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神田明神散策H240827

【関連サイト】   千代田線H2009
有名神社 神田明神


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国道17号 神田明神 鳥居 国道17号 神田明神 鳥居 

神田明神は天平2年(730年)、現在の千代田区大手町将門塚周辺に創建。それから約200年後、平将門の首を奪い返して塚を築き、葬った。さらに、延慶2年(1309年)には将門公の霊をも相殿に祀り、神田明神と名付けた。元和2年(1616年)現在の場所に移り、江戸城の鬼門の守護神となり江戸総鎮守として現在に至る。
神田明神 門前商店街 神田明神 門前商店街 

随神門まで狭く僅かな距離であるが、神幸祭や初詣の時は寸刻みでしか歩けない。

甘酒が名物で、鳥居の左に1軒、右奥にもう1軒店がある。
神田明神 隨神門 神田明神 隨神門 
神田明神 社殿、鳳凰殿 神田明神 社殿、鳳凰殿 

左の鳳凰殿は、神札授与所と参集所をあわせ持つ。
神田明神 神楽殿 神田明神 神楽殿 
神田明神 手水舎 神田明神 手水舎 

随神門から入り、社殿に対し左手にある。
神田明神 境内案内図 神田明神 境内案内図 
神田明神 鳳凰殿 神田明神 鳳凰殿 
神田明神 祭務所 神田明神 祭務所 

神楽殿に隣接する。
神田明神 社殿 神田明神 社殿 
神田明神 明神会館(結婚式場) 神田明神 明神会館(結婚式場) 

明神会館の横に急坂の明神男坂があったはずだが、コンテナが置かれ、見つけられなかった。
神田明神 石獅子 神田明神 石獅子 

 本石獅子は、区内に残る数少ない江戸期の石造物の一つであり、当時の庶民の信仰を知る上で貴重な資料である。
「武江年表」には「文久二年(一八六二)十一月両替屋仲間より神田社前へ、岩石を積み、石にて刻みし獅子の子落としの作り物を納む」とあり、江戸時代でも幕末期に製作されたと考えられる。
 神社境内の獅子山に据えられていたが、大正十二年(一九二三)の関東大震災により獅子山自体は崩壊した。その際、子獅子は、紛失したものの、親獅子二頭は、保存され、再建された獅子山に据えられた。
神田明神 石獅子 神田明神 石獅子 
神田明神 石獅子 神田明神 石獅子 
神田明神 銭形平次の碑 神田明神 銭形平次の碑 

社殿の右側、裏参道に向かう所にある。
神田明神 銭形平次の碑 神田明神 銭形平次の碑 

銭形の平次は野村胡堂の名作「銭形平次捕物控」の主人公である。
平次の住居は、明神下の台所町ということになっている。
この碑は、昭和四十五年十二月有志の作家と出版社とが発起人となり、縁の明神下を見下ろす地に建立された。
石造り寛永通宝の銭形の中央には、平次の碑、その右側には八五郎、通称「がらっ八」の小さな碑が建てられた。
神田明神 銭形平次の碑 神田明神 銭形平次の碑 

発起人には映画華やかなりし頃の名物社長だった永田雅一、大川博や、平次役の長谷川一夫、大川橋蔵のな名ある。
神田明神 銭形平次の碑 神田明神 銭形平次の碑 

がらっ八こと八五郎の碑もあり、あたかも実在したかのようである。
神田明神 国学発祥之地 神田明神 国学発祥之地 

荷田春満が江戸に下ってより初めて国学の教場を開いたのが、当神社社家芝崎邸内であったことから江戸における国学の発祥の地とされている。
神田明神 藤棚 神田明神 藤棚 

社殿の裏(北)にあり、右の鳥居に裏参道がある。
神田明神 裏参道 神田明神 裏参道 
神田明神 裏参道 神田明神 裏参道 

裏参道の階段を下りると蔵前橋通りである。
神田明神 裏参道 神田明神 裏参道 



 
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