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靖国通り 岩本町交差点で昭和通りを渡る
高架は首都高1号上野線である。 |
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靖国通り 岩本町交差点 右折すると人形町通りへ
首都高の高架を過ぎて右折、斜め右上に向かうと日比谷線が走る人形町通りで、伝馬町牢屋敷跡(十思公園)、人形町交差点を経て水天宮に向かう。 |
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靖国通り 大和橋交差点 |
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靖国通り 町名由来 豊島町
この界隈は、かつて豊島町と呼ばれていました。
元禄十六年(一七〇三)、湯島一丁目、同二丁目、同三丁目(現・文京区湯島一丁目周辺)の北側にあった町家が地震による火事で類焼し、翌十七年、被災した湯島の人々の新たな居住地が、もともと武家屋敷であったこのあたりに定められます。そのときに誕生したのが豊島町です。
豊島という町名の由来ははっきりしていませんが、町奉行が「この一帯が属している豊島郡には豊島村という地名がすでにあるが、それとは別に豊島町という町名があってもいいだろう」として名付けたと伝えられています(「神田区史」)。また、享保年間(一七一六〜一七三六)の地図には「トヨシマ丁」とあり、「とよしまちょう」とも呼ばれていたといわれています(「新撰東京名所図会」)。
江戸時代、このあたりには「比丘尼横丁」や、髪油として美男葛の油を売る店もあったことから俗に「桂横丁」と呼ばれた通りもありました。そのほか、ここにはさまざまな店屋がありました。
文政七年(一八二四)の「江戸買物独案内」には、銘茶所伊勢屋、菓子屋鶴屋、水油仲買桝屋など、慶応年間(一八六五〜一八六八)の「江戸食物独案内」には、豆腐酒芋酒屋の鬼熊、雑菓子卸の青野屋などが見られます。さらに明治のころになると、豊島館という旅館、龍角散の藤井薬種店、鈴木砂糖商などがあって、たいへん賑わっていました。 |
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靖国通り 東神田交差点で右折、清洲橋通りへ |
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清洲橋通りを南下 |
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清洲橋通り 東神田一丁目交差点で左折
東神田一丁目交差点はY字路交差点で、神田明神の神幸祭では右手の神田金物通りに進み、昭和通りに出る。 |
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清洲橋通り 馬喰町交差点で江戸通りを渡る |
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清洲橋通り 馬喰町交差点 繊維問屋街
問屋なので小売お断りの案内があるが、個人買いも出来る店も多い。 |
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清洲橋通り 馬喰町、横山町界隈の繊維問屋街 |
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清洲橋通り 馬喰町、横山町界隈の繊維問屋街 |
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都営 新宿線 馬喰横山駅 |
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清洲橋通り 中央区コミュニティバス 江戸バス(北循環) #15 馬喰横山駅 バス停 |
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清洲橋通り 東日本橋交差点
Y字路交差点で、都営浅草線が左の清杉通りからこの交差点に入る。 |
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清洲橋通り 久松町交差点で金座通りを渡る
都営浅草線はこの交差点で右折する。 |
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清洲橋通り 明治座 |
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清洲橋通り 明治座 |
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清洲橋通り 浜町公園前交差点で左折、浜町公園前通りへ |
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浜町公園前通り 明治座 |
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浜町公園前通り 浜町公園案内図 |
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都営 新宿線 浜町駅 |
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浜町公園前通り 突き当りが浜町公園入口 |
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浜町公園 入口からの風景
浜町公園は隅田川沿いにあり、浜町駅は公園の地下にある。 |
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浜町公園 中央区立総合スポーツセンター |
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浜町公園 清正公寺
東京には加藤清正所縁の場所が多い。加藤清正は熱心な日蓮宗信者で知られ、桜田門の藩邸跡を始め、池上本門寺、高輪の清正公などである。 |
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浜町公園 清正公寺 |
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浜町公園 南口からの風景 |