字金輪」をあらわす梵字と「奉供養庚申石塔息災祈所」という文字が刻まれている。平成元(一九八九)年に豊島区有形文化財に登録された。
 庚申塔と同じ堂内にある地蔵は「お茶あがれ地蔵」と呼ばれ、江戸時代に結婚を阻まれ病死した女性の供養のために建立されたといわれている。現在も地域の人々により、大切に守られている。
東武東上線 北池袋駅前 踏切 東武東上線 北池袋駅前 踏切 
東武東上線 北池袋駅 東武東上線 北池袋駅 



 
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