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東京メトロ 日比谷線 日比谷駅
【撮影記録】
平成24年 7月 25日 晴れ
10:00〜12:25 12,300歩(概算 9.2km 地図上 8.8km)
日比谷線 日比谷〜中目黒
営業距離 8.2km 駅数 7
温度は30℃を超える程度であったが、湿度は60%を越えて蒸し暑く、こまめに休憩を取り水分補給した。秋葉原〜日比谷を歩いた時は再興で39.1℃だったが、蒸してはいなかった。やはり蒸し暑さは歩く上でダメージが大きい。 |
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晴海通り 日比谷交差点で日比谷通りを渡る
向かいの木立は日比谷公園の有楽門である。 |
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日比谷通り 日比谷交差点 最開発中の日比谷三井ビル、三信ビル
その保存をめぐり解体反対運動もあった三信ビル跡と、解体中の三井ビルがあり、後方に尖塔付きの東京宝塚ビルがある。 |
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晴海通り 日比谷交差点 日比谷公園 有楽門 |
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晴海通り 日比谷交差点 熱中症計は厳重警戒
現在時刻は10:00で、熱中症計は、温度(32.0℃)と湿度(67%)である。
前回の秋葉原〜日比谷では最初から37度を超える猛暑だったが、湿度は50%前後だった。 |
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晴海通り 日比谷公園沿いに西進 |
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晴海通り 日比谷公園沿いに西進 |
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晴海通り 祝田橋交差点で祝田通りを渡る
右折すると内堀通りで、皇居外苑、二重橋に向かう。 |
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晴海通り 霞ケ関官庁街 赤レンガの法務省旧本館
桜田門交差点の警視庁の反対側にあリ、赤レンガで有名である。 |
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晴海通り 桜田門交差点で左折、桜田通りへ |
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晴海通り 桜田門交差点 米沢藩上杉家江戸藩邸跡
関ケ原の戦いの後、上杉景勝は徳川家康によって出羽米沢三十万石に移封されました。慶長八年(一六〇三)、桜田門外の当地(現法務省の一部)に建てられた上杉家の江戸屋敷は「桜田屋敷」と呼ばれ、幕末まで江戸落邸として中心的な役割を果たしました。
左の絵図は、江戸時代初期に制作された「江戸図屏風」に描かれた藩邸周辺の様子です。 |
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晴海通り 桜田門交差点 米沢藩上杉家江戸藩邸跡 |
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桜田通り 霞ケ関官庁街 赤レンガの法務省旧本館 |
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桜田通り 霞ケ関官庁街 赤レンガの法務省旧本館
この建物は、明治政府が招聘したドイツ人建築家ヘルマン・エンデとヴィルヘルム・ベックマンの設計により、実施設計・工事には河合浩蔵が参画し、1895年(明治28年)に旧司法省として完成した。
その後、1923年(大正12年)の関東大震災では、レンガ壁が鉄材で補強されていたため、ほとんど被害を受けなかったが、1945年(昭和20年)の東京大空襲により、レンガ壁を残して焼失した。そのため、屋根を天然スレートから瓦にするなどの改修工事が行われ、1950年(昭和25年)法務省本館として再び利用されるようになった。
中央合同庁舎第6号館の整備に伴い、村松貞次郎、堀内正昭両氏の監修のもと建設大臣官房官庁営繕部により、1994年(平成6年)外観が創建時の姿に復原され、法務総合研究所及び法務図書館として活用されることとなった。
本格的なドイツ・ネオバロック様式の外観に特徴があり、都市の景観上貴重で歴史的価値が高いため、1994年(平成6年)12月27日に重要文化財の指定を受けた。 |
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東京メトロ 日比谷線 霞ケ関駅 |
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桜田通り 霞ケ関官庁街 霞が関一丁目交差点
右角に外務省があり、丸ノ内線は右から霞が関坂を下り、霞が関一丁目交差点で桜田通りを渡る。 |
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桜田通り 霞ケ関官庁街 農林水産省 |
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桜田通り 霞ケ関官庁街 霞が関二丁目交差点で国会通りを渡る
右角に財務省があリ、国会通りの下を千代田線が走る。 |
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桜田通り 虎ノ門交差点で外堀通りを渡る
交差点を渡り、少し進んだ右側に虎ノ門金毘羅宮がある。 |
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桜田通り なっ!とくしま(ローソン 虎ノ門巴町店)
少し先に左折すると愛宕山トンネルに向かう交差点がある。徳島県のアンテナショップで、店内の一画に特産品が展示してある。 |
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桜田通り 神谷町交差点 |
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東京メトロ 日比谷線 神谷町駅
神谷町交差点手前角にある。 |