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都営 大江戸線 六本木駅
【撮影記録】
平成24年 12月 24日 晴れ
10:20〜12:55 15,200歩(概算 10.6km 地図上 9.4km)
六本木〜東中野
営業距離 8.4km 駅数 9
気温は7℃程度だが、風もなく、歩いているせいか暖かく感じられた。翌日までの東京ミッドタウンのイルミネーションの昼間の風景は、ネタがバレバレの手品のようで味気なかった。外苑は休日のサイクリング道路であり、冬枯れの新宿中央公園はホームレスのテントができていた。久しぶりの十二社熊野神社を見て、山手通りの成願寺で鍋島家墓所を訪れ、東中野駅に着いた。帰宅して、意外と写真を撮りまくっていたのには驚いた。 |
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東京ミッドタウン ミッドタウン・ガーデンから見たミッドタウン・タワー
東京ミッドタウンについては別ページにまとめた。 |
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東京ミッドタウン 東京ミッドタウン西交差点で右折、外苑東通りへ |
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外苑東通り 乃木坂駅前郵便局前交差点
右の側道を下り、乃木坂陸橋交差点で右折、赤坂通りへ出てすぐに乃木神社があり、更に進むとTBSがある赤坂サカスに出る。 |
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外苑東通り 乃木坂駅前郵便局前交差点
側道の先の突き当りが乃木坂陸橋交差点である。 |
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外苑東通り 乃木坂陸橋交差点から見た乃木公園、乃木神社
旅順攻略の乃木大将の旧邸は高地の外苑東通り沿いにあり、坂の下に乃木神社がある。 |
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外苑東通り 乃木公園
この乃木公園附近は、江戸時代の初期、青山常陸介忠成が家康の命をうけ、馬を乗り廻して賜わった土地で、力尽きて死んだ馬の塚を築き、駒留八幡といったという伝説がある。青山氏の敷地は現在の北青山および赤坂7、8丁目を含む広大な地域であった。
江戸時代末期このあたりは美濃郡郡上藩青山大膳亮の邸地で、明治維新後この一帯は新坂町と呼ばれ、名士の邸宅街となった。
陸軍大将乃木希典は明治12年この地を買い求め、同35年新築をした。大将は大正元年9月明治天皇のあとを追い、夫人静子とともに自害して果てた。邸宅はその遺言により、東京市に寄付され、整備ののち公園として|開園された。現在では、旧乃木邸を含めて区立公園として管理している。 |
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外苑東通り 乃木大将旧邸 入口
乃木大将旧邸で、中には大将夫妻自決の部屋などがある。東に隣接して乃木公園があり、階段を下って行くと乃木坂の乃木神社に至る。 |
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外苑東通り 乃木大将旧邸 |
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外苑東通り 山王病院 |
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外苑東通り 青山ツインタワー手前交差点で左折
左に青山ツインタワーがあり、その横で青山通りに出るが、外苑東通りはその手前で左折する。 |
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外苑東通り 港区 コミュニティバス ちぃバス(赤坂ルート)
このバスは乃木神社、檜町公園を経て六本木ヒルズに戻る。 |
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外苑東通り 青山一丁目陸橋交差点で環状三号線と合流、右折
赤羽橋、六本木ヒルズのけやき坂下交差点まで歩いた環状三号線は、六本木六丁目交差点を経てこの交差点で合流する。 |
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都営 大江戸線 青山一丁目駅
青山一丁目交差点手前の青山ツインタワーに青山一丁目駅の出入口がある。 |
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外苑東通り 青山一丁目交差点で青山通りを渡る |
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外苑東通り 青山一丁目交差点で青山通りを渡る
交差点右角には赤坂御料地の木立が見える。 |
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都営 大江戸線 青山一丁目駅 |