 |
紀尾井坂を上る  |
 |
紀尾井坂を上る 
この坂を紀尾井坂といいます。「新撰東京名所図絵」には「喰違より清水谷公園の方へ下る坂を称う」また「紀尾井坂は、紀伊家、尾張家、井伊家の三邸此所に鼎立し存しを以って名つく」とかかれています。 |
 |
紀尾井坂を上る  |
 |
紀尾井坂 ホテルニューオオタニ  |
 |
紀尾井坂 突き当りの喰違見附跡で右折、ソフィア通りへ 
突き当りを左折すると濠沿いで、赤坂御用地前の外堀通り紀之国坂交差点に出る。左側にはホテルニューオオタニの入口がある。ここでは右折して四谷に向かう。 |
 |
ソフィア通り 紀尾井ホール 
食違見附跡を右折すると、上智大学に因んでソフィア通りとなリ、その角にある。 |
 |
ソフィア通り 紀尾井ホール  |
 |
ソフィア通り 尾張名古屋藩屋敷跡  |
 |
ソフィア通り 尾張名古屋藩屋敷跡 
紀尾井ホール隣の料亭前にある。
この一帯には、江戸時代に尾張名古屋藩徳川家の麹町邸かありました。寛永14年(1637)に拝領してから藩主や世嗣が一時的に居住するなど様々な使われ方をしました。尾張徳川家は、徳川家康の九男義直に始まる家で、紀伊家(十男頼宣)、水戸家(十一男頼房)と共に、御三家と称され、義直が年長で知行高も多かったため、御三家筆頭となり大名の最高位に位置しました。義直は、慶長8年(1603)甲斐府中藩主、ついで慶長12年(1607)尾張清洲藩主を経て、後に名古屋藩主となり、尾張一国と木曽の山林を領地としました。尾張徳川家は以後、加増を重ねた結果、石高はほぼ61万9500石となり、16代にわたって明治維新まで続きました。明治5年、この地域は紀伊徳川家・尾張徳川家・井伊家の頭文字を合わせて、「紀尾井町」という町名になりました。 |
 |
ソフィア通り 尾張名古屋藩屋敷跡  |
 |
ソフィア通り 上智大学 
右手は上智大学のキャンパスで、左手は桜並木の土手が続く。 |
 |
ソフィア通り 上智大学 正門  |
 |
ソフィア通り カトリック麹町 聖イグナチオ教会  |
 |
ソフィア通り 四谷駅前交差点で左折、新宿通り(麹町大通り)ヘ  |
 |
新宿通り(麹町大通り) JR跨線橋 四谷見附橋  |
 |
東京メトロ 南北線 四ッ谷駅 
駅舎は一つで、左側にJR総武線、右側に東急メトロの改札口がある。 |