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JR主催 東京まちあるき 第5回 御徒町駅開業80周年記念ウォーク 山手線 御徒町駅 
御徒町駅〜旧岩崎邸庭園〜湯島天満宮〜神田明神〜湯島聖堂〜聖橋〜交通博物館〜鳥越神社〜鳥越おかず横丁〜御徒町駅(総行程8.0km) |
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JR 御徒町駅 
コース図の配布だけで、受付は旧岩崎邸庭園で行なわれる。 |
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春日通りを西進、中央通りを渡る。  |
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春日通りを西進  |
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受付の旧岩崎邸庭園 
明治四年に三菱創設者・岩崎家本邸として英国人ジョサイアーコンドルの設計で建設。洋館・撞球室(ピリヤードー場)・和舘の3棟が現存し、重要文化財に指定されている。木造2階建・地下室付きの洋館は近代日本住宅を代表する西洋木造建築で、館内の随所に見事なシャコビアン様式の装飾が施された繊細なデザイン。スイスの山小屋風の撞球室とは地下道で洋館と、また書院造りを基調にした純和風建築の和館と洋館がつながっている。 |
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旧岩崎邸庭園  |
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旧岩崎邸庭園  |
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無縁坂 
旧岩崎邸庭園の北側のレンガ塀沿いの坂。森鴎外の小説「雁」の主人公岡田青年の散歩道として登場する。 |
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無縁坂  |
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旧岩崎邸庭園  |
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東大病院  |
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左折し、春日通りを東進  |
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旧町名由来 龍岡町 
明治7年ヽ下谷茅町から分かれて龍岡町となった。町名の由来は、向が丘の台地に立てた町という意味から、立つを縁起のよい龍の字に変えて、龍岡町と名づけたといわれる。
天正18年(1590)以来、榊原家の屋敷と武家屋敷であった。徳川家康の四天王の一人榊原康政は、天正18年、武家屋敷配置役であったが、自ら奥州街道の備えとして不忍池を望む高台(現最高裁研修所を中心)に屋敷を構えた。区内における大名屋敷第1号である。
森鴎外の名作『雁』で有名な無縁坂がある。 |
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湯島天滿宮 
雄略天皇の勅命により御宇2年{458)創建と伝わる古社。天手力男命と菅原道真公を祀る。のちに太田進濯か再建、徳川原康が江戸城に入る時、泰平永き世が続き文教大いに賑わうようにと豊島郡湯島郷内に5石の朱印地を寄進し信仰した。
以後、林道春・松永尺五・堀杏庵・僧尭恵・新井白石など学者・文人の参拝もたえることなく、「学問の神様」として今なお信仰を集めている。 |
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湯島天滿宮 菊人形 「義経」 五条大橋  |
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湯島天滿宮 菊人形 「義経」 鶴岡八幡宮で舞う静 
「しずやしず しずのおだまき〜」の場面で、右端は源頼朝、隣は政子である。 |
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湯島天滿宮 菊人形  |
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湯島天滿宮 菊人形  |
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湯島天滿宮 菊人形  |
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湯島天滿宮  |
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清水坂下交差点で蔵前橋通りを渡る。  |
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神田明神 
大已貴命(だいこく様)、少彦名命(えぴす桟)、平将門命の三柱を祭神とし、家庭円満、縁結び、商売繁昌、事業繁栄の守護神として親しまれている。天平2年(730)、現在の千代田区大手町付近に創建されたと伝わり、天慶の乱に敗れた平将門の首が付近に葬られ天変地異か続いたので、時宗の真教上人が将門の索りを鎮め祭神として合祀した。将門を深く尊崇した徳川家康が神領を寄進して元和2年(1616)、江戸城の表鬼門にあたる現在地に移転し、江戸総鎖守に相応しい壮麗な桃山風の社殿が築かれた。神田祭は天下一の祭礼としての意味をこめて天下祭(御用祭)とも呼ぱれ、江戸市中を挙げての祭礼として盛大に執り行われ、現在につづいている。 |
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神田明神  |
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湯島聖堂 杏壇門 
徳川家康が登用した儒学者・林羅山の上野忍岡の私邸にあった廟殿と林家の家塾を、5代将軍綱吉が元禄3年(1690)、現在地に移し大成殿と改称。孔子像と四賢像を安置し、聖堂の西側には御成殿や学寮を設置した。寛政9年(ーフ97)、寛政の改革で知られる老中松平定信が幕府直轄の昌平坂学問所を開設し、たくさんの学者を輩出した。入場無料。 |
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湯島聖堂 大成殿(孔子廟)  |