白金高輪~三田~芝公園
【関連サイト】 | 都営地下鉄 三田線(平成14年) | |
芝・高輪散策(H16-11-06) | ||
歴史点描 江戸の有名人の足跡 赤穂義士 | ||
港区「ちいバス(田町ルート 六本木ヒルズ・麻布十番)」(H16-11-06) |
白金1丁目交差点の魚藍坂周辺図 | |
桜田通り 魚藍坂下交差点 三田線は桜田通りに沿って直進する。右折すると伊皿子交差点を経て泉岳寺に出る。伊皿子交差点で右折すると、都営アパートの中に大石藏之助たちが切腹した細川藩下屋敷跡がある。 |
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長松寺 荻生徂徠墓 江戸時代中期の儒学者。字は茂郷、通称惣右衛門、徂徠は号である。寛文六年(一六六六)江戸に生まれた。十四歳から十三年間、父方庵に従って上総国長柄郡本納村に流寓の生活を送り、独学自習、将来の学問の基礎を築いた。元禄三年(一六九〇)江戸に戻り、柳沢吉保に用いられ、将軍綱吉にもしばしば儒学を講義するようになった。綱吉没後、日本橋茅場町に家塾「蘐園」を開いた。家学を重んじ、伊藤仁斎の復古学を批判し、古文辞学を大成した。その学問は経学のみでなく江戸後期の政治、経済、文学等に大きな影響を与えた。「論語徴」「明律国字解」「訓訳示蒙」「蘐園随筆」等多くの著書がある。将軍吉宗の諮問に応えて享保七年(一七二二)「政談」を幕府に献上した。享保十三年(一七二八)一月十九日六十三歳で死去した。 |
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長松寺 荻生徂徠墓 | |
長松寺 荻生徂徠墓 長松寺は桜田通りの魚籃坂下交差点を少し行った所の右手にある。隣に大きな念願寺があり、一見そちらが長松寺のように見える。 |
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長松寺 荻生徂徠墓 荻生徂徠は、江戸中期の儒学者で、5代将軍の徳川綱吉にもしばしば儒学を講義した。 赤穂義士の処分について、治安を乱したとして重罰を加えるべきと言う意見と、忠義の士として顕彰すべきとの意見で幕府内の議論がまとまらない時、治安を乱した罪で死罪だが、武士の名誉を重んじた切腹を綱吉に建議したことでも有名。 |
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幽霊坂 ゆうれいざか 坂の両側に寺院が並び、ものさびしい坂であるためこの名がついたらしいが有礼坂の説もある。幽霊坂は東京中に多く七か所ほどもある。 ちなみに乃木坂も幽霊坂と言われていたが、乃木大将の自刃後に乃木坂と言われるようになった。 |
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幽霊坂 | |
幽霊坂 | |
慶應大学 正門 三田と言えば、慶應大学だが、そのキャンパスは狭い。 |
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三田2丁目交差点で桜田通りは左折 三田線は直進して第一京浜に出て左にカーブする。中央下のセブンイレブン脇の小路を田町駅に向う。 |
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慶応通り振興会の小路を歩く | |
慶応通り振興会の小路を歩く 所謂一杯飲み屋や、小料理屋が建ち並ぶ。 |
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田町駅西口交差点で左折、第一京浜へ 左のビルは森永プラザビルで。森永製菓と乳業の本社がある。右側奥にJR田町駅があり、更に右には都営浅草線の三田駅があるが、写真には写っていない。 |
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芝5丁目交差点で左折、日比谷通りへ | |
都営 三田線 三田駅 三田線の三田駅は芝5丁目交差点の日比谷通りに向うカーブ沿いに沿ってあり、写真はJR田町駅側の端に当る。 |
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芝5丁目交差点で左折、日比谷通りへ | |
港区コミュニティバス ちぃバス停 勤労福祉会館前 芝5丁目交差点を曲がってすぐの所にある。ちぃバスは、田町と六本木ヒルズを往復するこのバス停がある六本木ルートと、六本木ヒルズから赤坂、青山1丁目、六本木を周回する赤坂ルートの2系統があり、人気のバスである。 |
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NEC 本社 都営三田線 三田駅の日比谷方向の端の出入り口に聳え立つ。 |
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NEC 本社 | |
都営 三田線 芝公園駅 日比谷通りの芝園橋南詰めにある。 |